Basis5. 記憶を刻むということ

 夢の中、私はまたあの世界へとやってきてしまった。


「どうやら■■の欠片を少し取り戻したみたいだね」


 聞き覚えのある声。顔こそ見えないが、それは間違いなく『基底』と呼ばれる少女で間違いない。


「貴女は……私の何なの?」

「なるほど……薄々感付いては居るが信じられない、といったところかな?」


 少女は静かに笑う。私が見たものを彼女自身が体感してきたような、そのような感触を受けた。


「信じられるわけないでしょ!? あれはまるで……」

「恋人みたいだと、そう言いたい」


 少女はそう確言した。


「でも、私の記憶にはそんなの存在してない」

「記憶、ねぇ」


 少女は憫笑する。


「人間のメモリーはあまりにも容量が少ない。その癖、どうでもいいことばかり記憶に残してしまうせいで大事なテスト範囲の内容すらすっぽ抜けてしまう」

「……?」

「この世界への転移には代償がある。対象が最も敬愛する人物を記憶から、歴史から消去するっていうね」

「……!」

「だが私も完全な悪ではない。君の転移には条件をつけたんだ」


 少女ははぁとため息をつく。そしてやれやれと言った感情を抑えること無くこう言った。


「対象が敬愛する人物との物語に合致する場面を『観測』した時には記憶を返還するってね。それが妾の意志だ」

「……観測?」

「この世界のありとあらゆる知的生命体はこの世界のピースとして定義付けられている。ピースである限りこの世界の歴史を受け入れなければならない。だが、『白の観測者ヘヴンズ・オブザーヴァ』であり『異界よりの嬰児リンカネート・パラディオン』である君の場合は話が別だ」

「世界を『観測』できる、つまりこの世界の歴史そのものを俯瞰できるってこと?」

「ご明察。だがこれでは50点だ」


 少女は詳述する。


「この世界で生まれた存在が世界を『観測』したとしよう。だが、彼らはその世界の歪みには気付かない。気付いたとしても歪んだかは分からない」

「……異界よりの嬰児リンカネート・パラディオンは違うと?」

「彼らには『比較』ができる。元いた世界の流れと決定的に違う特異点を理解することができる。君にもその経験は既にあるだろう?」


 回想する。そうだ、アイリスに魔術のならわしを聞いたときだ。


『ある科学者が空気よりパンを生み出した、というのが魔術の始まりですわ』

『はぁ?』


「……空気からパンを作る」

「そうだ。君はまだ中学を卒業したてだから分からないだろうが……本来は化学肥料を作る上で決定的に重要である、アンモニアの生成を世界で初めて行った研究者に贈られた言葉だ」


 言葉だけは聞いたことがあるがそういう意味だったのか。


「だがこの世界では空気中からパンを出した。歴史書によれば焼きたてホヤホヤのクロワッサンだったらしい。だが君たちの世界ではそんなことあり得るはずがない。それこそ魔法でも無ければね」

「でもこの世界ではそれが当然だという歴史が紡がれている。だから誰もホカホカのパンが現れたことに疑問を持たない……」

「そう。君たちの世界でもそうだ。ガソリンは車を動かす。スマホはネットに繋がり途方もない情報を提供する。それが当然という世界だ。だが、誰も『それは誰かに歪められた』とは思わない。そもそもそこまでの想像の余地を人々は持たないだろう?」


 まぁ一理ある。だが、それならば私が歴史ごと消されたという記憶は一体どこからやってくるのか?


