Basis20. 持統院玲の実像

「……? ここは……」

「あっ、やっと起きた」


 私はいつの間にかやけにふかふかなベッドに横たわっていた。周囲に置かれている調度品も高級であることが素人目でも明らかであり、どうやら私はどこかの邸宅に連れ込まれたらしいということは明らかであった。しかもその相手がさっきまで戦っていた相手だとすれば警戒心も一層増すというものだ。


 だが、そこにいたのは制服の上からエプロンを付け、土鍋のようなものをサイドテーブルに置いている会長の姿だった。その姿にどこか家庭的なイメージを感じるのは私がこれまで抱いていた会長像と全く違うからだろうか? しかもさっきからいい匂いが漂っている。おそらく土鍋の中からだろう。


「……会長」

「大丈夫、変なことをするつもりはないわ。それよりも痛いところはないかしら?」

「っ……大丈夫です。あの時ほどじゃありません」


 少し身体が痛むものの、前みたく身体を動かす度に激痛が走るとかそういうものではないだろう。一般的な筋肉痛のそれと考えれば問題ない。


「ふふっ、華凜ちゃんったら無理しすぎよ」

「……無理をしてでも勝ちたかった」

「まぁ気持ちは分かるけどさぁ」


 会長は困惑した表情を見せるが、すぐに元の表情へと戻っていった。私の姉を自称するだけあってか、余裕綽々といったところか。


「それよりもお腹空いているでしょう? 雑炊を作ったんだけど……」

「風邪ひいたわけじゃないんですから……」


 さっきからの匂いの原因は雑炊らしい。ただのお粥という訳でなく雑炊というくらいなのだから、相当凝っていると信じたい。会長はベッドの横に座り、土鍋の蓋を開ける。


「わ……」

「あまり高級なのも華凜ちゃんが躊躇っちゃうでしょう? だから卵雑炊にしてみたの」


 いや、これ卵雑炊にしては明らかに品が違う。なんか雑炊そのものがキラキラ輝いているように見える。確かに卵雑炊というだけあってシンプルな構成ではあるものの、その一つ一つが高級品ということだって考えられる。


 しかし私のお腹は正直なようで、それを喰らいたいという気持ちを示すように音を鳴らした。会長がその音に呼応するようにクスクスと笑う。少しだけ恥ずかしくなったものの、食べる口実はできた。


「……じゃあいただきます。あの、レンゲを……」

「あーん」

「……あーん」


 既に私に食べさせるつもりなのかレンゲを強奪し、熱々の雑炊に向けてふーふーと息を吹きかけ、こちらに微笑む。まぁ正直なところこの状態で身体を起こして食べるというのは辛いものがあるのでありがたくはあるのだが……


 確かにこの雑炊も絶品だ。しっかりとダシが出ているのか、薄口な印象でありながらもしっかりと口の中に風味を残してくる美味しいものだった。そうやって会長にあーんしてもらいながら食べさせている間、会長の顔はデレデレになっている。私の一挙手一投足に反応して黄色い声を上げる様はペットを可愛がる様に似ていた。


「華凜ちゃんもそういう表情するんだね」

「……?」

「食べてるとき、可愛い笑顔になってるから」


 むしろ私のことを一体何だと思っているのだろうか? 美味しいものを食べれば頬が緩むのは当然のことだろう。食事の時ですら鉄面皮でいられる人間がもしもいるとするならそれは人間ではなくロボットかアンドロイドくらいじゃないか?


「そうですかね」

「ふふっ、春芽舞闘会スプライトカレードの時は凄かったよ? いつ見てもとってもキリッとした表情で、かと思えば鬼神でも宿ったかのようなこわーい顔にもなってたし」

「……よく分からないです」


 自分では笑えていると思っている。春芽舞闘会スプライトカレードの時だって少しくらいは笑っている場面があったはずだ。きっと会長はそれを見逃しているだけだ。そうに決まっているだろう?


 そうやって会長は私をからかいながらも、一口一口とレンゲを私の口に突っ込んでくる。今は少しだけこの優しさに浸っていたい。少しだけであるが、こういうのも悪くはないと思う。その先に身体を捧げろとか言われたらその幻想は一瞬で破壊されることになるが。


「……ここまで会長が運んでくれたんですか?」

「まぁいろいろ使ってね。ふふっ、明日から華凜ちゃん大変だと思うよ?」

「……覚悟はしておきます」


 まぁ私が意識を失っている間になんかやらかしたんだろう。そのやらかしがどんなものか……大体想像できてしまうのは私も会長に毒されているのかな。


「ごちそうさまでした。とても美味しかったです」

「お粗末様でした。喜んでくれたら嬉しいな」

「それで……共盟リージョンの話ですが」


 共盟リージョンの話を持ちかける。元々あの魔闘デュエルはこれを賭けたものであって、きっちりと話をつけないといけない。


「私の勝ちだから……受けてくれるのね?」

「そういう戦いですから」

「ふふっ、それだけじゃないでしょう?」


 会長の顔に妖艶さが灯る。それは私が病院で見たあの表情と似たようなものだ。これはまた背筋がゾクリとする感覚が襲いかかる。あの時のプレイバックということになりかねない。動けないということはないので、ゆっくりとベッド上を後ずさりする。しかし、会長も同じように四つん這いになってこちらに迫る。


