第5話 後ろ向きの前進
仮想世界と現実世界は違う。
当然のことではあるがそれがVRゲームである以上、どれほど圧倒的なリアリティを有していようとゲーム内で起こった出来事が現実の肉体に影響を及ぼすことはない。
まるで実際に体験したかのように感じたとしても、それらの正体は所詮プレイヤーの脳内を駆ける電気信号でしかないからだ。
ただ、それはそれとしても…
要するになにが言いたいかというと。
「うごえええ……」
『イベントクリア』のポップアップ表示を確認するのと同時にネクストライフをログアウトした僕は、そのままトイレの便器へと頭を突っ込んでいた。
そしてこれが、とても辛い。
なぜなら、なにかを吐き出したいのに吐き出すべきものなんてなにもないからだ。この、抑えようのない…吐き出したい気持ちばかりはどうあっても吐き出すことはできない。
「はっ、ふぅ、はぁ……。」
肉体的には横になっていただけだと言うのに今や全身から冷や汗が流れ、心臓は平時より鼓動が早まっている。
それもそのはずで、イベントクリア直後に見たメンタルアラートは強制終了秒読み段階と言った危険域まで達していたのだ。
3年振りに見たネクストライフの世界は相変わらず美しく…それでいてモザイクのないスプラッターシーンは耐性のない現代人に見せるべきではないと思う。
あまりのクオリティにヤクザやマフィアの構成員が血や残虐行為に慣れるための訓練に使用したとの都市伝説が囁かれたほどである。その後、それらの構成員が軒並み精神異常をきたし、一時的にあらゆる抗争が沈静化したとの後日談まで付随されていたが…はてさてどこまでが都市伝説でどこからが実話なのだろう。本当にありえそうなのが怖い。
「………。やっと治まったか…。」
思考を雑談に向けていたことが幸いしたようで、漸く体調が上向いてきた。
それでもまだフラフラする足取りを引きずるようにトイレを離れ、さっきまで横になっていたベッドへと腰掛ける。
一度座り込むと、再び立ち上がるだけの体力は残っていなかった。たった1人のエンディングを見ただけだと言うのに…今の僕は満身創痍だったのだ。
思い出補正が入り、甘く見ていたのかもしれない。
ブラック企業に3年を捧げ、精神的に成長した僕なら乗り越えられるとの思いは儚い幻想でしかなかった。
「これ、本当に
決意が揺らぐ。
正直……あまり自信はない。
今回の『魔獣のご飯』エンドはネクストライフにおいて、特段珍しいバッドエンドではない。それどころか、ネクストライフをプレイしていれば数回に一度は当たると言えるほど、定番中の定番なのだ。
どれほどの物かを具体的に言い表すと、食料探しに森に入れば
いやいや…路傍の石じゃないんだから。魔獣とのエンカウント率おかし過ぎない?
大抵の人間より魔獣の方が身体能力高いせいで駆除が間に合っていないんだろうな…。
『人類が滅びる直前ってこんな感じなのかな』と、そんなことを思う。同時に、『そんな時代をゲームの舞台にするな』とも思う。思っても詮無きことである。
さて………これから、どうしよう。
実績全開放を目指すのは辞めにするべきだろうか?
辞めるのであれば早い方が……傷が浅いうちがいい。
「とは言ってもね…。」
そう。このゲームを諦めたとして、他にやりたい事も思い浮かばないのだ。
それなら…全クリは置いておくとして、
まるで後ろ向きに前進しているかのような考えであったが、先の見えない人生を送っている僕にはそれぐらいがお似合いかもしれない。
「…でも、その前に一度休憩にしよう。」
それでもすぐにゲームを再開する気にはなれず、もうすぐ昼だと言うのに朝食さえ食べていなかったことを思い出し、お昼休憩にする。
久々のネクストライフプレイということで朝食を抜いていたのだが、それがなければ今もまだ胃がひっくり返っていたかもしれない。
ただ、このあとまたネクストライフをプレイすることを考えると消化に良い食べ物がいいかもしれない。
となると…あれかな。
僕が働いていた時によく食べていた…いや、飲んでいた栄養ドリンクを冷蔵庫から取り出すのだった。
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