『愛』について

高村 芳

『愛』について

 捕虜になってから、二週間ほど経っただろうか。寂れたコンクリートがむき出しの部屋に、鉄で作られた椅子と机があるだけの部屋に通された。

「こんなところですまない。我々には温感センサや触覚センサは搭載されているが、温もりや柔らかさとやらは必要ないのでね」

 椅子に座ったときに、あまりの冷たさに身体が跳ねたのを見られていたようだ。私は改めて座り直し、目の前の人型ロボットに視線を向けた。頭部につけられたゴーグルの奥にあるカメラが赤く光り、こちらに向けられたのが見える。あのカメラが主に彼らの視覚を担っていると学校では教えられたが、本当にそうなのだろうか? そんなことを考えていた矢先、予想もしていなかった一言がふってきた。


「今日から貴方には、教鞭をふるっていただく」


 聞き間違いだと思った。反論して攻撃されるのが怖かったが、静かに答える。


「私は教壇に立ったことなどない」

「問題ない。教えるのは専門知識ではないからだ」


 知識や記憶のデータをクラウドで管理・共有し、いつでもどこでも、どの機体でもダウンロードできる彼らに、私が教えることなんてあるのだろうか? 捕虜となり、てっきり工場で奴隷として働くのが関の山だと思っていた。捕虜がロボットに教鞭をふるうなんて、噂でも聞いたことがない。


「君が兵士に教えるのは、人間の“弱み”だ。兵士は特殊工作員になる可能性が高いロボットが大半で、いざというときに使える“弱み”を習得しておくことが求められる。しかし、知識はあっても理解ができていない兵士が多い。そんな彼らにわかるよう、“弱み”を教えてもらう」


 胃液がグッとあふれ出しそうになった。いつの間にか、震えている拳を膝の上で握りしめていた。


「人間の弱みですって? 脳も眼も手足も心も換えがきかない、人間の弱みを知りたい? あなたたちよりも、いくらでもあるわ、弱みなんか。この胸を貫けばいいのよ!」


 私は、立ち上がって、ロボットの目の前で自分の胸を指差した。戦地で死んでいった人たちのことを思い出していた。

 戦争は嫌だと叫びながら下半身を吹っ飛ばされて死んだ兵士。

 昨日まで花冠をつくって遊んでいた子供の亡骸。

 愛した人が戦地で死んだと聞いて、自ら頭を撃ち抜いた女性。

 あの所業に及んだ兵士が人間の弱みを知りたいなんて、なんて可笑しな話だろう。


「しかし人間は、戦争を止めようとしない」


 ロボットは息が上手く吸えない私の肩に手を置き、もう一度座らせた。力を込めれば私の肩など潰せるその手で、何人殺したのだろう。あまりの冷たさに、振り払う気力も無かった。


「世界人口の40.23%が戦争で死に絶えようとも、人間が私たちに軍事的勝利をおさめる可能性があと0.02%というシミュレーション結果が出ていようとも。こちらの再三の停戦提案を無視し続け、戦争を継続している」


 眼前のロボットがキュウルル、と音を立てて姿勢を変えた。人間が、疑問をもって首をかしげるような動作だ。


「死の間際、人間は決まって言う。“血が通わないおまえたちにはわからないだろう”と。確かに私たちに血は通っていないし、人間が戦争し続ける理由がわからない。非効率極まりない。だから、戦争を終わらざるをえないよう、人間に対し圧倒的な勝利を突きつけるために、人間の弱みを知ることにしたのだ」


 私に選択肢がないことはわかっていた。いくら仲間が死んだとて、自分が死ぬわけにはいかなかった。戦争が長く続き、地上にはびこるロボットから逃れて地下に潜るしかなくなった私たち。「いつか地上に行って空を見てみたい」と言う、生まれつき病弱な弟。たったひとりの家族のことを思えば、生き延びねばならなかった。たとえ、世界を敵に回しても、あの子に一目でも青い空を――。




 三日後、私は白い壁に四方を囲まれた部屋の中で、カメラの前に立っていた。今でもこの世界で戦争が起きているなんて嘘のように静かだ。銃撃音も爆風もない、誰もいないこの空間は、世界の終わりなのかも知れない。そんな馬鹿馬鹿しいことを考えていた。ロボットたちは目の前にはおらず、カメラで撮影された私の映像が信号となり、サーバーを介して各兵士に知識として“共有”されるのだそうだ。しんとした空気が私の肌にまとわりついている。

 私は覚悟を決めてカメラを見つめ、ロボットから与えられた紙とペンで書き綴った文章を読み始めた。


「今日から、人間の弱みについて、教えていきます。まずは、『愛』について……」

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『愛』について 高村 芳 @yo4_taka6ra

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