Basis3. 観測者の確立

 NMOセンタービル最上階。私とアイリスはそこに連れられた。赤い絨毯が敷かれ、周囲の雰囲気も下層の役所じみたものから、応接間じみた仰々しい雰囲気が感じ取れる。


「局長、お連れしました」

「ありがとう、入ってくださいな」


 促されるままに『局長室』と書かれた部屋に入る。


「失礼します」

「ようこそ杜若魔導特区へ。私は杜若魔導特区管理局局長の難波宮なにわのみやゆずりはです。貴女が橘華凜さんですね?」

「はい」


 そこには、黒いスーツに身を包んだ女性がこちらを見据えていた。座っていても分かるスタイルの良さに息を呑む。この世界の女性は顔の力が強い人しか居ないのでは無いかと思ってしまうほどであった。


「そしてアイリス・キネマゼンタさん。この度は異界よりの嬰児リンカネート・パラディオンの保護、感謝致します」

「いえ、当然の義務を果たしただけですわ」


 アイリスがお辞儀をする。こういうところがしっかりしているのはお嬢様としての教育が行き届いていると感心してしまう。公私をしっかりと分けるタイプなのだろう。


「立ち話も何ですからこちらにどうぞ」

「では、お言葉に甘えて……」


 ソファーに腰掛ける。高級そうな見た目そのままに、座り心地も最高だった。このソファーでぐっすりと眠ることができたらきっと身体が羽のように軽くなるだろう。


「さて……ここにお呼びしたのは橘さんの適正値についての話なのです」

「適正値ですか?」

「まぁ見てもらった方が早いですね」


 楪さんが指を鳴らすと、私の目の前にデータが投影された。データは三角形のグラフで構成され、各項目に『R』『G』『B』のパラメータが表示されている。さらに、総合評価と思しきものも掲載されていた。アイリスも同じデータを見ているが、そのデータを見るや、驚きを隠せないといった表情を見せた。


「……! 難波宮様、これはもしや」

「ええ。全ての色適正カラーナイズが100点満点、しかし魔術適正ニトロナイズは最低値のFランクというとても歪なパラメータなのです」


 また変な言葉が出てきた。


「……どういう意味でしょうか?」

魔術適正ニトロナイズは魔術そのものに対する適正です。F~Sのパラメータで構成されますが、これに関しては魔術補助の技術の発達によってリカバリすることは可能です。ですが色適正カラーナイズは別です」

色適正カラーナイズは個々人が使える魔術の限界を示すパラメータですわ。魔術は赤の魔術、緑の魔術、青の魔術をベースにこれらの出力を調整することで成り立っているのですわ」


 楪さんとアイリスが説明する。どうやらこの世界の魔術は色をベースにしているというのは想像できる。RedGreenBlue。これらは光の三原色と呼ばれていると習ったことがある。おそらくRGBとはRGB値のことで間違いないだろう。


「単色での魔術は問題なく使用できても、色を組み合わせるとなると話は別です。簡単に言えば同時に三つの魔術を使用していることと同義ですから。そうなると、どうしても出力に限界が生じてしまう」

「例えばわたくしの場合ですと……」


 アイリスが私と全く同じ形式のデータを提示する。Rの値は100を示しているが、Gの値は70前後、Bの値は90前後の値を示していた。


「わたくしは赤の魔術に関してはどのような状況下においても100%の力で使うことができます。しかし、緑の魔術の場合は別の色の魔術と組み合わせる場合においては70%の力しか発揮できませんわ」

「魔術の名家と言われるキネマゼンタ家のご令嬢ですらこれだ。色適正カラーナイズの全てにおいて完璧である存在は一億人に同じ検査をして一人出てくれば上々だろう」


 どうやら私はそのレベルに到達するほどの天才に分類されてしまったようだ。……本当に? 異世界から来たからって接待プレイとかしているんじゃないのだろうか?


