Basis4. アイリスの誉れ

 照葉学園入学に先駆けて、私はアイリスに魔術の特訓を申し出た。


「さすがに小学生レベルの魔術すら自力で使えないってのはどうかと思うんだよね」

「それは確かにそうですけど、華凜さんの魔術適正のことを考えればマナミールの補助があって使えるのならば文句は言われませんわ」

「それはそうだけどさぁ」


 マナミールには基本的な魔術、すなわちこの世界の小学生が義務教育で習得するような魔術を一通りレクチャーする機能が備わっている。その指示に従うことで魔術を使うことは可能にはなったが、それは所謂補助輪を付けた状態で自転車に乗れたと喧伝するものだ。


 今の私にはこの補助輪を外す必要がある。そのためには、後ろから背中を押してくれる存在が不可欠だと思うのだ。


「……私は早くこの世界に馴染まないといけない。今はダメかもしれないけど、自分に危険な力が眠っている可能性があるなら……その力を早く制御しないと」

「華凜さん……分かりました。せいぜいちょっとした落ちこぼれに見える程度までには魔術を習得させてみせますわ」


 アイリスは私の覚悟に応えるように特訓を快諾した。私たちは近くの公園に移動する。公園とは言っても、子供用の魔術練習の広場も存在しているあたりが魔術の浸透度をよく表している。私たちは迷うこと無く『ちびっこまじゅつひろば』と書かれた場所へ突っ込む。そして程よい練習場所を見つけ、いざ特訓だ。


「燃えろッ!」


 的が燃えるイメージを込めて叫ぶ。だが、現れた火球はピンポン球よりも小さく、せいぜいタバコに火をつけるくらいが関の山だろう。


 マナミールを用いた魔術の行使はかなり簡略化することが可能だ。例えば今の場合だと『燃えろ』というワードがそのまま赤の魔術の基本術式の一つ、『火球』というものにリンクしている。マナミールが魔術の行使を認可している状態で私が燃えろと言い放った場合にのみ『火球』が発動する。


「うまくいきませんわね……」

「なんでなのかなぁ」

 

 やはりFランクと言われた魔術適正が大幅に足を引っ張っているのだろうか。まずは赤の魔術に精通しているアイリスに頼って赤の魔術だけでもマシに使いこなそうと思ったのだがどうも上手くいかないようだ。


「もっとえげつない燃え方をイメージすべきかな?」

「例えば?」

「山火事みたいな?」


 ニュースで見たことがある。広範囲を焼き尽くす烈火。それくらいの勢いが無ければ火の玉一つ出せないと考えるとなんとも滑稽である。


「してもいいですけど、周りの子供たちのことも考えてくださいね」

「分かってるよ」


 ここは本来ちびっ子が遊ぶ場所なのだ。私の魔術は同年代のそれと軒を並べることはできないというアイリスの判決によってここに流刑されているようなものである。


 ちょくちょく広場にやって来る子供たちが変な目線を投げかけて恥ずかしいったらありゃしない。だから早くまともに火球を出す必要があるのだ。


「よしもう一回……燃えろッ!」


 山火事とは言わずせめて木の一本でも燃えてしまえというイメージ。しかし、結果は先のそれと同じであった。


「あはは! あの姉ちゃんだせー!」

「うるさい!」

「ぎゃー! おこった!」


 小さい男の子がこちらをからかうが、からかわれても仕方が無い醜態だろう。かれこれ一時間近くは同じことを繰り返しているのだ。その様子を見てそのような感想を抱くことは異常とは言えない。


「これはアプローチの仕方を変える必要がありますわね」


 アイリスはカバンから一本の短刀を取り出した。白銀に輝く両刃のそれは、キチンと手入れされていることを示すように私の顔を映す。


「現在マナミールを用いた機械詠唱オートブートを行っていますが、ここは一度基本に立ち返って口頭詠唱マニユアルブートをしてみましょう」


 アイリスは短刀を取り出すと、その鋒を的のほうに向ける。


「純然たる火炎よ、顕現せよ。『火球』!」


 瞬間、ちょうど的を包むくらいの火球が現れ、焼き尽くす。


「魔導補助デバイスは確かに使いやすいですが、それは基本の教育を受けていた者にとってはの話です。華凜さんの場合はやはり基本のキの字から始める必要があります」


 文字や言葉が分からない状態ではスマホもただの板といったところだろう。しかし、マナミールには口頭詠唱マニユアルブートに関する事項は掲載されていなかった。


「小学校の教科書レベルの話をわざわざ載せると思いますの?」


 もう少しユーザリビリティというものを考えて欲しい。まともに教育を受けられない人間というのも想像して欲しかった。

 

