夏の夜の夢
武田コウ
第1話 夏の夜の夢
全身に纏わり付くような倦怠感。
今日も定時で帰れなかった僕は重たい足に鞭打って夜の街をゆっくりと歩く。
昼間より気温は下がっているとはいえ、真夏に外でスーツを着ていれば暑い事に変わりは無く、額からは大玉の汗がポタポタと落ちた。
そっとネクタイを緩める。
連日の残業が響いているのかどうにも体調が悪い。このまま歩いて帰るのもしんどくなってきたので熱中症になる前に適当な場所で休憩をする事に決めた。
自販機でコーラを買って公園のベンチに座る。
夜の公園は子供と戯れていた昼の和やかな顔を捨て、無愛想に無機質に僕を拒絶しているようだった。
薄暗い街灯に照らされた遊具を見ながら缶のプルトップを開ける。炭酸の抜ける涼しい音を聞きながら飲み口を口に当て、缶を傾けた。
流れ込む甘さと炭酸の刺激を感じ、いくらか熱でやられていた身体がいきがえったように感じた。
ほっと一息ついて周囲を見回した。
シンと静まりかえった夜の公園。まるで時間が止まっているような錯覚を覚える。明日の仕事を考えると憂鬱な気分になる。
大きくため息をつき、ふと小さく子供の笑い声が聞こえたような気がした。
(・・・こんな時間に子供の笑い声?)
不振に思った僕はベンチから立ち上がり、声の聞こえた方向へと歩き出した。
静かだ。
先ほどまで聞こえていた虫の声もいつの間にか聞こえない。
ただ蒸すような熱さだけが僕の思考能力を奪っていく。
ゆっくり
ゆっくり
汗が頬を流れ落ちた。
そして聞こえた。今度ははっきりと、無邪気に笑う子供の声・・・。
「ねえ、おじさんも遊びたいの?」
気がつくと僕の目の前には小さな女の子が立っていた。
チューリップのプリントがされた白いTシャツに真っ赤なスカート。目線の高さで切りそろえられた前髪が少女の勝ち気なつり上がった瞳を強調しているようだった。
おかっぱ頭の彼女は、どうも時代錯誤な違和感があって僕を戸惑わせるが外気の熱さがそんな僕から静かに疑問を奪ってしまう。
「いや・・・僕は別に遊びたいわけじゃ・・・」
しかし少女は僕の言葉も聞かずに首をかしげると、唐突に僕の右手を握った。
子供独特の高い体温と柔らかな手のひらの感触にはっとさせられる。
「いいから、いきましょうよ」
そう言って半ば強引に手を引かれ、僕は公園の奥へと歩いて行った。何故かその手を払う気にはなれなかったのだ。
夜のヴェールに包まれた公園を、まるで恐れることは無いと言わんばかりに突き進む少女。 僕は手を引かれるままに着いていき、いつの間にかたどり着いたのは陽光の差す昼間の見知らぬ公園だった。
「・・・あれ? なんで昼・・・・」
思考が上手く働かない。
常識的に考えてありえない事態が起こっているのに、僕の心の中では何も不思議な事なんて無いんだと、この現象を受け入れている自分がいる。
「ついたわよおじさん! さあ一杯遊びましょ」
それから僕はしばらくの間、流されるように少女と遊んで過ごした。
縄跳びにあやとり、公園の遊具を使って遊んだり二人で追いかけっこをしたり。まるで童心に返ったかのように無邪気に遊んでいた僕は、公園内に響く正午を知らせるサイレンの音を聞いてふと我に返った。
(こんなことをしている場合じゃ無いな。明日の仕事も早いからすぐ帰って寝なきゃ)
不意に立ち止まった僕を不審に思ったのか、少女は心配そうな表情を浮かべてこちらの顔を覗き込んできた。
「どうしたの? おじさん大丈夫?」
「・・・ごめん、そろそろ帰らなきゃ」
僕の言葉を聞いた少女は眼をうるうると潤ませて僕の服の裾をぎゅっとつかんだ。
「なんで? 私と遊ぶの楽しくなかったの?」
「・・・違うよ。楽しかった、でも明日仕事があるんだ」
「仕事?」
少女はきょとんと首をかしげる。
「それって友達と遊ぶことより大切な事なのかしら」
「・・・そうだね。きっと大切な事なんだ」
その言葉を聞いた少女はしばらくじっと僕を見つめるとぽつりと呟いた。
「つまりおじさんは仕事が好きなのね?」
その問いに何故か僕は動揺してしまう。
大切な事と好きな事。それを何の疑いも無くイコールで結べてしまうその純真さに目がくらんだのだ。
「・・・好き・・・では無い・・・・・・と思う。ただ必要なんだ・・・お金を稼ぐために」
「それは友達よりも大事?」
「・・・ああ、きっと」
そう、それはきっと大事な事だ。
お金を稼ぐため。
社会の一員として立派に貢献するために。
「でも・・・おじさんは何だか幸せそうに見えないわ」
ハッと少女の瞳を見る。
どこまでも澄んだ宝石みたいな瞳がまっすぐにこちらを見上げていた。
「おじさんは幸せじゃ無いけど必要だから会社に行くの?」
答えられない。
僕にはその問いにふさわしい答えが用意できない。
何故
何故僕は働いているのだろう?
生きるため?
お金持ちになるため?
少なくともここ数年、胸を張って幸せだと言える日なんて無かった。
(じゃあ何で僕は今の会社で働いているのだろう?)
わからない
わからない
「ごめんなさい。困らせるつもりは無かったの」
思考の迷路に迷いかけた僕を少女の幼い声が現実に引き戻した。
「また一緒に遊びましょう。約束よ」
そう言って無邪気に笑いかける少女。
何故か視界がだんだんぼやけてくる。
ゆらゆら
ゆらゆらと
「・・・君は何で僕と遊んでくれるんだい?」
ぼんやりとした意識の中、僕は少女に問いかけた。
「決まっているじゃない。友達だからよ」
そう言って笑いかけた少女の顔は何かとても懐かしいような、そんな気がしたのだった。
◇
気がつくと僕は、コーラの空き缶を片手にぼんやりとベンチに腰掛けていた。
夜の公園は蒸し暑く、じんわりと汗が噴き出てくる。
先ほどの不思議な体験を思い出し。
少女の顔を思い浮かべる。
そして思い出した。
小さな頃、家の近所の公園でよく一緒に遊んだ名も知らぬ少女がいた事を。
また遊ぼうと毎回口約束をかわし、そしていつしか一緒に遊ぶことは無くなっていた。
「・・・あれ? なんで・・・」
頬に暖かい水が伝う。
友達だと言ってくれた。
幼い頃何度か遊んだだけの名も知らぬ僕に。
夢も希望も無い、抜け殻のような僕を。
友と、呼んでくれたのだ。
闇のヴェールは静かに夜の公園を包み、名も知らぬ虫たちのオーケストラがただ一人の観客のために鳴り響く。
今しばらく、涙が涸れることは無さそうだった。
FIN
夏の夜の夢 武田コウ @ruku13
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