「検査が間違ってるとかは無いんですか?」

「それはあり得ない。あの検査の誤診率はそれこそ一億人に一人出るか出ないかってところだ」

「正直自覚が持てないです。何かこう一目で分かるものって無いんですか?」

「あるにはある。むしろここからが本題だ」


 ここまででもかなりお腹がいっぱいだがまだ続くのか。そう辟易しながら聞いていると、楪さんは衝撃的な事実を言い放った。


「全ての色適正カラーナイズにおいて限界に至った者は、世界の『基底』を『観測』することができるという。故に私たちは憧憬の念をこめてこう呼ぶ……『白の観測者ヘヴンズ・オブザーヴァ』と」

 

 。この言葉を私は既に知っている。

 

「橘華凜、貴女は『基底』と謁見できるだけの力があるということだ。私の推測ではここに来る前に何か兆候があったのではないかと踏んでいるのだが、どうかな?」

 

『……そうだね。みんなからはって言われているよ』

『ここはこの世界の基底。妾はそこで全てをしている』


 そうだ。既に私は『基底』と呼ばれる存在に邂逅している。そして『基底』は私にこう告げた。


、この世界を。遡行と改変に満ちたを』


 基底はこの世界を欺瞞だと断定し、破壊してほしいと願った。なぜわざわざ私に破壊することを願っただろうか?


 白の観測者ヘヴンズ・オブザーヴァは一億人に一人出るか出ないかだという。だが、世界には何十億人という人間が存在しているはずだ。それは、私以外の白の観測者ヘヴンズ・オブザーヴァの存在を示唆していると言っても過言ではないだろう。彼らに頼まずに異界よりの嬰児リンカネート・パラディオンたる私に頼む理由は何だ?


 ……しかし、この情報は私の伝え方次第では私は大犯罪者になりかねない。ここは慎重に言葉を選ぼう。


「ここに来た日にアイリスに助けてもらって……晩ご飯を作ってもらってる時にそれっぽいことがあったかも……」

「アイリスさん、それは本当のことかな?」

「ええ。ディナーを作っている間、華凜さんはぐっすりと寝ていらっしゃいました。その時の夢、かもしれません」


 夢とは言うが、私には妙にリアリティのある夢だった。今でも髪を触られている感覚だとか、ブレスレットを見られている感覚だとかが残っているように錯覚する。


「どんな夢だったかは覚えているかな?」

「やけにリアリティのある夢でした。無機質な白壁が打ち付けられた部屋で、女の子と話す夢でした。その女の子は自分のことを『基底』と名乗ってました」


 ふむ、と楪さんは相づちを打つ。


「それだけかい?」

「はい。『基底』は君を歓迎すると言ってそのまま目が覚めました」

「なるほどね」


 楪さんは少し考えるそぶりを見せると、こう続けた。


「『基底』に関しては分からないことが多い。分かることは『この世界の礎を築き、魔術を人にもたらした』ということだけだ。その存在を唯一知覚することのできる白の観測者ヘヴンズ・オブザーヴァに頼っても、彼らは『基底』そのものに関する情報を知ることができなかった。だが……彼らには共通する特徴がある」

「特徴ですか?」

白の観測者ヘヴンズ・オブザーヴァは無意識のうちに基底を『観測』する。基底は彼らの夢に干渉し、叡智を与えた。これに関しては裏がとれている」


 夢に干渉する存在とは甚だ迷惑な存在といえる。これからの生活であの無機質な空間に吹き飛ばされる夢を何度も見ることになるのだろう。あまりいいこととは言えない。


「だから、詳細に基底が出てきた夢を語ることができるという時点で自分が白の観測者ヘヴンズ・オブザーヴァであると言っているようなものだ。さらに基底そのものを知覚したままで居られるというのはこれまで見たことがない」

「なるほど……」


 叡智を与えるか。私に与えられたのは『この世界ぶっ壊せ』ってのはアバウトが過ぎるのではないか? そして、基底は自らの存在を隠蔽していた。だが私にはその存在を公開した。基底はこの世界の破壊を本当に望んでいるのか?


「さて橘さん。貴女、元の世界では高校に入学する前だったでしょう?」

「何でそれを知ってるんですか?」

「スマホから取得したデータ、かな?」


 マナミールのインストール時に抜き取ったらしい。あの魔法少女、本当はマルウェアじゃないか?


