Basis17. 悔恨を晴らすということ
私のケガも授業が始まる前には完治して、無事に学校に行くことができるようになった。魔術によって医療の技術が格段に上昇しているというのは素晴らしいことだと思う。
だが、『
「おはよーりんりん!」
「おはよう海緒」
海緒は自分だけならかっ飛ばすこともできるが、私と一緒に登校してくれると言ってくれた。曰く、登校中に不審者に襲われないようにとのことだ。さらに言えば、私が入院している間に四星寮に篝が引っ越してきたという。私を守護するための包囲網が着実に完成している。今は見えていないが、どこかで私たちを監視しているとのことだ。
「りんりんって頭いいの?」
「どうなんだろ……平均よりはいいんじゃない?」
中学時代は成績はそこそこ良かったと思う。上から数えた方が早いもので、時々成績上位者として貼り出されることもあった。だからその辺では自信があるはずだ。だが、この世界の勉強というのがどれくらいのレベルなのか不明だ。まかり間違って高校レベルをすっ飛ばして意味の分からないことをやらされることになったらどうしようもない。
「てか教科書は?」
「マナミールに入ってるはずだよ?」
そういうことは先に言ってほしい。その事実を知っていれば病院のベッドで寝ている間に確認をすることもできたなと後悔してしまう。早速マナミールを起動して教科書に目を通す。
「普通だ」
「普通ですかい」
ちょっと先取りして学んでいた高校の内容とほぼ同レベルと見ていいだろう。ここの世界でもある程度までは通用するはずだ。ただ、歴史とかは大変なことになってそうだなぁ……。
「まぁこの調子なら何とかなるかな。魔術関連の授業以外はね」
「それは慣れるしかないっしょ」
「うげー……」
教室に入ると、明らかに周囲の視線が変わっていることを理解した。後に確認したところ、私と音切さんの戦いは相討ちということになっているそうだ。それは、私が音切さんと同等、もしくはそれ以上に匹敵する力があるという証明であった。さらに言えばその時の映像まで出回っており、そこには互角に戦ってみせた映像がしっかり収録されていた。
「橘さん」
「……音切さん」
入ってくるなり、音切さんが私たちに話しかけ、頭を下げる。
「ちょちょっ、何事?」
「私、橘さん達に酷いことを言ってしまったわ。それはもう取り返しがつかない。だからしっかりと謝らせてください。それに私、春芽舞闘会の時も……」
「許せるわけないじゃん!」
そう口火を切ったのは海緒だった。なあなあにして終わらせようとした私にとってはそれは予想だにしなかったものであり、動揺を隠せない。
「あんたは
音切さんは苦虫を噛み潰したような顔をしている。私は『基底』から情報を与えられる形で音切さんの過去を『観測』している。被害者でありながら加害者である音切さんにとってはその意味を重々理解しているだろう。
「ごめんなさい、私のしたことは許されない。それは承知の上よ」
「……アタシはアンタのことはしばらく許せないと思う。それでもアタシたちは許して生きていくしかないんだよ」
海緒はこちらの方を向いてニコッと笑って見せた。そしてその笑みを音切さんにも同じように向ける。音切さんはその行動の意味を理解することができずにポカンとした顔をしていた。
「アンタに何があったかアタシたちが知る由はない。それでも自分の行為を悪いものと認めて謝ってみせた。後はアンタの行動次第なんじゃないの?」
「私の、行動次第……」
「そ。まぁアタシとしてはクラス内で邪険に扱ってくれなければ何だっていいや」
そう言いながら自分の席についた。海緒のメンタルの強さは鋼の如く強靱だと改めて実感する。そういうカラッとした強さは私には到底持ち得ない強みだ。
「私も海緒と同じ気持ちだよ。まだ魔術もまともに使えないから……もしも仲間外れとかにされたら悲しい」
「……橘さん、後で折り入って話があります」
「話?」
ここでの謝罪は実はフェイクで先の
「朝から大変ですわね」
「アイリスおはよ」
「ごきげんよう」
アイリスはその様子を沈静に眺めていた。本人としては干渉する意思はないのだろう。あくまでも私と音切さんの問題、ということか。
「そういえばアイリス、
「……申し訳ないのですが既に相手がいるのです」
「マジ?」
私の唯一の伝が無くなってしまった。悪魔の足音が一瞬で走り寄ってくる音が聞こえてくるように心臓がキュッとなってしまう。これは本格的に妹にさせられてしまうのでは?
