第4話 ラブストーリーは早々やってこないけどトラウマは容易にやってくる
『今日のごっはんは、きのこなべ~♪美味しいなったら美味しいな~♪』
朝日登る森の中を陽気に歩く少女が1人。
あどけなさの残る顔つきには笑顔が浮かび、肩で切り揃えられたややくすんだ茶色の髪は少女の動きと微かにそよぐ風にあわせて踊るように跳ねる。
取らぬ狸の皮算用。今はまだなにも入っていない背中のカゴだが、少女は早くもこの後のご飯を夢想しているようだ。
背負っているカゴを除くなら麻でできた簡素な衣服に身を包み、右手にはその辺に落ちていたのを拾ったのだろう、どこにでもある木の枝をぶんぶん振るわすばかりで靴に至っては左右どちらも履いていない。
比較的暖かな気候であることを加味してもおおよそ森に入る格好とは思えなかったが、ネクストライフで生きるキャラクターの中では飢えていないだけまだましな方である。
それでも発育良好とは言えないスレンダーな体型なのだが。
恐らく、森に入ったのはこれが初めてではないのだろう。視界の悪い森の中だと言うのに少女の足取りは軽い。
…もしや、他のイベントが開始されたのだろうか?
イベントは今も少女のあとを追うように続いている。
それにしても…そう、それにしても、だ。
少女の姿を見てから終始、よくはわからないが言い様のない歯切れの悪さを感じている。それはまるで、思い出せないデジャブに手を伸ばすかのようで…背筋をゾワリと嫌な予感が這い上がってきていた。
『ふんふんふーん♪ それにしても今日もいい天気だねぇ~。』
そう呟きながら陽射しへと手を伸ばす少女の姿はどこから見ても微笑ましい光景だと言うのに、僕の脳は先程から最大級の警鐘を鳴らし続けている。
僕はなにかを知っているのだろうか?
よくよく考えてみれば少女だけではない。この森に来た時から見覚えがあるような…似た光景を見たような気がしていたのだ。
ただそれも完全に一致した光景を見たのではなく見え方が違うと言えばいいのだろうか。同じ物体を別角度から見たかのような違和感に似ている気がする。
ん?別角度…?
「あっ」
あああああああああああああ!!!
思い出した。思い出してしまった。
僕は確かにこの光景を、このイベントの結末を知っている。なぜなら僕はこの光景を、
つまり……このイベントは天使召喚などと言う良心的なものではなかった。
3年前、僕がネクストライフから遠ざかったのはなにも仕事が始まったからだけではない。ちょうどその頃に守護していたキャラクターを失ったのがきっかけだった。
守護対象を失ったプレイヤーは一度『神の座』と呼ばれる専用の空間に呼び戻される。
そこはデフォルトでは真っ白いだけの空間なのだけれど、プレイヤーがネクストライフ内で撮影したスクリーンショットを貼り付けたりと自由に着せ替えることもできる。まあそれは今は置いておくとしよう。
神の座に呼び戻されたプレイヤーはここで『そのままゲームを続ける』か『ログアウトする』かを選択することになるのだが、ここでログアウトを選択した場合、続きは次回ログイン時に持ち越される。
その続きと言うのが『エンディング』イベント…要するに守護対象の最後の瞬間を見るイベントなのである。
そんなイベントいちいち必要ないだろうと思うかもしれないが、守護対象が亡くなる瞬間に立ち会えなかったり、その場にいたとしても目を背けてしまい、見逃すことだってある。
これはそういうプレイヤーがキャラクターとしっかり離別する為に必要なイベントなのかもしれない。或いは…守護できなかったプレイヤーに対して、その罪から逃さないためか。僕は後者なんじゃないかと思っている。
当時の僕は失ったキャラクターへの愛着が強く、このイベントを見る勇気がなかった。だから、ちょうど新たに始まった仕事に逃げ、そのまま記憶に蓋をしてしまっていた。そうして散々逃げ続けていたツケが今、回ってきたのだろう。
当時よりは思い出として気持ちを消化できている上に、ネクストライフから離れていた3年間をブラック企業で過ごしたことで精神面でも成長している自信はある…が、それでも心を無くしたわけではない。
これは、このゲームをクリアする為には乗り越えなきゃいけない壁か…。