「後はイメージの掴みやすさもありますわね。短刀は杖に似ていますから、魔装としてはベーシックなものです」

「魔装、ねぇ……」


 魔装とは魔術を行使するための道具全般を指す言葉だ。例えば杖は有名な例であるが、他にも剣のような武器、ガントレットなどの防具、なんなら指輪やイヤリングといった装飾品など、その方向性は多岐にわたる。マナミールも広義には魔装のひとつであるというのは驚きだが。

 

「まぁこれを使ってダメなら本格的に落第ですわね」

「今日のアイリスなんか厳しいよぉ」


 そう文句を言いつつも、アイリスから短刀を受け取り的に向ける。的が燃えるイメージ。そして一言一句間違えない詠唱。これでダメなら……という嫌な予感を払拭するように詠唱を開始する。


「純然たる火炎よ、顕現せよ。『火球』」


 ドン! と音が鳴り、的が瞬時に燃え尽きる。その光景に呆気にとられたが、私が引き起こしたその結果を確認すると、興奮が隠せなくなった。


「やった! できたよ! 火球!」

「やはりまずは口頭詠唱マニユアルブートからでしたわね。まずは小学一年生の魔術を使いこなせるようになりましょう」


 この世界における魔術とは漢字のようなものなのだ。それが存在することが当然であり、習得することが当たり前であるということ。だから、一々小学一年生の漢字を説明するようなアプリケーションは存在しなくて当然なのだ。


 私たちは日が暮れるまで魔術の練習に明け暮れた。途中から周りの子供たちも応援してくれるようになり、結果的に大所帯での練習になっていた。その状態になっても、アイリスは当然のように子供たちに檄を飛ばす。それが当然であるかのように。それが『キネマゼンタ』という家を背負うものだという自負すら感じられた。


「おねーさん、ありがとー!」

「ええ。復習を欠かさないことですわ」

「人気者だね、アイリス」


 そう言うとアイリスは少し恥ずかしそうにこう口にした。


「今日の華凜さんは昔のわたくしのようでしたわ」

「昔のアイリス?」

「ええ。……わたくしも昔は華凜さんのように火球ひとつまともに出すことができなかったのですよ」


 私のアイリスの初対面。レイピアに思いっきり爆炎を纏わせていた彼女からはどうしても想像できない。


「周囲からは後ろ指を指される日々でした。『キネマゼンタの令嬢のくせにまともに魔術も使えないのか』と虐められるのも日常茶飯事。打ちひしがれる中でもわたくしは鍛錬を止めませんでした。キネマゼンタの名を背負うものとして、ここで諦めてはならないと」


 アイリスの強さ。それはかつて落ちこぼれであった自分を乗り越えたことで生み出されたものなのか。


「この短刀はお父様から5歳の誕生日にいただいたものです。この魔装を以てキネマゼンタにふさわしい女になれと」

「アイリス……」


 キネマゼンタにふさわしい女、それがアイリスを縛っているんだ。自己犠牲と他者奉仕の精神は素晴らしいものではあるが、もう少し自分を鑑みてもいいと思うのは私のエゴなのだろうか……?


「今日は早く帰りましょう。疲れていますから何か食べて帰るのもいいですわね」

「私お金持ってないよ」

「今日はわたくしが奢ります」

「じゃあお言葉に甘えて」


 ファストフードはこの世界にもあるのだろうかと考えていると、道ばたにクレープの屋台があることに気づく。この世界にもクレープがあるのかとちょっとした感動を覚える。


「アイリスはクレープとか食べないの?」

「ん……食べたことがありませんわ」

「じゃあ食べようよ、美味しいから」

「まぁ、華凜さんがそうおっしゃるなら……」


 アイリスはあまり乗り気では無いらしい。


「アイリスって甘いもの苦手だったりする?」

「いえっ、そういう訳ではむしろ大好きだったり」

「なんて言うかあんまり食べたくなさそうな顔してるなぁって思っちゃって」

「そんなことはありませんわ」

「キネマゼンタの名に傷がつくとか考えてる?」


 アイリスははっとした顔でこちらを見る。図星か。


「……人目につくところで甘いものを食べるのはどうかと思うのです」

「いやキネマゼンタのイメージどうなってんの……」


 修行僧か何かを彷彿とさせる。私はアイリスの思うキネマゼンタを背負うという意味に、自己犠牲の極致という感想を抱いた。年頃の女の子がクレープひとつまともに食べられないイメージというのは明らかにおかしい。


