第9話 半分こする『幸せ』

 僕は、日本にいた頃は特に裕福な暮らしをしていたわけじゃないし、この世界に来てからも貴族や王族みたいに誰かから傅かれるような生活を送っていたこともない。

 まあ、ジュリアたちと一緒に生活していた間は冒険者として生活費に困ったことは一度もなかったし、そういう意味では恵まれた暮らしをしていたんだろうとは思うけど。

 ツクヨミは、元々はルガル国の王族で……王妃様で。例え人間とは違う種族であったとしても、そこには同族たちから見たら羨ましがれるような栄華な暮らしをしていたのだろう。

 それが、彼女にとって幸せな暮らしと呼べるものだったのかどうかは分からないけれど……少なくとも、家族と一緒に過ごしていられたこと、それは幸せだと感じていたに違いない。

 故郷を追われて、実の家族に命を狙われて、その日生きるために必要な食べ物を手に入れることにも苦労する。今までの暮らしとは全然かけ離れた、ホームレスみたいな生活を余儀なくされて……そのうち食べることにしか娯楽を感じなくなるようになってしまって。

 そうだと決めつけるつもりはない。でも、きっと……生きることに疲れてたんじゃないかなと、僕はそういう風に捉えている。

 僕も、自分の居場所だと心に決めていた場所から追い出されてしまった身だから。そういう意味では、僕とツクヨミは似たもの同士なんだよね。

 僕にとっての幸せと、ツクヨミにとっての幸せは、形が違う。だから、一生共に暮らしていくことはできないだろう。

 ツクヨミに『目』を与えたら──その時が、僕たちにとっての別れの時で。そこから、二人は別々の道を歩んでいくことになるんだろうけれど……

 その時が来るまでは。

 僕にとっての『幸せ』を、彼女と半分こしながら暮らしていこう。

 そう、思う。



「……わちきにこのようなめんこい服は似合わぬと思うのじゃが……もっと普通の、地味な服はないのかの?」


 鏡の前で自分の姿を見つめながら、ツクヨミは何処か恥ずかしそうにそんなことを呟いた。

 因みに、僕はツクヨミの背後に少し距離を置いて立っているから、今の彼女には鏡に映った自分の正面の姿と背面側の姿、両方が見えているはずである。


「申し訳ありません……お客様くらいの背丈ですと、既製品は子供用の服しかサイズが合いませんので……後は、オーダーメイドになってしまいますが」

「すみません、そこまでお金持ってないので……」


 申し訳なさそうに謝罪しながらさり気なく高級品のオーダーメイドを勧めてくる店員さんに、僕は苦笑い。

 実際、オーダーメイドって単なる服でも結構高額で、冒険者が使うような武具になると、それこそ一個だけでもひと財産になる。今の僕の全財産を出資したとしてもまず手は出ない代物だ。


「無理して新しい服を買う必要はないと思うんじゃがの……ミナヅキ殿、御主、金がないと申しておったではないか」

「あまりお金持ってないのは事実だけど、毎日傍にいるかどうかも分からない追……えっと、怖い人に怯えて暮らすのは疲れるでしょ? 食費くらいは冒険者ギルドで仕事貰って稼ぐから、心配しないでよ。これは必要な投資ってやつだから」

「……仕方ないのう」


 危うく店員さんの前で追手とか言いかけたよ。危ない危ない。

 怖い人、なら定義は広くて曖昧だし、子供相手に言う『怖い人』なら『誘拐犯』とか『盗賊団』とかの方が存在としてはメジャーだから、第三者にとってはそっちの意味に取られるだろうから問題ないはずだ。

 現に、店員さんは僕の言葉に納得したようで相槌を打っている。


「そうですね。あれだけの装飾を施した見事なお召し物は、多少汚れていても十分に価値があります。そのような服装をなされていると、貴族の御令嬢と見られて盗賊や闇商人の標的にされてしまっても不思議ではありませんし……広く流通しているお召し物に替えられることは、正しい選択だと思いますよ」


 ここで言う『闇商人』とは、主に人身売買で儲けている商人……俗に言う奴隷商というやつなのだが、その中でも正式な免許を持っていない非合法の商人のことを指している。

 この世界では、人身売買もれっきとした商売のひとつだ。そういう『合法の』奴隷商は、きちんとした専用の免許を所持していて、商品となる奴隷は全て正規のルートから仕入れた『正規品』を販売している。商品である奴隷たちは一人一人きちんと身元やどういう経緯で奴隷になったのかなどの情報がしっかりと記録管理されていて、買い手にはそれらの情報を全て開示した上で気に入った奴隷を購入してもらう、そういうシステムになっているんだとか。