「わたくしの従妹もここに通っているのですわ。ですからそのお世話をお父様から承っているのです」
「従妹ねぇ」
「期待に添えず申し訳ありませんわ」
「いーの。家族間での取り決めなら仕方ないか」
口ではそう言ってみせるもののこれはかなりのピンチでは? 海緒と篝は既に
「(詰みだ……)」
学園生活の開始早々に頭を抱える問題が発生したことに悶絶する。しかし問題はこれだけで終わらないのだ。
授業間の休み中に私は音切さんに呼ばれて人気の無い場所へと連れてこられる。既に何事もなかったかのように修復された屋上に呼ばれた私はホイホイとそこについていく。
「で、話って何?」
「……橘さんは『黒の魔術』について何か知っていることはあるかしら?」
「何それ?」
名前自体は既に情報として入っている。だがそれが一体どのような存在であるのか、どのような効果を持つかまでは私には知るよしがない。音切さんも私が黒の魔術に関して具体的に知らないことを見越しているのか、そのまま話を続ける。
「……まぁそうよね。これを見て欲しいの」
制服のポケットから取り出されたのは、ジッパーの中に入れられた黒のブレスレット。おそらく音切さんが春芽舞闘会の際に付けていたそれと酷似している。
「これに心当たりは?」
「音切さんが付けてたやつでしょ?」
「……やっぱりそうなのね」
音切さんはその事実を確認すると、かなり深刻な表情と共に深いため息をついた。
「正直に言うと……このブレスレットを何故私が持っているのか全く分からないの」
「分からない?」
「記憶を根こそぎ消去された、って感じと言えばいいかしら。春芽舞闘会が始まってからの記憶が私にはない。そこから病院のベッドの上で目覚めるまで私が何をしていたのか、どんな行動をしていたのか、どんな手段を用いても思い出すことができないの」
音切さんにしてみれば記憶の混濁が起きても仕方がないだろう。目が覚めたら全身を負傷していて、しかも病院のベッドの上にいる。音切さんがやったことへの怒りはあるもののその境遇にまで憤慨する気はない。
「それでNMOから話を聞いて私が行った過ちを知ったの。そしてこのブレスレットについて聞かれた。状況としては私が黒の魔術を行使したってことになるみたいなことを言われたから全力で否定したわ」
「でも何で私にその話を……?」
「結果的に助けてくれたのは橘さんでしょう? それに、この話を教えておくことは橘さんにとって有益であると思ったから」
要領を得ない話だ。どうにも何か裏があるような、そんな勘繰りを入れてしまう。だが、この世界について何も知らない私にとってはこういう情報の断片が有益であるという事実は変えられない。
「ありがとう音切さん」
「……最後に一つ忠告させて」
もうすぐ休み時間も終わろうという時に、音切さんは意味深な言葉を呟いた。
「この世界は橘さんが思っている以上に暗部が存在する。私もそれの一つみたいなものだけど……もっとドス黒い、世界ごと転覆させてしまうような『黒』。それを『目撃』してしまうと誰でも私みたいに自我を失ってしまう。決して、黒は目撃してはいけないわ」
音切さんは言い終わると使命を果たしたかのように教室へと戻っていった。もうすぐ休み時間も終わるので私も教室へと戻る。しかし、その間も何故か音切さんの言葉が脳内で反芻される。
「(黒……目撃……)」
最初に音切さんと交戦して私がフレイマーを用いて魔術を発動させようとしたとき、音切さんは同じようなことを言っていた。目撃したが故に通用しない。
その結果、私の魔術は完全に無効化された。海緒の魔導弾も音切さんを貫こうという時にまるで最初から存在しなかったかのように消えた。僅かな状況証拠でしかないが、そこから導かれる結論は至極単純なものだ。
黒の魔術、それは魔術が『基底』を成すこの世界におけるメタ。魔術の極致をこの世界で『白』と表すならば『黒』はその対極に位置するものだ。そのメカニズムは全く分からないが、少なくとも世界の敵であるということは想像に難くない。
だがそうなると一つ深刻な問題が発生する。白と黒で分けられているのは魔術だけでなく、『基底』も同様だということだ。魔術が明白に対立している以上、『基底』も同様に対立する必要がある。だが、『基底』は全く同じ目的……この世界の破壊に向けて足並みを揃えているのだ。
しかしこれ以上は推測のための情報が足りない。今は今のことに集中する必要がある。頬をパチンと叩くと、私は意気揚々と教室に戻っていった。その様子を眺めている一人の影に気付くことのないまま……。
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