第8話 新しき王と深淵に消ゆ王妃

 この町で商売をしている店のおよそ半分は、海産物を販売する鮮魚店である。

 港で水揚げされたばかりの新鮮な魚介を内陸とは比較にならないほどの安価で販売し、希望すれば購入した魚をその場で捌いたり貝の中身を殻から取り出したりもしてくれる。魚を捌くのが苦手な人にとっては有難いサービスだ。

 販売している魚介は店によって多少の違いはあるものの、基本的に同じ港から仕入れているだけあってラインナップは似通ったものが多い。

 だから何処の店も仕入れ値ぎりぎりまで値下げをしたりおまけをつけてくれたりと、客の獲得に必死のようだ。


「まいどありっ! おまけでレモン塩のサービスしとくぜ! その魚はそいつをつけて食うと目茶苦茶美味いんだ、試してみてくれよなっ!」

「ありがとうございます」


 購入した魚とレモン塩が入った麻の小袋を手に、僕は店を後にした。

 その後を、質素な外套を頭からすっぽり被った小柄な人物が僕の左手をしっかりと握って付いて来る。


「随分と買い込んだの、御主」

「あはは……まぁ、新鮮な生の魚は港町でしか手に入らないからね。お陰でお金の残りが結構少なくなっちゃったけど……お金は何処かで仕事貰って稼げばいいし、大した問題じゃないよ」


 食というものは、生きる上で最も重要な要素だと僕は考えている。

 衣食住。人間が人間らしく生きていく上で必要不可欠なものがその三つだと言われていて、実際日本はそれがないと生きていくのが難しい環境だった。

 この世界では、食の問題さえクリアできれば、残り二つはなくても案外何とかなったりする。そもそも冒険者なんて家なしであることの方が多いし、裸で外を歩いていたとしても、それがやむを得ない事情の上でしていることなら咎められはしない。流石に大都市とかで故意に露出魔みたいな真似事をしたら憲兵に捕まるけど。


「それに貴女だって、何処かで野宿した時に食べる御飯は美味しい方がいいでしょ?」

「わちきは飯にありつければ何でも良いんじゃがの。まあ、飯は美味であるに越したことはない。美味い飯のために投資し手間隙をかけるのは、然るべきことじゃ」

「そうだね」


 この町で僕が様々な店を巡って手に入れたのは、魚介を中心とした新鮮な海産物。それから魚料理に合うと地元人たちに評判の香草ハーブを何種類か。勿論此処にきた本来の目的である塩と胡椒も忘れずに手に入れたよ。こちらは良質のものがそこそこまとまった量を安く買うことができた。

 これで作ろうと思っていたスパイスも作れるし、しばらくは野宿になっても食事には困らないだろう。

 勿論、仕事を探して生活費を稼ぐことは続けるつもりだけど。


「さて。次は何処へ行くつもりなのじゃ? 英雄殿」

「……僕は英雄じゃないから普通に名前で呼んでほしいんだけどな……名前、教えたはずだけど」


 ツクヨミは、どういうわけか僕が名乗った後も僕を英雄呼びすることをやめない。


「世間で英雄と呼ばれているのはジュリアだから、僕が貴女から英雄と呼ばれているのを誰かに聞かれると面倒なことになっちゃうんだけど……」


 ジュリアの容姿を知っている人は僕を英雄の名を騙る悪人だと勘違いするかもしれないし、容姿を知らないで「英雄は女である」ことだけは知っている人は僕をジュリアと勘違いするかもしれないし。

 どっちに転んだとしても、僕にとっては何も良いことがないのだ。


「何を申しておる」


 心底意外、とでも言いたげな表情をして、ツクヨミはすんと鼻を鳴らした。


「どういう事情があって御主ではない人間が英雄として扱われておるのか、それに関してはわちきの知ったことではないがの。英雄としての『力』は、紛れもなく御主が持っておるのじゃ。真の英雄たる者を英雄と呼ばずして何とする? わちきの名が知られることと違い、御主には何の非もなかろうて」

