一、「いっか」

 今回の台風は酷かった。私の住むあたりはましな方だったけれど、それでもあちこちで被害が出ていて、朝から交通機関はマヒした。

 昼過ぎになって、出社することになった夫を玄関まで見送った。普段はそんなことしないけれど、ちょっと気の毒になって。ここまできたら全休でいいじゃない。ついでにそのまま外に出て、玄関や家の前を掃除することにした。玄関前は中に入れ損ねた鉢植えは倒れているし、散らかり放題だ。風で飛んでしまったものもいくつかありそうだ。

 家の前も周囲も相当だった。どこから飛んできたのかプラカップやビニール袋や葉っぱや木の枝や、正体のわからない花のつぼみなんかが道じゅうに散らばっている。吹き溜まりになっている場所はとりわけゴミが積もっていて、ちょっとした山があちこちにできている。

 向かいのゴミ置き場にできた山は、一段と高い。近所の人が自分の所に積もったゴミをそこに放ったからかもしれない。

 私もそうするかと思っていると、ゴミの山がもぞもぞと動いた。ネズミでも隠れていたのかと目を凝らしたら、顔を出してきたものを見てぎょっとした。

 4つほぼ同時に覗いたそれは、人の顔に似ていたのだ。

 似ているが、大きさは子猫ほどもない。やがてそれらはかき分けるようにしてゴミの山から抜け出て全身を現した。

 それはヒトというより植物の根と言ったほうが近いものだった。顔はたしかに人を思わせるし、二本足で立つ姿は人型とは言える。でも四肢は貧弱で心もとなく、細い根を寄り合わせたみたいだし、頭から伸びる毛はひげ根の束にしか見えない。そんな姿でも、人っぽさを感じさせたのは「服」を着ていたからだろう。素材は布なのか木の皮なのかゴミなのかわからない。作りも雑だ。だけどもさほどボロくも見えず、見る限り人の服の形をしていた。

 ジャケットのようなものを羽織った背の高い1体が、他の個体についたゴミを落としながら気遣っている。それをスカートを履いた二番目に大きくて、ひげ根の長いものが手伝う。残り2体は半分くらいの大きさしかなく、落ち着きなくあたりを伺ったり、互いにじゃれあっていた。

 父、母、子……。そのように見えた。

 ある言葉がふいに浮かんだ。

「これがほんとの……」と無意識に言いかけて、飲み込んだ。

 危なかった。

 眼を閉じ、言いとどまれたことに安堵のため息をつく。

 ふと視線を感じた。

 眼を開けると、一瞬だけ彼ら全員と目が合った。が、4体はすぐ目を逸らし、不自然そうにあたりを見たり伸びをしたり自らの指の先を眺めたりした。

 父―― 一番大きい個体が、一番小さな個体を抱え上げた。もう一体の子――半ズボンのようなものを履いた小個体が、その背に這い登り、肩車をねだる。髪の長い母がそれをいさめる。ほのぼのとした、家族の風景を思わせる。

 そうしながら、私をチラチラ見る。何かを期待するように。いやいやいや。

 絶対に言わない。言ってたまるか。

 一体あれらがなんなのか、気になって仕方がないが、このまま見ていると、不意に口をついてしまいそうだ。

 結局私は、彼らに気づいてないふりをすることに決めた。

 自分の家の前だけ手早く掃き、たまったものをゴミ袋に入れた。袋は玄関前に放った。ゴミ置き場にはもっていけない。そもそも今日はゴミの日じゃないし、昼過ぎだ。

 羽ばたく音がした。続いて耳に触る金切り声。

 振り返ると、カラスがゴミ置き場に舞い降りてくるところだった。同時にけたたましく威嚇の声をあげる。

 威嚇された小さな異形たちは騒然となった。

 エサにしようというのか、カラスは彼らをついばもうとする。そのカラスに向けて、なんとジャケットの個体が手近な小さな個体を投げつけた。それで怯んだ一瞬をついて、その個体は真っ先に逃げ出した。

 マジか親父。

 それを唖然と見ていた残りもすぐに我に返り、それぞれてんでばらばらの方向に散っていった。投げつけられた個体も這うようにして逃げた。

 それをカラスは低空飛行で追っていく。投げつけてきたことにムカついたのか、最初に逃げたジャケットの方へ向かっていったようだ。

 あとには散らかったゴミ置き場と、ホウキ片手の私が残された。まるで嵐が過ぎ去ったかのようだ。いや実際そうではあるけれど。まさにこれがほんとの……いや言わんけど。

 遠くでカラスが鳴いた。

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