「さて……今日の講義はこのあたりかな」

「待って! 私にはまだ聞きたいことがある!」

「一気に情報を出しても面白くないだろう? だが、これだけは忠告しておこうか」


 少女の口調が急に真剣なものに変わる。


「記憶の断片を取り戻すことで君は『基底』に辿り着くことができる。だが、辿り着いた先が必ずしも理想郷Utopiaであるとは考えないことだ。そこは君にとって、いや。君のためだけに作られた絶望郷Distopiaという可能性を捨ててはいけないよ」


 意識が覚醒する。陽光が窓から差し込むのが認識できた。どうやらグッスリと眠って既に朝になっていたらしい。パンが焼ける匂いが漂ってきた。


「おはよー」

「おはようございます、華凜さん。体調は大丈夫ですか?」

「うん。一晩寝たらスッキリしたよ」


 うーんと伸びをしながらリビングへと向かう。そこには、洋食然とした朝食が並んでいた。


「美味しそうだね。アイリスの手作り?」

「ええ。昨日のこともありますから奮発しましたわ」

「ありがとう。じゃあ……いただきまーす!」


 カゴに盛られたクロワッサンを手に取り食べる。給食でクロワッサンが出る日があったが、あのクロワッサンのような、もっちりとしつつも歯ごたえのある懐かしい味だった。


「今日も特訓しますわよね」

「うん。入寮まであと一週間だしせめて小学校卒業レベルまではね」

口頭詠唱マニユアルブートに切り替えてからは飲み込みが早いので助かりますわ」

「イメージが掴みやすいってのは大きいよ」


 昨日のうちに低学年レベルの基本魔術に関しては大体習得することができた。やっぱり呪文を唱えて魔法を撃つみたいなのは小さい頃は誰もが憧れると思う。子供たちに混じって魔術を使うと、そんな小さな頃の思い出が蘇るような気がした。


「ところで、昨日のお話は覚えていらっしゃいますよね?」

「何があったか、だよね。アイリスは『異界よりの嬰児リンカネート・パラディオン』が受ける呪いみたいなものって聞いたことある?」


 そう問うが、アイリスの答えは釈然としないものであった。


「どうでしょう……そのようなことは耳にしたことがありませんわ」

「そっか。ならここから先の話は口外しない方がいいと思う」


 私は昨日のことを全て話した。前の世界に恋人が存在したと思われる話。私はその恋人に関する全ての事柄を忘れているという話。前の世界の思い出に対応するように記憶が蘇った話。アイリスはそれらを茶化すこと無く傾聴していた。


「……つまり、華凜さんには彼氏がいたと」

「どうなんだろ……自分でも実感がないからなんとも言えないよ」

「華凜さんとしては思い出したいことですの?」

「思い出せるならね」


 アイリスは一考すると、こんなことを口にした。


「それに関しては学園に入学してから考えたほうがいいでしょう。華凜さんも前の世界では学校に通っていたのでしょう?」

「そりゃね」

「ならそこで思い出せる記憶というものも存在するでしょう。一朝一夕に解決するものでもないですから」


 まぁそうなるよね。今は魔術の習得に注力すべきだろう。


「ごちそうさま。それじゃあ今日も特訓、やるぞー!」

「ええ」


 かくして入寮の前日までひたすらに特訓を重ねた私は、無事に小学校卒業レベルの魔術までは習得することができたのであった。


「……どうよ!」

「まぁ及第点ですわね」

「よし!」


 身体全体で喜びを爆発させる。それを見てアイリスは子供を見る親のように笑っていた。ちびっこ広場で一緒に練習していた子供たちも同じように喜んでいた。


「みんなもありがとうね」

「華凜姉ちゃん危なっかしいからな!」

「それにおもしれーし!」


 褒められているのか貶されているのか分からないが、この一週間で子供たちと随分仲良くなったものだ。最初は生意気なガキンチョ程度に思っていたが、今ではある種の戦友のような、そんな高揚感を抱かせていた。