「確かに僕は何も犯罪になるようなことはしてないけど……僕は称えられるのも敬われるのもあまり好きじゃないし、それにあまり目立ちたくないんだ。貴女ほどじゃないかもしれないけど、僕の身の上も色々と特殊だからね……」


 出身は何処かと訊かれて「異世界にある日本という国から来ました」なんて言えるわけがないし、僕の身に宿ったこの能力はどうやって得たんだと訊かれて「あの人から授けられました」と答えた日にはどういう反応をされるか分からないし。

 あの人の名前はこの世界では物凄く有名……というか知らない人なんていないだろうから、僕の能力に関する話は、ひょっとしたら信じてくれる人もいるかもしれないけれど。


「貴女が人前で本名で呼んでほしくない、と言ったことと理由は殆ど同じだよ。僕も貴女も平穏に暮らしていくために、僕が持っている力が英雄の力だってことは秘密にしておくべきなんだ。僕はあくまで……表向きはティン証ランクの冒険者その一、なんだよ」


 僕には名誉も地位もなくていい。

 この先本気で守りたい存在ができた時に、それを守るために必要だというのなら、その時には求めるかもしれないけれど。

 ジュリアのように、自分の国を建てて王になって後世まで名前を残したいとか、そういうことは考えていないのだ。


「そういう事情があるのなら、仕方がないの……ミナヅキ殿」


 ツクヨミは肩を竦めて、改めて僕の事を名前で呼んでくれた。


「わちきも、先は御主から貰った名と目があったからこそ難を逃れたようなものじゃからな。今の世、わちきのような者が穏やかに暮らしていくのは難しい。そのために名を偽り、身分を偽り、存在せぬ者を演じるのは必要不可欠なこと……仕方のないことじゃて」


 先のこと、とは、例の料理屋で遭遇した全身鎧姿の集団のことだ。

 彼らは自分たちは諸国を旅して回っている旅人で、『ルナリア』という名前の女性を探していると名乗ってきた。

 彼らは、その『ルナリア』という人物が魔法に精通しており、古の魔法の使い手でもあり、変身魔法が使えることや自分の年齢操作ができることを知っていた。

 たまたま立ち寄ったこの町で容姿がその探し人と物凄く似ていたツクヨミを偶然見かけて、それで僕に声を掛けてきたってわけだ。

 普通ならば彼女がそうですとツクヨミを彼らに紹介するところなのだが、彼らの言動を見ていると、どうも胡散臭いというか好印象を抱くことができなかった。

 初対面の僕に対して何処か高圧的で見下しているような感じがしたし、何より探し人である『ルナリア』を丁重に扱うという雰囲気が感じられなかったのだ。

 ツクヨミが僕に何の説明もなしにいきなりスズメに化けて他人のふりをし始めたことからも、僕の予想はあながち外れていないことが伺える。

 だからあの時は、僕がスズメに変身したツクヨミを僕の使い魔だと偽り、彼女が皆の前で僕があれこれ命令したことを忠実にこなす様子を見せてどうにか納得してもらい、帰ってもらった。

 命令といっても、僕の肩に乗ってとか簡単なことしか言ってないけどね。

 本当に使い魔なのかということはさておいて、ツクヨミが目が見えていないとできないであろう行動を普通に取っていたことから、このスズメは自分たちの探し人とは無関係で、見かけた幼女も恐らくはただの見間違いだろうと結論付けたようだった。

 ……もっとも、彼らの中では、見かけた幼女が完全に探し人とは別人である、と確定したわけじゃない。再び僕と会った時に、今回の件であれこれ訊かれる可能性はある。

 今後は、あの全身鎧姿を見かけた時は注意しないといけない。

 ツクヨミが外套を頭から被って外から顔が見えないようにしているのは、彼女を探している人が他にもいた場合、一見しただけではすぐに彼女だと判別できないようにするためだ。容姿が既に幼女化しているから、彼女のことを直接知っている人でもない限りは顔を晒していても分からないとは思うけれど……念のためというやつだ。