 随分詳しいねって? 前にジュリアたちと非合法の奴隷商組織を摘発する仕事を請け負った時に、色々とね。その時に聞いた話を覚えていただけだよ。


「……わちきも毎日毎日気を張っておったのでは流石に参ってしまうでの。その苦労から解放されるのであらば、服のひとつや二つ着替えるのは何ということもないし、以前の服に執着していたわけでもないから構わんのじゃが」


 ツクヨミは両腕を広げて、今一度鏡に映った自分の姿を真正面から見つめながら、言った。


「流石にこの赤子のべべのような刺繍だらけの派手な格好はいただけぬ。せめて無地の服にしてたもれ」



 結局、ツクヨミに店内の服を見せてああだこうだと問答を繰り返した末に、彼女が着れそうな子供服の中で最も地味なデザインのチュニックとズボンがツクヨミの新しい服になった。

 地味とは言うものの、やはり子供用の服なので、裾や襟周りにチロリアンテープみたいな模様の刺繍が入っているのでそれなりに可愛い。

 チュニックの丈が彼女には少し大きいせいでワンピースみたくなってるけれど……袖を折れば十分に着られるということで、これが良いと彼女が自分で選んだのだ。

 元々羽織っていた外套をその上に着れば、何処にでもいそうな町の子供の出来上がり。

 家族で行商人をやっている人たちもいるくらいだし、そういう意味では子供の旅人も珍しくはない御時勢だ。一見しただけでは、彼女がツクヨミだとはすぐには分からないだろう。

 ……まぁ、ルガリアンの追手には無意味な変装かもしれないけれどね。ルガリアンの第三の眼で視れば、彼女が膨大な魔力を持った人だってことは丸分かりだし。

 さっきの追手たちにツクヨミの正体が発覚しなかったのは、彼らが全員兜を被って第三の眼を隠していたからだ。その場で第三の眼で彼女を視られていたら、絶対にバレていた。あれは本当に運が良かったと言うしかない。


「さて、内陸の町に移動して仕事を見繕うんじゃったか。……冒険者ギルドとやらはこの町にはないのかの?」

「ギルドは何処の町にも基本的にあるよ。ただ、この町はちょっと危ないかなって。さっきの追手たちがギルドに行ってるかもしれないから」


 尋ね人、と称してツクヨミの人相書きとか特徴を載せた人探しの仕事クエストが冒険者ギルドで発行されている可能性を、僕は疑っている。

 冒険者ギルドは、住民から寄せられた困り事を仕事クエストとして発行して解決してくれる人材を募集する場所だ。ちゃんと依頼の請負人とギルドに支払うための費用を用意できさえすれば、そいつが余程顔と名前が知られた悪党とかでもない限りは基本的に誰からの依頼も受けてくれるのだ。


「此処から遠く離れた内陸の町に行こうと思う。そこならまだ追手の目も届いていないだろうし、基本的に内陸の町の方が選べる仕事の種類も豊富だからね」

「成程のう」


 いつかは、世界中の町にルガリアンの追手の監視がつくことになるだろう。

 その『いつか』が実際にいつになるのかは、僕には分からないけれど。

 その時が来るまでに、ツクヨミに新しい『目』を作って、本当の意味での自由と幸せを彼女に与えてあげたいと思っている。

 ……僕が表立って向かってくる脅威と戦えるのなら、それが一番手っ取り早い。それができるだけの力を、今の僕は持っているから。

 ──でも、それができない理由が僕にはある。

 僕は、目立ってはいけないのだ。並の冒険者として並の魔物と戦ったり雑用をこなしたりする分には構わないけれど、明らかに普通の人間じゃないと世間に知れ渡ることは絶対に避けなければならないのである。

 僕が自分の能力をジュリアに与えて無能を演じ続けていたのは、そのため。

 彼女が英雄になると言い、反王と戦う決断をしたことを止めなかったのも。そしてその目標を実際に叶えた後も彼女の傍にいようとしたのも。全部、そのためだったのだ。


 それが、あの人との約束だから。

 僕がこの力を得てこの世界に降り立つ際にあの人と交わした、たったひとつの制約──



 僕自身がこの世界そのものに直接多大な影響を与える存在になってはいけない。



 それを破れば、僕は、


 全ての記憶を抹消された上で、本来いるべき世界ばしょへと還され劫火に焼かれて死ぬことになるだろう。

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