Basis13. 真実の『赤』

 それはあまりにも無謀な戦いだ。まずはリーチの差。相手の得物が日本刀なのに対してこちらは一振りのナイフに過ぎない。本来ならば魔術を利用してリーチの差や火力などを補えるはずなのだが、今の相手はその全てを悉く無効化してしまう。


 次に魔術そのものの差。適正がどうこうというだけでなく、私の今の戦闘スタイルが魔装に大きく依存しているおかげで、それを封じられてしまえば私の力は大きく削がれることになる。さらに言えば相手は刀から黒色のオーラを振り撒いており、下手に距離を取ればそこから黒色の斬撃を飛ばしてくるのだ。進むも地獄、引くも地獄。有り体に言えば詰みに近い。


「お前は目障りだ……お前のような存在が、この世界をメチャクチャにしてしまうんだッ!」


 横薙ぎの一閃をしゃがんで回避し、足元を切り払うかのようにフレイマーで攻撃する。だがその攻撃はあまり通用していないように思える。私としても物を斬ったという感覚がしない。


 今の音切さん相手に魔術による攻撃は通用しない。自らを強化する魔術は使用できることを考えると、対象は『音切さんに向けた攻撃のみ』と考えた方が良さそうだ。故に物理攻撃で消耗させるしかないのだが、それすらも効かないとなれば私には為す術がない。


魔術適正ニトロナイズだけが人の価値を決めるわけじゃないッ!」

異界よりの嬰児リンカネート・パラディオンの貴女には分からない……! この世界は魔術適正ニトロナイズというカーストに逆らうことはできないの! どれだけ努力しても覆すことのできないによる評価が永遠に付き纏うのよッ!」


 距離を取ったことにより、音切さんは斬撃を飛ばすスタイルに変えて私を追い詰める。『Ma3430』を取り出して銃撃を行うが、そもそも、反動のクセが強くまともに飛んでいかない。運良く飛んでいった弾も、黒い靄にかき消されるように消えてしまうためこけおどしにすらならない。


「でもそれが何で私を恨む理由になるの!?」

「私は『目撃』した。橘華凜、貴女がアイリスさんと仲睦まじく魔術の練習を行っているところを。しかも初級も初級の魔術をわざわざッ!」

 

 あの公園での特訓を目撃されていたのか。それが何故恨む理由になるんだ?


「初級の初級な魔術なんてマナミールを使えば赤ん坊ですら簡単に扱える。それをわざわざキネマゼンタ家のご令嬢と練習することの意味を理解しているのかしら?」

「身分不相応だと?」

「そうだ! アイリスさんのような高貴で優秀な人にやらせるような仕事じゃないッ! そうやって無能共が才能ある人間の足を引っ張るせいで世界の狂った秩序は正当化されるんだッ!」

「……何も分かってないのは貴女だよ、音切さん」


 私の魂に怒りの炎が着火する。私の魂の憤怒に呼応するかのようにフレイマーにも不死鳥の如く爆炎が巻き上がった。……違う。これはの憤怒だ。アイリスの酸いも甘いもかみ分けた日々を共に過ごした『猛火の中に輝く者フレイマーの憤怒なんだ。


「努力の先にアイリスは魔術を扱えるようになった。アイリスだって最初から完璧だったわけじゃない。音切さんの主張はアイリスの努力に対する冒涜だよ……!」

「それでもアイリスさんはキネマゼンタという名家の人間だ! そんな人が貴女のようなゴミ虫共とつるむなんて許されないッ!」

「音切さん」


 拘束され打ち捨てられていたアイリスが静かに口を開く。その口調は炎の華を咲かせる普段のようなアイリスとは打って変わって冷たいものであった。


「わたくしは確かにキネマゼンタという名前から逃れることはできないでしょうし、逃れるつもりなど更々ありませんわ。それでも」


 アイリスを縛っていた拘束がはじけ飛ぶ。予想外といった所作で音切さんはその光景を凝視していた。アイリスは使フレイマーを取り出して、音切さんに対峙する。


「わたくしはアイリス・キネマゼンタという一人の女ですわ! わたくしが誰を好きになろうともそれを妨害される云われは誰にもありません!」


 アイリスが何故『フレイマー』を放棄して私にくれたのか。その意味を私は真に理解する。『フレイマー』はアイリスが父と交わした、キネマゼンタにふさわしい女になれという誓約だ。アイリスはその誓約を捨てた、そういうことだろう。あれはキネマゼンタの女から一人の女の子へ生まれ変わった瞬間だったんだ。


 そして私にその誓約を託した理由。どこかに封印したり捨てなかった理由。ただの餞別? そうかもしれない。でも、私はあの時のアイリスの表情に見覚えがあったんだ。だってあれは……


「アイリス、ここは私に任せてほしい」

「勝算はありますの?」

「まだないよ。それでも……」


 昔の私みたいな恋する乙女の表情だったから。だからそれに応える必要があるんだ。


「それでもアイリスがいれば負けないから」

「そう宣言したからには必ず勝ちなさい」

「三文芝居はそこまでだ。虚空に消えろ……橘華凜! その存在諸共『黒』の前に焼失してしまえッ!」


 床に突き刺された刀から拡散するように漆黒の波動が襲う。その波動は校舎をズタズタニ破壊していく。そして、一瞬にして屋上の床が崩壊し、屋上にいた全員を巻き込んで階下への崩落に巻き込んだ。


