Basis23. 決戦前夜

 海緒が失踪した日の夜、私の部屋に風花が訪れた。


「華凜ちゃん、今大丈夫かな?」

「……風花。うん、大丈夫」


 今日の出来事が私にとって理解のできないものであった。海緒が私に向かって撃ってきた。魔闘デュエルでも何でもないにも関わらず、だ。その事実が胸をぐるぐるしている中での風花の存在は一種の清涼剤である。


 風花は私の隣に座った。ちょうど私がベッドに座っていたこともあってか、その距離は少しだけ近いものを感じる。風花は私を一瞥すると、何かを察したように言った。


「……何かあったの?」

「まぁ……そうだね」

「……海緒が帰ってこないことと関係があったりする?」


 胸がつまる。今日あった出来事をちゃんと話すべきなのだろうか。……話したほうが私がスッキリする。だから私は重い口を開いた。風花は私の話をただ無言で聞いていた。時折頷く仕草を見せ、私が今日の話を終えると少しだけ押し黙る。そして永劫にも思えた沈黙を引き裂くように風花の口が開かれた。


「華凜ちゃんは……アイツのことをどんな人間だと思ってる?」

「海緒は……いつも元気で、悩みなんてないみたいに振る舞ってて、それでいて心の中には深い決意を持っている。私が見習わないといけない存在だと思う」

「……そう」


 風花はそう呟くと、こちらの目を見据える。いきなりの出来事に少しだけ驚くが、私も同じように風花の目を見ていた。だってその目は……私に何かを伝えたいと決意した目だったから。その決意を私は受け取らないといけない。


「君は……昔の海緒を知っているか?」

「昔の海緒?」

「人生にはその人の生き方を大きく変えるターニングポイントがある。海緒は既にそれを通過していると言っていい」


 3つのターニングポイント。それはまるで私の失われた記憶と似たようなものではないか……?


「……教えて」

「1つ、この世界への転移。転移前の世界では海緒がどのように育てられていたのかは定かではないが……少なくとも孤児院で幼少期を過ごすことになったことを鑑みれば環境としては悪くなったと想像できる。本来あったはずの生活を突如として奪われる、それはターニングポイントとしては十分だろう?」

「2つ目は?」

「東條裕貴との別れだ。海緒と東條はいわば本物の姉弟のようだったと聞いている。そんな彼との別れは当然だが海緒の心に深い影を落とすことになってもおかしくはない。別れの理由が魔術適正ニトロナイズに関与するとなれば尚更な」


 魔術適正ニトロナイズ。この世界においては人の絶対的評価にも用いられることがある指標の一つ。それを悪と断じることはできないが、指標によって引き裂かれたものは確かに存在している。


「……じゃあ最後は」

「……本当に知りたいのか?」


 急に風花が話すことを躊躇いはじめた。最後のターニングポイントというのはそんなに言うことが憚られるような内容なのか?


「……それを知ってしまえば君はもう海緒のことを前のようには見ることができなくなる」

「……それでも知りたいよ」


 覚悟を決める。私に銃口を向けたであろうその理由を知るためにはきっとその暗部に飛び込まないと行けないと感じたから。それに何よりも、私たちの仲はその事実を知ったことで揺らぎはしないと確信している。風花はどこか諦めた表情でこちらを見る。そして静かに語りはじめた。


「3つ目。それは海緒が犯した罪……違うな。海緒がだ」

「海緒が犯した罪……」

「海緒の孤児院は一度暴漢に襲撃されている。二年ほど前か。子供を拉致して売り捌いていた犯罪組織がその孤児院に目をつけたということだ。だが実行グループはその場で何者かにされている。それも『頁戻しルートチェンジャ』が状態でだ」

「……嘘だよ! それじゃあ海緒は……『黒の魔術』を使ったって言いたいの!?」


 頁戻しルートチェンジャが効かない状態。その言葉に私は心当たりがあった。そしてそれは今日の出来事に関する正当性を高めることにも繋がってしまう。


焼失する黒ロスト・ヘル』。黒の魔術を利用した犯罪を起こしている謎の組織。黒の魔術を利用していることがすなわち『焼失する黒ロスト・ヘル』であることに繋がらないが、爆破予告がされているモールでこんな事件が起きてしまったということは、海緒に対する疑念をより深めることになってしまう。


「……調査の結果、確かに海緒は『黒の魔術』を使用していた。だがそれは偶発的なもので、海緒自身もどうやって使ったのか覚えていないらしい」

「でも、使える資質はあるってことでしょ?」

「まぁ……そういうことになるが」


 何らかの理由で黒の魔術を使わされているという線はまだ消えていない。それでも海緒はそんな素振りを一切見せていなかった。


「その後だ。海緒はどこからこぎ着けたのか知らないが私のラボにやってきてこう言った。『私を雇ってくれ』とね。アイツは魔術適正ニトロナイズこそ最悪だが……青の魔術だけは一級品なのは君も知っているだろう? 端的に言えば海緒は私の被検体として最適だったんだ」

