追憶. ある少女の回想~起点~/橘華凜の考察~邂逅~

 私が華凜と初めて出会ったのは、小学五年生のある冬のことだった。たしか転校初日のことだったと思う。初めての転校で心の中を不安が埋め尽くしていた私。転校先でどのような扱いをされるのか、それは何となく想像できていた。


「それじゃあ入ってください」

「は、はい……」


 教室のドアを開ける。そこに踏み込むと、どよめきのような声が上がった。あぁ。ここでもまた私は同じなのだ。男も女も、誰もが私の上っ面だけをなぞるように嬲る。そしてその違いを糾弾することに満足するんだ。それは何度も経験した出来事。故に私はもはや何も感じない。それが私の日常なのだから。


 私はチョークを手に取り、黒板に自らの名前を書く。小学生が書く名前としてはかなり難しい名前だと自負しているので念のためふりがなも振っておいた。


北柚きたゆず瀬笈せおいです」

「……それだけ?」


 担任の先生は何かを期待するように自己紹介を促す。だが、心底自己紹介が大嫌いな私は早くこの忌々しいギロチン台から逃れられたいという気分でいっぱいだった。


「よろしくお願いします」


 ぺこりとお辞儀をした後に教室を俯瞰する。誰もが私のことを興味深そうな視線で拘束する中、一人だけ視線を外している存在。私のことなど興味がない、何なら今の教室の茶番すら一笑に付しているような表情。彼女はさっさと終われと言わんばかりにけだるげな表情をしながら文庫本を読んでいた。


 窓際の一番後ろの席。先生はその存在の隣の席に座るように指示した。机の間を進んで自らの席に移る間も、針でも刺されているかのように私はチクチクと痛みを味わう。そしてそんな痛みから解放されるように席に座る。


 すると、彼女は机をこちらに寄せる。突然のことに内心驚いている私に対して話しかけてきたのだ。


「教科書、無いんでしょ。先生から話は聞いてる」

「う、うん……」

「私の見せろって言われてるから」


 そう言うと、一時間目の教科である算数の教科書を机の間に置く。そうすると彼女はまた元のように文庫本に目を通し始めた。ちゃんと授業を聞いていなくて大丈夫なのかと思いつつも、発覚しないように筆箱を楯にしている狡猾さは持ち合わせているようなのでそこまで不安に思うことはないだろう。


「あ、あの。えっと……」

「橘華凜」

「?」

「名前。一応隣同士だしね、北柚さん」


 そう言って私の方を向き微かに笑ってみせると、そのまま視線を本の方に向けた。私はこの感覚がとても心地よかったんだ。私のことを何も知らない他人が私の事情に深く干渉してくるのは大嫌いだ。だから、華凜の積極的に人と接そうとせずに本の世界に没入するスタイルはとても居心地がいい。


 そして、華凜は自己紹介を聞いていなかった訳ではないということも理解できた。ちゃんと聞いた上で、過干渉すべきではないという判断を下しているのだろう。精神的に成熟している、という印象だ。だから私はそんな華凜のことを知りたいと願う。それはこれまでの人生の中で初めて得た感情だった。


 ※


 記憶が復元されていく。空白だった地図が描かれていくように私の頭の中に情報が巡る。それは、まるで映画のダイジェストでも流しているかのようである種の幻想的なそれを想起させるものだった。そして私は記憶を一部分だけ取り戻す。ちょうど小学校を卒業するまでの部分だろうか。


 北柚瀬笈。それは私の人生の中で間違いなく親友と呼べる存在の一人であり、『最も敬愛する人物』であった。


 私の瀬笈に対する第一印象は『ファンタジーに出てくる妖精のよう』であった。瀬笈の髪は雪のように白くて、その目はウサギの目のように赤い。瀬笈が入ってきたときの教室のざわめきさえも、彼女の姿と同じように想起させられる。だが私は騒ぐ理由が分からなかった。


 ちょうどその時に読んでいた小説には、同じように髪が白い少女の話があった。それは本人が望んでなったものではなく、生まれつきのものであると。瀬笈はいわゆるアルビノと呼ばれる存在だった。


 小説の中の少女は自分が神様の生まれ変わりのように扱われることを嫌い、一人の少女として接してくれる主人公を慕うようになる。私はそんな主人公の気概に深く感服していた。そんな主人公に自分は重ね合わせられるだろうか? 違う、重ね合わせるんだ。


 だから私は彼女を『北柚瀬笈』として接することに決めた。何でも無い、他の有象無象と変わらない一人の人間だ。そこに『北柚瀬笈』という名前がある。それだけの話。


 最初のうちは互いに不干渉を貫いていたが、ある時瀬笈のほうから話しかけてくれたことがあった。確か私が読んでいた小説の話だったか? アルビノである瀬笈はその体質上、外での運動を好き好んで行わなかった。休み時間になればみんな運動場に出てサッカーやらドッジボールやらを行うアグレッシブさを私は持ち合わせていなかった。


 私は喜んで瀬笈に小説の話をした。瀬笈はその話を真剣に聞き、是非とも読んでみたいと朗々とした声で提案してくれて……私は少しだけ嬉しくなったんだっけ。私は喜んで本を貸した。翌日の朝にはもう返ってきて、その感想を語ってくれた。


 そうやって本の貸し借りを進めるうちに私たちはお互いの存在に対する壁が徐々に無くなっていると如実に思うようになった。それはもう友達だと宣告するまでもなく、既に私たちの間には友情が築かれているということに気付くと、私たちの中は急激に深まる。お互いの家に遊びに行ったりだとか、休日に一緒にどこかに行くだとか。私にとっても瀬笈にとっても、それは楽しい思い出だったと記憶している。


 でも、思い出すことができた瀬笈に関する記憶はこれだけ。私は瀬笈と出会い、仲を深め、友達になった。『基底』は記憶には三つの柱があると主張する。それならば、私と瀬笈に関する記憶にはこれ以外に大きく二つのイベントが存在すると言い換えても問題ないだろう。


 おそらく一つは私が出会った当時のクールな女から恋する乙女のような恥じらいの表情を浮かべるような女になってしまった原因。端的に言えば『告白イベント』のようなものだとは容易に想像できる。


 ならば、残りの一つは一体何を意味するというんだ……?

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