「ここで死ねぇぇぇッ!」

「させない……!」


 落下する瓦礫を踏み台にして音切さんがこちらに突撃した。一閃が飛ぶタイミングと同時に私もフレイマーを振るい応戦する。『演算式・調色トナー・ドライバー』の力で日本刀とぶつかり合っても壊れない程度には補強はされているが、それでも重力に任せて振るわれた強烈な一閃を防ぐというのはかなり腕に来る。


 身を崩す形で階下の教室に着地したせいで、フレイマーをすり抜けて斬撃が軽く右腕を掠める。


「ぐぁっ……!」


 身を一瞬でつんざく痛みに思わず呻き声が出る。そして次の瞬間には私の右肩を大きく切り裂くように返す刀が飛ぶ! 


「ああああああ!!」


 フレイマーを握る右手が痛みに耐えきれず、力がずるずると抜けていく。一振りのナイフが床に落ちる音が終了のブザーのように教室に響いた。身体も痛みに悶え苦しむように床へと倒れ込み、もはやまともに動くことができない。


「終わりだ、橘華凜」

「華凜さん!」


 振り下ろされた刃はすんでのところで止められる。……斬撃はの『フレイマー』によって止められていた。


「……アイリス?」


 アイリスは演舞でも踊るかのように2本のフレイマーを操り、音切さんに攻勢を仕掛ける。手数で攻めるアイリスの猛攻に、音切さんは防戦を強いられていた。


「どうしてアイリスさん! どうしてあんな奴のためにここまでできるの!?」

「華凜さんはかつての私のようなものですわ。魔術というものに興味を持ちつつも実力が追いつかない存在。音切さん、貴女はあのような仕事はふさわしくないとおっしゃいましたわね」

「ッ……!」

「平穏に生きる人々には分け隔てなく接する、それが高貴なる者の勤めノブレスオブリージュであり『アイリス・キネマゼンタ』としての生き方ですわ……!」

「がっ……があぁぁぁぁっっ!!」


 無数の斬撃が音切さんを襲う。音切さんは確かに悲鳴を上げているが、身体にはダメージを受けている痕跡が見受けられない。かくいう私は右腕からの出血が酷く、『演算式・調色トナー・ドライバー』による回復を受けていても意識を保つのがやっとだ。二人の戦いを凝視する。


 二人の戦いは熾烈を極めているが、徐々にアイリスが追い詰められていく。音切さんはあの重そうな刀をスポンジブレードでも振るうかのように軽々と振り回している。それに対してアイリスは徐々に動きが鈍重になっていた。2つの刃を振り回し続けるというのはアイリスであっても疲労は蓄積する。そして蓄積した疲労は時に判断ミスを起こす。


「終わりだよ、アイリスさん」

「……ッ! ああああああ!!!!」

「アイリス!!」


 刀身が黒光りしたときには既にアイリスの身体は教室の壁に叩きつけられていた。遠距離攻撃で使っていた斬撃を零距離で喰らったのだ。フレイマーによる減衰を以てしてもその威力は計り知れないだろう。アイリスはピクリとも動かない。負傷した右腕を抱えながらアイリスの元へ向かう。


「アイリス! 返事してアイリス!」

「……」


 2本のフレイマーが落下する。それに追随するようにアイリスの身体が崩れ落ちた。私はアイリスの身体をその場に置くと、2本のフレイマーを代わりに持つ。そして粛然と詠唱した。


「『猛火の中に輝く者フレイマー』」

『True Red』

『World break! True red brinker!』

 

 『演算式・調色トナー・ドライバー』が確かに発動したことを確認して、すぐさま片方のフレイマーをインクに変換する。出現したインクはアイリスの髪をそのまま生き写しにしたような純粋な赤だった。それを差し込むと、体中の血液が沸騰してしまいそうなほどに熱がほとばしっていく。そしてもう1本のフレイマーに想いを込める。魔素とは人の想いに応えるという。それならば私とアイリスの想いに応えない道理はないはずだ!


「アイリスの無念に応えて! 『猛火の中に輝く者フレイマー』!」

『Basis break! True red observer!』


 それは一振りの炎。世界を赤に包む永遠に尽きることのない地獄の業火だ。漆黒の闇にすら火を灯してしまえるほどの熱量が私から放たれる。


「音切さん。私は貴女を破壊する……!」

「あり得ない! Fランク風情があんな炎を操れるわけがない……!」


 私の『赤』に照らされ、さっきまで黒い靄で包まれていたその顔をはっきりと拝むことができる。それは確かに音切さんで間違いなかった。そして右腕には見慣れないブレスレット。黒色に光る宝石を携えたそれこそがきっと音切さんを狂わせた元凶なのだろう。


「はあああああああっ!!」

「お前ごときに私が負けるはずがなぁぁぁぁい!!」


 『黒』と『赤』が交錯する。音切さんが振るった『黒』は私の『赤』を捉えることなくすり抜ける。そして『赤』はあのブレスレットのみを的確に破壊した。『赤』がそれを捉えたとき、世界は『白』に包まれる。その世界に私と音切さんは包まれていく。


 そして私は『基底』を自らの手で『観測』することになる。

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