僕が過去の記憶を思い出したのと時を同じくして『パァンッ』と何かが弾ける音が森に響き、少女の体がぐらりと傾いた。
『え…?』
急に倒れた本人は未だに状況がわかっておらず、とりあえず立ち直そうと足に力を入れようとする…のだが。
『■■■■■ー!?!?』
少女の喉から言葉にならない叫び声が放たれる。
それもそうだろう。少女の右足は大きく抉られていたのだ。
「うっ!ぐううう!!」
少女から少し離れたところにいる僕にはなにが起こったのか、その一部始終が鮮明に見えてしまい口元を手で覆う。
現実世界ではないのでなにかを吐き出したりとかは意図しない限り起こらないのだが、そう頭で分かっていても咄嗟の反応が出てしまうのは仕方がないだろう。
なにせ…どこまでもリアルなグラフィックが、生々しいまでのグロテスクさをもって人が魔獣に襲われる様を映し出していたのだから。
『ゔゔゔゔゔゔ!!!』
少女の叫び声が止むことはなく、その姿があまりに痛々しくて目を背けたくなるが、ネクストライフのイベントは視界フォーカスにより進行されるため、ここで目を逸らしてしまえばイベントはいつまで経っても進まない。少女は痛い思いをし続けるだけなのだ。
自身の守護の至らなさを見ることしか、今の僕に出来ることはない。まるで『この結末はお前のせいだ』と言われているかのようだった。
僕がどれだけ後悔してもイベントは続く。上手に立ち上がれず、地に座り込んでしまった少女を再び
その動きに反応できていたと言うよりもただ恐怖を遠ざけたかったのだろう。咄嗟に両手を全面へと突き出したことが幸いし致命傷からは逃れられたが、少女と大差ない体格を持つ魔狼の突進は片足に怪我を負った少女では抑えられない。
そのまま、少女は魔狼に組み伏せられてしまった。
この結果を見るならば…最早幸いではなく災いだったのかもしれない。本能的に頭を庇ってしまったことで、少女の命は一息では途切れない。この恐怖が、尚も続いてしまうのだから。
魔狼がどうしてこんなところに!?痛い!熱い!怖い!痛い!怖い!痛い痛い痛い!!!!!
イタイイタ■イタイイ■■イタイ■■■■!!!
少女の感情が濁流のように僕の脳へと流れ込んでくる。
ネクストライフでは守護対象にプレイヤーの意見を発想と言う形で送信できることの他に…守護対象の思考がプレイヤーへと受信されてくるのだ。
そして、それは守護対象の想いが強いほどに遮る術なくプレイヤーへと送信されてくる。
やがて骨へと達した魔獣の牙は少女の腕の骨をガリガリと砕き削る。その音が響く頃には僕のSAN値もガリガリと削り切られていた。リアルな世界を作るにしても、ここまでのリアルさは誰も求めていなかっただろう。
「ううう…。」
久しぶりのログインでこのイベントは精神的な負担が大き過ぎた。先送りにした過去の僕が恨めしい。
視界の端には精神状態に問題が発生したことを示すメンタルアラートの警告が表示されている。これがより悪化するとVRシステムは強制的に終了し、僕を現実世界へと連れ戻す。
そして、ネクストライフのイベントは
3年ぶりだと言うのに、やっぱりこのゲームはクソゲーだなあ!!
悪態を付いてでも気持ちを強く持たなければそのまま持っていかれる。ここまできてもう一度見ることになるなんて絶対にごめんだ。
されるがままの少女を前に、魔獣の尾が左右へ揺れている。その姿を見れば、魔獣が人を怒りや憎しみにより襲いかかっているわけではないことがわかる。わかってしまう。彼らはーーそう。ただ、
やがて、ブチりと切り離した少女の腕を咥えて魔狼は姿を消した。仲間に餌を分け与えに行ったのかなんなのか、理由は分からない。この頃には少女の思念もほとんど聞こえてこなくなっていた。
血が、流れすぎている。
少女を中心に真っ赤に染まった地と空気を押し退けるほどにむせ返った血臭は少女が既に致命であることを物語っていた。
それでも少女は最後の力を振り絞るようにして再び陽射しへと手を伸ばす。しかし、伸ばした先に掴む手はなく…掴める未来もないのだった。
これこそがネクストライフの中でもド定番なバッドエンド『魔獣のご飯』エンドである。
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