白の観測者ヘヴンズ・オブザーヴァが発見された以上、丁重に扱う必要がある。マナミールによる監視も完全ではない。NMOから付き人を派遣するというのもあまりにも突然で用意ができない。故に私としてはアイリスさんと一緒に行動してもらうが一番安全だと思うのだよ」

「まぁ……合理的ではありますね」

「そこでアイリスさんが通う予定の学園に転入してもらうことにした。照葉しようよう学園といってな、魔術においては指折りの名門校だ」


 特異な能力が世界に蔓延る世界の学園。しかもアイリスみたいなお嬢様が通うような場所ともなれば、それは戦いと恋愛の古戦場テンプレ学園バトルラブコメと言っても過言ではない。まるで私が好きなラノベの世界みたいだ。嬉しいか悲しいかで言えば嬉しい方が勝るが、困惑もそれと同等に存在する。


「本当にいいんですか? 通わせてもらって……」

「この話をしたら学園長は快諾してくれたよ。『白の観測者ヘヴンズ・オブザーヴァを受け入れられるなど最高の栄誉だ』ってね」

「まるでアイドルみたいですね」

「まぁ同時に隠蔽もするがな。白の観測者ヘヴンズ・オブザーヴァはその力故に、魔導犯罪にとても狙われやすい。アイドルも似たようなものだ。故に、色適正カラーナイズはそれっぽく偽装する。まぁ魔術適正ニトロナイズが低いのが不幸中の幸いってところだな。この事実を知るのは局長である私、アイリスさん、そして照葉学園の学園長だけってところだ。あとは君たちの担当をした職員か」


 楪さんはケタケタと笑う。突然異世界に飛ばされしまったにも関わらず、まるでこの世界は異世界から人が来るのが当然であるかのように対応がとんとん拍子で進む。路頭に迷うことが無くなりひとまず安心と言ったところだ。


「今日はありがとうございました」

「なに、将来有望な若者と話すのは楽しいものだよ。細かな資料は後でアイリスさんのところに送っておく」


 私たちは局長室を後にし、帰路につく。


「ありがとうアイリス」

「……?」


 アイリスはきょとんとした顔でこちらを見ている。


「アイリスが居なかったら私、きっと大変なことになってたと思う。だからちゃんとお礼を言っておかないとね」

「ッ……! ま、まぁわたくしにとっては当然のことですわ」


 人を助けるということは当然と言ってもなかなかできることではないと私は思う。だからこそ、アイリスの生き方はまぶしく感じると同時に、何か鎖に縛られているような。そんな印象を受けたのだ。


 ※


 華凜とアイリスが局長室を後にし、特区管理局Nitrogic Management Organization局長である難波宮楪は大役を終えてホッと一息ついていた。


「局長らしい威厳出てたかなぁ……」

「まっ、楪の姉御にしては上々だったんじゃない?」

「なに、見てたの?」

 

 楪が『無』と対話する。『無』は徐々に色を取り戻し、元の人型へと姿を取り戻していった。それは楪と同じくらいの身長ではあるが、楪とは違い髪は金色に染まり、いかにもチャラいことをしてそうな印象を受ける少女だった。少女は乱雑に棒付きキャンディを舐め回しながら答える。


「まぁね。『私たちの世界』に新入りが来たってなら一目見とかないとだろ?」

「嬉しいの?」

「まさか」


 少女は嗤笑する。


「あんなナヨナヨしたのが本当に『白の観測者ヘヴンズ・オブザーヴァ』だってのか?」

「彼女は既に『基底』と謁見しているわ」

「マジかよ」


 少女は少し吃驚するが、その後にゲラゲラと笑い始めた。


「ハハハ! マジか! ウチですらまだ奴のシッポすら掴めないのによぉ!」


 一通り笑うと、少女の表情は一変する。それは侮蔑から獲物を狩る肉食獣のものであった。キャンディを舐め終わると、少女はつぶやく。


「へぇ……おもしれー女」

「私の仕事を増やさないでよ」

「善処するよ。なんせウチらの目的はあの女だけだからなァ!」


 そう絶叫すると、少女は高笑いと共に『無』に還った。嵐のように過ぎ去った少女の残滓を眺めながら楪はため息をつく。


「学園長さん、これから大変になるだろうなぁ……」


 楪は自分の仕事もまた大変なことになる未来を想起した。


「これならアイドルのスカウト断らなきゃよかった……」

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