乾燥

 ニュースになっていた人魚のミイラの話をしていると、先輩が「ウチにもあんで」と言ってきた。


 その時は「何言ってんすか。本当にあるなら見せてくださいよ」と笑って終わった。だが数日後、その先輩が紙袋下げて私の家にやってきたのだった。


 「見せたろ思て」

 そう言って紙袋から出したものは、30センチほどのカラカラに乾いた魚――の体の先にギリギリ哺乳類に見える上半身がついたものだった。小さな歯がならんだ頭部も尖った爪の付いた手も、「人」とは言い難く、とはいえ猿や他のケモノにも当てはまらず、どこか造り物めいていた。


 とはいえ確かに「人魚」と言える範囲の異形の異物だった。上半身も下半身も乾燥しきっているが、最近のもののように生々しい。それに素人目には継ぎ目のようなものも見当たらない。造り物めいていはいるが、造りの痕跡がない。まるで実際そういった生物であるかのようにしか思えなかった。


 だが。

「……開いてます、ね」

 そう、細かい鱗に覆われた魚状の下半身は、まっすぐ腹を裂かれて開かれていた。内臓はない。しかし厚みのある内側の肉には背骨と左右に伸びるあばら骨が埋まっているのが見て取れた。それはまるで。

「『開き』じゃないですか。ミイラというより干物にしか見えないすよ」

「そりゃそや。『開き』やもん」

「は?」

「伊豆の道の駅で天日に干されて売っとったんやから」

「道の駅? 土産じゃないですか。マジで干物じゃないですか!」

「そう言うてるやん」

 先輩は話を聞かない後輩にちょっとあきれ顔になり

「でもミイラはミイラやろ」と言うのだった。


 私は飲み込めずに眉を寄せて「うーん」と唸った。

「なんや不服か? ジョークグッズで担がれてる思うとるんか?」

「いや、そうじゃなくて」

 私はキッチンの引き戸から袋を取り出した。

「煮干しか? それがなんやの?」

「この前ススーパーで買ってきたもんです。これもミイラですか?」

 先輩は300g入りの袋を見ながら少し吹き出した。

「ふっ、せやな。カタクチイワシのミイラちゅうことやな」

「そうじゃなくて」

「ウルメイワシか? そこは何でもええやん」

 こまいこと言うなあとまたあきれ顔になる先輩の眼前に袋を突き出す。


「そうじゃなくて。よく見てくださいよ」

「はあ? なんやええ魚の煮干しなんか?」

 先輩が寄り目で袋を見つめ、やがて目を丸くした。

「げっ、イワシやないやん! いや、体はイワシっぽいけども」

 そう。銀の腹と黒い背はイワシのそれと変わりない。だがその頭はイワシどころか魚とは思えぬ丸い形をしており、エラのあるべきところから二本の細い腕が生えていた。

 一袋丸々そうだった。


「人魚やん!」

 先輩が感心したように言った。

「こんなちっこい人魚おるん? 人魚の煮干しか!」

 その言質を待っていた。

「そうですよ。煮干しですよ。干物がミイラなら、これもミイラになっちゃうじゃないですか!」

「紛う事なきミイラやろ。自分気にしてたのそこ?」

「そこですよ」

 そこだった。

「だって食べ物をミイラって言っちゃうのはどうかと」

 一緒にしたい概念ではないと思うのだ。


 でも先輩は違うようだった。

「いや用途は関係なやろ。腐らず乾いた死体は漏れなくミイラや。だいたい昔は人間のミイラを……」

「わー! 知ってます知ってます。言わないでください。煮干しが食えなくなっちゃいます」

 手を振って拒絶する私を「繊細やな」と笑っていたが、何かに気付いて先輩は「ん?」と首を傾げた。

「え……? 食うん? それ?」


「? 先輩んとこは煮干し食べないんですか?」

「いや食うし、ダシもとるけども……『それ』は得体がしれんすぎん?」

「普通にスーパーに売ってるもんですよ? 怪しくないすよ」

「いやまあ……うん、それもそやな。食い物として売っとるんやしな」

 先輩はしばし私を見ながら考えていたが、やがて何かに納得してそう言った。

「……そんじゃこれも炙っとく?」

 そういって『開き』をぶらぶらさせる。

「いや、それは食えないっす」

 私はきっぱり言った。

「えー! なんで? 人魚差別う?」

「先輩いつ伊豆行ったんすか」

「先々月。……ああ、あかんな。腹壊すわ」


「でもなんか小腹空きましたね。といっても今は……」

 冷蔵庫を開けてみるが、ちょうどいいものがない。

「チャーシューくらいしか……あ」

 あるものが目に入った。

「なんかいいもんあった?」

「煮干しがミイラならこれもってことすか?」

 取り出して先輩に見せる。

「なんや? チリメンジャコやん。それが何……え? まさか? うわちっさ!」

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