「明日も特訓やるんだろ?」

「ううん。今日で最後なんだ。明日には引っ越ししないといけないから」

「わたくしも同じですわね」

「そっかぁ」


 アイリスは引っ越す必要などないのだが、私に合わせてくれたようだ。別れを惜しむが、猶予はあまり残されていなかった。


「やべぇ! 時間見ろ時間!」

「あっ、みお姉の送別会!」

「急げ急げー! またなー華凜姉ちゃん! アイリス姉ちゃん!」


 どうやら子供たちを誰かを見送る必要があるようで、ドタバタしながらも帰って行った。


「寂しくなりますわね」

「アイリスもそう思う?」

「ええ。あの子たちも楽しそうにしていましたから。感傷に浸りたくもなりますわ」

「今日もクレープ食べて帰る?」

「そうしましょう」


 特訓の終わりにはクレープを食べることが当たり前になりつつあった。アイリスは今では当たり前のようにクレープを頬張っている。その光景を横から眺めているととても幸福な気分になる。アイリスが見せる笑顔を私が間近で鑑賞できるということが恵みなのだ。


 そうして他愛のない話をしながらクレープを食べ終わり、いざ帰路につこうという時にアイリスが私の袖口を引っ張って止める。


「華凜さん、受け取ってほしいものがあるのです」


 そう言ってアイリスはカバンから横長の箱を取り出した。それを私に向けて渡す。私はそれを受け取る。見た目に反して少し重みを感じるそれの中身に私は興味を持った。


「ありがとう! ここで開けてもいい?」

「ええ」


 箱にくくりつけられていたヒモを解き開封する。中に入っていたのは一振りの短刀であった。その短刀には見覚えがある。私が魔術の特訓の時に使っていた魔装だ。だがこの短刀は、それと比べて持ち手の部分がややボロくなっている。


「……これってもしかして」

「わたくしがお父様から賜った短刀です。真名を『フレイマー』と言いますわ」

「えっ」


 素っ頓狂な声が上がる。これはアイリスにとっての魂の拠り所みたいなものではないのか? そんな大切なものを私が貰ってしまってもいいのだろうか?


「……本当にいいの?」

「ええ。魔術を修練する華凜さんは昔のわたくしのようでした。ひたむきに前を向き続ける姿を見ているうちに、わたくしはこれを託したいと考えたのです。それに何よりも」


 私の顎にそっとアイリスの手が触れる。私とアイリスの視線が一直線に結ばれる。アイリスの目は熱を帯びたようにとろんとこちらを見つめている。私は突然の行動に何も言うことができなかった。


「(アイリスの目……とっても綺麗)」

 

 突然アイリスの目が上にシフトした。前髪をさっともたげられると、そこに柔らかい感触。アイリスは私のおでこに口づけをしていた。ほんの数秒間が永遠であるかのような錯覚を覚える。


 唇が離される。私は恥ずかしさの余りにアイリスの顔を直視することができずにいた。目線を必死に前に向けるとそこには、


「わたくしの形見があればいつでもわたくしのことを思い出せますから。わたくしとの思い出が消えてしまっても、『フレイマー』を贈ったという事実があればそれで十分なのです」


 夕焼けをバックに悲しそうな笑みを浮かべるアイリスの姿があった。


「……忘れない」

「華凜さん?」

「忘れないよ。仮に忘れたとしても思い出す。記憶が無くなったとしても、地面を這いつくばってでも取り返すから!」


 記憶の奔流。私は昔にも『敬愛する者からプレゼントを貰ったことがある』。それは基底が興味を示していたこのブレスレットのことだろう。このブレスレットにはその人のいろんな感情がそのまま込められているんだ。それはアイリスの短刀にだって同じことが言える。


 だから私は決意する。必ず記憶の欠片をかき集め基底に辿り着くと。その先に何が待っていたとしてもだ。そして真実を知ったときに私は世界を破壊するか選択すればいい。


「アイリスも意外と大胆なところがあるんだね」

「私の国では額への口づけは最上級の敬愛を意味するのですわ!」

「ふーん、そっか」

「信じていませんわね!」


 明日はいよいよ照葉学園へ乗り込む日だ。未知の世界に胸が高鳴る。だがそれは、新たな騒動の幕開けでもあった……

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