「正義のヒーローが立ち食いしてたっていいと思うけどね」

「で、でもわたくしは……」

「私はアイリスと食べたい。……私のワガママ、付き合ってくれる?」


 アイリスは思索の果てにこう言葉を紡いだ。


「華凜さんの頼みであればしょうがありませんわ」


 クレープを二つ買い、近場のベンチに二人で並んで座る。


「いただきまーす!」

「い、いただきます」


 クレープを頬張る。どの世界でもクレープ生地と生クリームのコンビは安定して美味しい。そこにチョコバナナのトッピング。王道中の王道ではあるが、それが美味しいのだ。


「どうアイリス、美味しい?」

「え、ええ。とても」


 アイリスの中ではまだ罪悪感の方が勝っているようだ。しかしアイリスの精神では外で食べられる場所というのは限られるのではないか? おそらくお嬢様にふさわしい高級店みたいなものがあるのだろう。……そこで奢られるというのはこちらの罪悪感の方が勝りそうではあるが。


 だが、アイリスをよく見ると既に完食に近かったりする。それに何よりも、口の周りにクリームがついている。口では躊躇っているようだが、本人の食欲には勝てなかったようだ。


「アイリス」

「?」


 ハンカチでアイリスの口をそっと拭う。その時にアイリスの顔を間近で見ることになっていた。その顔は、幸せと困惑をごちゃ混ぜにしたような、そんな表情をしていた。


「えへへ、意外とお茶目なところがあるんだね」

「……っ!」


 アイリスはやらかしたと言いたげにこちらを見る。その言葉に否定的な意味はない。ないのだ。


「私にとってアイリスは優しくて頼りになる一人の女の子なんだよ? 家柄がどうこうっていうのは私には関係ないと思う」

「華凜さん……」


 つかの間の沈黙。静寂を破るようにアイリスはつぶやいた。


「わたくしは分からないのです」

「分からない?」

「キネマゼンタの女として育てられ、振る舞ってきた。……わたくしからキネマゼンタという家を取り除けばそこには一体何が残るのでしょう?」


 家に隷属し、家のために生きてきた少女は鳥籠の中の鳥なのだ。今更籠の扉が開けられても、飛び方を忘れた鳥に一体何ができるというのか? それは単なる私自身のエゴに過ぎない。そうした方が私がスカッとするから。でもそれは本当に彼女の望みなの?


「何も残らないなら今から残せばいいじゃん」

「……?」


 たとえそれがエゴだとしても。私はその思いを吐露したいという感情が勝った。


「人助けをしているのも、甘いものを食べて嬉しそうな顔をしているのも全部『アイリス・キネマゼンタ』という一人の女の子なんだよ。どんな行動をしてもそれがアイリスを否定することにはならないんじゃない?」


 アイリスの表情から少し憑きものが落ちたような気がする。


「ええ。そうなのかもしれません。ですがわたくしはキネマゼンタという名前に誇りを持っています。その生き方を簡単に変えることはできないでしょう。それでも……華凜さんの前では一人の女の子として振る舞いたいと思いますわ」


 そう言ってニッコリと笑って見せた。その表情はあの時に見せた表情と同じように大輪の花が咲いたようであった。


「うん、アイリスは『笑った顔が一番似合うよ』」


 刹那、脳裏を走るイメージ。公園。クレープ。そしてこの言葉。抜け落ちた記憶にピースがはめ込まれていく。


「うっ……あぁぁ!!!」

「華凜さん!? 突然どうなさいましたの?」

「私は、知っている……!」


 その言葉は初めて言ったものではない。元の世界で私の大事な人から! 誰だ!? 私にこの言葉を贈った真の相手は! 儚い記憶の糸を辿っていく……


『華凜って真面目に考えすぎるところがあるよね』

『そうかな?』

『買い食いしたっていいじゃない、そこに美味しいクレープがあるんだから』

『■■はほんとクレープが好きなんだね』

『クレープを食べてるときの華凜の顔が好きだから』


 そう言って■■は私の方を向いて……


『華凜は笑った顔が一番似合うよ』


「……っ!」


 ぜぇぜぇと呼吸をする。これが基底の言っていた記憶の断片というものか……?


「華凜さん! 早急に部屋に戻りましょう。『我が住処へ運べ』!」


 一瞬でアイリスの部屋に戻る。だが、私は未だに動揺を隠せないでいた。


「一体何があったんですの?」

「……ごめん、落ち着いたら話すから今は頭を整理させて」

「分かりました。落ち着いたらちゃんと話してくださいまし」


 足元がふらつきながらも私はベッドまでたどり着き横になる。記憶に欠片も残っていない少女に対して私は何を考えていたの? そもそも彼女は一体誰? そして何よりも。


 あの時の私は、明らかに恋する乙女の顔をしていた。

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