「か、会長……」

「……玲。せめて二人っきりの時は名前で呼んで」

「で、でも」

「……華凜ちゃんにはそう呼んでほしい」


 ガシッと腕をホールドされた。会長は扇情的な眼差しでこちらを見ている。それは妖艶な姉というよりは甘えたがりの妹といった印象が強い。そんな不意に見せたギャップに私は面食らってしまった。


「……玲先輩」

「せ、せんぱい」

「……いけませんか?」


 いきなり呼び捨てというのは流石に心理的圧迫感がある。かといって名前で呼ばないというのもある種の弱みを握られている私にとっては好ましくない。故の妥協点だ。


「……ううん。先輩、いい響き」


 そう言うと玲先輩はいきなり私に抱きついてきた。あまりの変貌ぶりに当惑してしまう。玲先輩てこういうキャラだったっけ? カップリング的にいえば常に左側に立っているような存在であるという認識だったが、その認識を改めなくてはいけないのか……?


「華凜ちゃん、私の願いって何だと思う?」

「……私を妹にしたいって話じゃないんですか?」

「それもあるけどね」


 玲先輩は少しだけ寂しそうな顔をすると、こんなことを囁いた。


「私と同じ世界が見えている友達が欲しかったんだ」

「玲先輩……」


 玲先輩の頬が少しだけ濡れていた。玲先輩はきっと私のことを白の観測者ヘヴンズ・オブザーヴァとして同じ世界が見えているのだと考えているのかもしれない。でも、私は玲先輩のように強いわけではない。それなのに何故……?


「ふふっ、華凜ちゃんは私のことを利用してくれればいいよ。華凜ちゃんの為ならどんなことだってやってみせる。その代わり……私を一人にさせないで」


 それは持統院玲というひとりの少女としての側面。照葉学園という一つの組織を背負って立つ存在ではなく、ただ友達と一緒に何かをしたいと考えているような。私はそんなささやかな願いすら唾棄してしまおうとはどうしても思えなかった。


「……今日は泊まっていってもいいですか?」

「……うん」


 その日は玲先輩の家に泊まることにした。玲先輩は私の世界について詳しく話してほしいと言ってきた。私は自分の世界の話をすることにした。何でもない日常の話だ。魔術で戦いが起きるわけでもなく、学校で勉強をして、休みには友達と一緒に買い物に行ったり遊んだり。私たちの世界でいえば退屈な日常というものだ。だが、そんな話にも玲先輩は目を輝かせながら食いついてくる。


「……そんなに珍しいことじゃないと思いますけど」

「私にとっては未知の世界だわ。きっと私はそんな世界を望んでいるのでしょうね」

「……私にとっては玲先輩のほうが羨ましいですよ」


 少なくともこの世界においては玲先輩は羨望の的と言っていい。魔術の能力も優秀であり、生徒会長としてのカリスマも素晴らしい。さらに言えばお金持ちでもある。そういう存在に憧れを持つことは、私のような札束に縁もゆかりもなかった一般人にしてみればそうなりたいと思うのは当たり前だ。


 だが、玲先輩はその言葉をやんわりと否定した。


「どんなにお金があっても、どんなに優秀でも……私は幸せじゃなかった。華凜ちゃん。私にとってはね、たった一人の友達がいることが何よりも重要なのよ」

「だったら……何で私なんですか? どうして私にあんなことを?」

「……ああでもしないと貴女を堕とせないと思ったから」

「そんなこと」


 あるわけない、と言い切ろうとした。だが、それこそが玲先輩の堕としたかったものだったのかもしれない。


「私は『照葉学園の生徒会長』という虚像ではなく、『持統院玲』という実像を見てほしかった。特に私と同じ世界が見られる華凜ちゃんにはね」

「玲先輩は……私と何がしたいんですか? その……そういうこととか?」

「あれは……普通の友達が何をするか分からなかったから……」

「普通の友達はそういうことしません」


 それもそうねと玲先輩は頷く。突如として重箱に入った弁当を持ち込んできたのも普通の友達が何をするか勘違いしてのことだろう。まぁ……あれは私の胃袋を掴むという目的もあっただろうが。


「だから私が華凜ちゃんにこの世界を教えるように、華凜ちゃんにも私にいろんなことを教えてほしい」

「ええ。それが玲先輩の願いなら」


 玲先輩はそっと私を抱き寄せた。胸が身体に押しつけられる。別になんらドキドキすることでもないのに心臓の鼓動が速くなる。しばらくするとすぅすぅと寝息が聞こえてきた。玲先輩は安心しているのか、グッスリと眠っている。


「……本当は悪い人じゃないんだろうね」


 私も同じように眠る。明日もまた授業であるが、そこは玲先輩に頼ればいいだろう。わざわざここまで連れてきたんだから学校への行き方くらいは教えてくれるだろうし。だが、どうやら思った以上に玲先輩の存在というのは大きなものだったようで……


 翌日、私と玲先輩が一緒に登校するとその光景を見た女子生徒からは黄色い声が飛び交い、男子生徒からはなんとも言えない表情で見られていた。


 ……玲先輩、本当に何をしたの?

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