Basis14. 基底問答

「……ここは?」


 周囲は真っ白で、何があるかすら分からないほどに白が支配していた。単調な世界に、突如として声が響く。


「音切こずえは真面目な子供だった。何事にも一生懸命で真剣に取り組み、魔術の練習も欠かさない。この世界で一般的な優等生と言っていいだろう」


 一人の少女が現れる。今回現れた少女は、前見たく白い靄のようなものに包まれておらず、はっきりとその顔を確認することができた。聞き覚えのある声であることから、それが『基底』であるということはすぐに分かったが、その姿を私は初めて『観測』したことになる。


 『基底』はこの世界と同じように真っ白なポニーテールを携え、私が通っていた中学と全く同じ制服を着ていた。あまりにも見慣れた衣装を見てしまい、拍子抜けしてしまう。だが、『基底』の目はまるで全ての世界を呑み込んでしまいそうなほどに真っ黒で。まるで目の中にブラックホールでも飼っているかのような、そんな吸い込まれる何かを持っていた。

 

「なんで貴女が私の学校の制服を着ているの?」

「妾の意思……と云えば良いか?」


 『基底』はそう知的そうな顔をきらめかせながら言って見せた。……なんと悪趣味な。


「で、なんで今音切さんの話をしているの?」

「今華凜は自力でこの世界の『基底』に辿り着いた。それならばある程度の歓待はすべきであろう?」

「それが音切さんの話に繋がるってこと?」

「この世界の真実。それに近づける大チャンスであるぞ?」

「続けて」


 そう言うと、『基底』は嬉しそうに笑いながら話を続ける。


「だがこの世界には魔術適正ニトロナイズが存在する。妾は本人の努力次第で如何様にも伸ばせるような仕様にしたはずなんだが……どうやら人間とは妾が思っていた以上に愚かでな」


 嘲笑気味に笑いながら続ける。


「彼らは『生まれつきの魔術適正ニトロナイズ』というものばかりに目を向けるようになった。華凜の世界で言えばそうさな……そうだ。たとえば、生まれつき脚がない人がいたとする。その人が義足をつけて一般人と何の変わりもない生活をしていたとして、周囲の人々は彼を一般人として扱うか?」

「……ノーだね」

「おや意外だ。華凜のことだから理想論を語るかと思っていたが」


 きっと私でもその人のことを色眼鏡で見てしまうと思う。賛否は分かれる問題であるだけに、こうだという結論を易々と下せる問題ではない。


「この世界の常識が『魔術を使えることは当然である』と定着してしまった。そして使えない人間が受ける扱いは憐憫や侮蔑の情を含むものに変化したのだよ」

「どの世界でも人間は変わらない……ってことね」

「全くその通りだ」


 『基底』はひとつため息をつくと、こんな言葉を漏らした。


「音切梢はそれに抗おうとした。彼女の魔術適正ニトロナイズは元々Dだったがそれを照葉学園入学までにAまで伸ばしてみせたんだ。これほどまでの偉業はそうそう成し遂げられるものではない。だが……それが過去の傷を癒やすことはなかった」

「過去の傷?」

「彼女はいじめを受けていた。原因は魔術適正ニトロナイズの低さ、そしてそれにひたむきに立ち向かう姿勢そのものだ」


 『基底』によって語られたその内容は凄惨なものだった。音切さんはその元来の真面目さからか、大人たちから厚い信頼を寄せられていた。だが、それを好ましく思わない奴も当然多く存在していた。特に女子生徒からの嫌われぶりは凄まじく、彼女へのいじめはエスカレートしていく。そして事件は起きた。


「129回。この回数が意味することは分かるかな?」

「何ですか?」

「彼女がこれまで『頁戻しルートチェンジャ』によって蘇生した回数だ。言いかえれば彼女はこれまで129回

 

 私は言葉を失った。死亡原因は魔術を用いたいじめ、特に魔闘による事故死が最も多いという。音切さんを死に至らしめた存在は、『頁戻しルートチェンジャ』の存在をいいことに自らの欲を満たし続けたというのか……?


「だが彼女は中学に入学してから死ななくなった。何故か? 中学に入ったときには既にBランク……相当な実力者になっていたからだ。さて、これまで奪われるだけの存在が突然力を持つ。それも他を蹂躙できるような強力無比なものだ。結論から言えば彼女も人としての業から離れることはできなかったんだよ」


 音切さんは『頁戻しルートチェンジャ』を使われる存在から使わせる存在へと変貌した。彼女の魔装である刀……それが人間の身体を切り裂いた数は音切さんの落命回数を優に超えていた。


「こうして音切梢という歪んだ少女は完成された。魔術適正ニトロナイズの理不尽さをその身で理解しながら自ら理不尽を再生産する存在。それが音切梢という『基底』だ。さてここで問題、華凜は音切梢を『破壊』できる?」

「……分からない。過去のいじめが無ければただの努力家な女の子ってだけになったかもしれない。でも自分も同じことをしていた、それは許してはいけないことだと思う」

「これはある種のジレンマだ。解答を出すのは難しいが……彼女の基底は華凜によって『破壊』された。魔術適正ニトロナイズを翻す存在。そして魔術適正ニトロナイズに左右されない存在によってね」