「だから風花がスポンサーになったんだ」

「ああ。……海緒は時々こんなことを言っていた。『アタシに誰かを護るだけの力があればあんなことは起きなかったんじゃないかな』って。海緒は誰かを護るということに固執している。護るための力を手に入れる為であればどんな手段でも使う、そういう人間だ」


 護るための力。その成り果てが今日の事件を引き起こしたのだとしたら私はそれを止めなければならない。爆破予告がされた明日、必ず何らかのアプローチが成されるはずだ。


「ああ見えても海緒は繊細なところがある。それでも私は海緒の笑顔に救われてきた。もしも海緒に何かがあったというのなら私も協力したい」

「……明日、杜若グランドモールを爆破するって予告が届いてる。海緒がそれに関わっているかもしれない」

「……!」


 風花は驚嘆の表情を見せると、私の肩をがっちりと掴む。そして今にも泣きそうな表情でこちらを見上げた。


「風花も行かせて! もしも海緒が苦しんでいるのなら、風花はそれを助けたい!」

「相手は黒の魔術を使うのよ? 頁戻しルートチェンジャで蘇ることもできないかもしれない」

「それでもいいよ。恋人のピンチに命を張れないなんて神代風花の名が廃る」


 やっぱり海緒と風花はそういう関係だったのか。でも、風花が爆破阻止に協力してくれるのならば百人力だ。


「今からモールの構造を分析してどこに爆破物を仕掛けるか想定してみる。後は実際に見てみないと分からない」

「お願い」

「……あと。この前の魔闘デュエルを分析したの。音切と戦っている時のアレだ」


 いよいよ戦いに向けて準備をしようというときに、風花はそんな気になることを話し始めた。本来この部屋にやって来た目的もおそらくこの話だろう。


「あの時、存在していない必殺技が放たれた」

「存在していない必殺技?」

「『純粋なる赤True red』。これを装填して必殺技を発動した上で、華凜ちゃんはもう一回『猛火の中に輝く者フレイマー』を発動した」

「そうだね」

「本来はそれは不可能なはずなんだ。そんなことをすれば『演算式・調色トナー・ドライバー』によるキャパシティを越えることになる。すぐにセーフティがかかって強制停止するはずだ。だがそれは為されなかった」


演算式・調色トナー・ドライバー』による必殺技の発動。魔装を一時的にその時に発動している魔術に応じた色のインクへと転換した上で、その魔装が放つエネルギーをそのまま蹴りの衝撃へと転換するというものだ。


 だが、音切さんとの戦いの場合は魔装がインクへと転換した上で、もう一本のフレイマーを用いて『猛火の中に輝く者フレイマー』を発動した。本来ならばオーバーキャパによって発動すらできないものが、何故か発動できる。風花が疑問に思うのも無理はない。


「……風花には1つの仮説がある。もしもこの仮説が真であるなら『Ma3430』でも同じことが起きるはずだ」

「……それってつまり」

「『深淵なる青Deep blue』とでも仮称しておこうか。『Ma3430』にも『猛火の中に輝く者フレイマー』と同じように魔装そのものを示す最終奥義のようなものが存在する。音切と似たような状況におかれた状態で使うことができれば華凜ちゃんは『白』に到達できる」


『白』への到達。それはそのまま『基底』そのものの観測に繋がる。失われた記憶の残り2つ、そのうちの1つを取り戻すこともできるということだ。


「華凜ちゃん。今、海緒のことをどう思ってる? これまでの話を聞いて、何か変わるところはあった?」


 急に風花はそんなことを聞いてきた。どう思ってる、か。海緒の過去には様々な出来事があった。親族との突然の別離、姉弟同然の存在との別離、そして平穏な世界からの別離。海緒はあまりにも様々なものと別れ続けていた。そして今も海緒は私たちから別れようとしている。


「何も変わらない。海緒は海緒だ」

「それならいい。……明日は思い切りドデカいお灸を据えに行くぞ」


 風花は私に向かって拳をそっと突き出してきた。拳同士を軽く小突き合わせる。風花が微笑を見せると、私もそっと微笑んだ。


 私と風花、海緒に対して抱いている感情の意味合いは異なっても、向いている方向は同じだ。大切な友達を救い出すということに関しては私たちは同じ志を持つ者。


 暦上は4月の終わり、それに背を向けるように私たちは前へと進む。明日は戦いだ。モールも、海緒も、全部まとめて救ってハッピーエンドだ!

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