「……ところで、貴女を探していると言ってたあの人たち。普通の旅人だって言ってたけど、何となく騎士って感じの雰囲気がしたんだけど……」

「ふぁふぁ、そこに気付くか御主。流石じゃな。……そうじゃ、あの者らはわちきの国──ルガルの王家に仕える騎士じゃ」


 王家に仕える騎士……つまり国仕えの騎士の中でも上位階級の存在ってことか。


「王の命令でわちきを探しに来たのじゃろう。……わざわざゲートを開くとは御苦労なことじゃな。そこまで労力を費やしてまでこちらに来んでも、国を出たわちきのことなど捨て置いてくれれば良かろうに。全く、あやつも肝の小さき男じゃな」


 ふ、と小さく短い息を吐く音。多分失笑したのだろう。

 自分の国の王を馬鹿にするようなこの態度。此処にはその王様がいないからいいようなものの、これって国賊扱いされる行為なんじゃ……?


「……あのさ、僕はそのルガルって国がどういうところで王様がどういう人物なのかを知らないから強くは言わないけれど、自分の国の王様をそういう風にあからさまに馬鹿にするのはやめた方がいいんじゃ……誰かに聞かれてたら大事になるよ」

「構わんよ。あやつのことも、あの国も……御主ら人間にとっては排除すべき存在ものなんじゃろう? 確かにかの地で同じことを言おうものなら即捕らえられ首を刎ねられるじゃろうが、この地ではあやつを卑下したところでわちきを諌めるような人間はおらぬ」


 御主は知らんのか? と意外そうに小首を傾げたツクヨミは、静かに語り始めた。


「……今よりおよそ七十年前。ゲートと呼ばれる二つの異なる次元を繋ぐ道が開かれ、御主ら人間が住むこの地に数多の軍勢を率いてゲートを介し攻め入った者がおった。軍勢を率いるその男は当時のルガル国の統治者、すなわち王──御主ら人間たちに『反王』の名で呼ばれておった者じゃ」


 この世界には、一定の周期で世界の何処かで魔物や妖異が大量に溢れ返るという現象が起きる。

 その現象のことを『闇の氾濫』と呼び、その現象を鎮めた人物を『英雄』として讃えるのだ。


「二年前に王は討たれたが、王には息子がおった。息子は亡き父の遺志を継いで次期王となり、再びこの地に攻め入るつもりでおる。……御主らにとっての『反王』は死してはおらぬのじゃよ。あやつがゲートを自在に開く術を得た今、近いうちに……この地はかつてと同じ戦乱の世となるじゃろうて」


 『闇の氾濫』が別次元同士を繋ぐ通り道が生まれてそこから異次元の住人ルガリアンが国ぐるみで戦争を仕掛けにきていることを指すのなら。

 ルガリアンという種族は──ツクヨミは、僕たちから見て排除すべき存在、魔物や妖異と同列視される存在であるということになる。

 人前で本名を明かしたくないと言っていた理由は、これか……


「……わちきが姿を偽りゲートを超えてまでこの地に来たのは、わちきが保守派の一員だったからじゃ。ルガリアン全員が、御主らとの戦を望んでいるわけではない……御主らとの共存を願っている者もおるのじゃよ。王にとっては、そういう考えを持つ保守派の民を統括しておったわちきの存在が邪魔だったんじゃろうな。わちきを捕らえ、民の前で処刑すれば保守派の生き残りも大人しくさせられる、とでも考えたんじゃろう」


 やれやれ、と呆れたように溜め息をつくツクヨミの様子は、僕には何処か物悲しげに見えた。


「夫に存在を疎まれ、夫を失った後は息子に命を狙われる……血族とは、何なのじゃろうな。長らく考えておるが、未だに答えが出ぬ。かつては共に生き共に笑い合っておった、そんな日々も確かにあったはずであろうに……あれは幻想であったのかもしれぬと思うと、寂しいものじゃな」

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