 私とアイリスのことだろう。過去の罪がこれで清算されるとは言えないが、これから先に罪を犯すということは無くなると信じたい。


「ところで……『白』の反対は何だと思う?」

「『黒』じゃないですか?」

「そうだ。これは妾の忠告だが……『黒』を『目撃』したら気をつけろ」


 急に『基底』は意味深なことを言い始めた。黒を目撃すると言われても既に私は目撃しまくっているし、なんならその攻撃を受けたりもしている。そのことを『基底』に伝えると、深刻な表情をしながらこんなことを教えてくれた。


「なんてことだ。あいつめ……もう手を出しやがったのか」

「あいつ?」

「隠していてもしかたないだろう。……『基底』には白と黒の側面が存在する。善と悪、天国と地獄のようにね。有り体に言えば私ではない側面が何やら暗躍しているようだ。しかも妾と目的が一致してしまっているというのがまためんどくさい」

「目的が一致?」

 

 対立しているはずの二つの存在。その目的が一致しているというのがどうにも理解できない。そんな話があるのだろうか?


「ここでは便宜上『白の基底』と『黒の基底』とでも置こうか。妾たちの目的は……橘華凜。君をこの世界の基底まで到達させ、破壊してもらうことだ」


 善と悪という表現をしていたがこれでは悪と悪じゃないか? 世界を破壊するという物騒なことを叫ぶヒーローは見たことが……あるにはあるがあれは別物だろう。大概のヒーローは世界を守るために戦うものだ。


「問題は世界を破壊した先にある。妾は先に宣言しよう。妾は世界を破壊した後に新たなる世界を創り直す」


 早い話がリセマラってことか。『基底』のリセマラに付き合わされるこの世界の住民にとってしてみればたまったもんじゃないだろう。しかしここまで魔術が発達した世界をぶっ壊してできる世界とは一体どのような世界なのだろうか?


「一体どんな世界を作るつもりなんですか?」

「まだ考えていない。世界規模で物事を考えるというのは思った以上にリソースを喰うものだ。一旦世界を破壊して貰えればゆっくりと考えることができるからね。私は何らかのものさしで平等に測れる世界というものが作りたいのだ。今回の世界は魔術という普遍的技術によるものさしだったが正直これは微妙だ」


 そんな仕事を辞めればゲームし放題みたいなノリで世界を破壊しようとしないでほしい。『基底』にしてみればこの世界は箱庭で都市を育成するゲームみたいなものなのだろう。


「じゃあもう一方の『基底』の目的は?」

「妾のものに比べればちゃちなものよ。だがその理由を聞けば間違いなく華凜は妾を『黒の基底』と断罪するぞ?」


 わざわざ他人にこの世界をぶっ壊させようとしておいて、世界の創造に対抗できるような善性のある目的など存在するはずがない。『基底』は冗談が好きなのだろうか?


「まぁこっちの『基底』から教えられるのはここまでだな。次の『基底』に到達したときにまた話すとしよう。さて、ここからはあっちの『基底』からの伝言だ」

 

 そう言うと、『基底』は制服のポケットからメモ用紙を取り出した。随分とかわいらしい柄が使われていて……使われていて? 私はその先の何を想起したんだ……?


「一つ、『頁戻しルートチェンジャ』はむやみに使わないこと」


 是非とも使いたくない。使うということは死ぬような経験をしているということに他ならない。既に何回か経験しているような気がするが、なんとか生きながらえている。これからもお世話にならないことを願いたい。

 

「二つ、失われた記憶は三つの大きな柱があり、各魔術の『基底』に到達することでそれを思い出すことができる。このメモが読まれているということは何かしらの『基底』に辿り着いたということ。おめでとう」


 今回の場合だと赤の魔術の『基底』に到達したということだろう。残りは青と緑になるのか。青だと一番近そうなのは『Ma3430』になるが、いつ到達できることやら。しかし、これでここからの大まかな目標が設定できたのは大きな収穫だ。


「三つ、自分以外の『白の観測者ヘヴンズ・オブザーヴァ』を無条件に信用してはいけない」


 そもそも白の観測者ヘヴンズ・オブザーヴァは一億人に一人いれば万々歳というレベルの確率で現れる存在だという。そんな存在がポンポン出てくるほうがおかしいのである。無条件の信用というのは自殺行為に等しいだろう。


「四つ、黒の魔術を使う者に対して一度使用した魔術は二度通じない。ただし白の魔術は例外である」


 また変な言葉が出てきたぞ。黒の魔術に白の魔術か。黒の魔術がおそらく今回の音切さんが使っていたような黒色のオーラみたいなのが飛んでくるやつのことだろう。じゃあ白の魔術って何なんだ? 白の観測者ヘヴンズ・オブザーヴァに関与するだろうというのは想像できるが……


「五つ、このメモを読み終わると自動的に記憶の再生に入る。再生終了後は元の世界に戻る。とのことだ」


 『基底』がメモを読み終わった刹那、大量の情報が頭の中にインプットされていく。情報の奔流に耐えられずに私は目を閉じる。だが、私の目の前にはまるでこれまでの人生をロールバックするかのように映像が投影されていた。早回しで流れる私の生涯。お父さんとお母さんが写り、赤ちゃんの頃の私が写る。画面は幼稚園から小学校に移り、様々な思い出が映されている。こんなこともあったなと懐かしむ中で、私の記憶にない映像が映された。


 私が取り戻した最初の記憶、それは私が最も敬愛する人物との出会いに関するものであった。

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