第23話 吸血鬼、葛藤

 うろうろ

 ちらちら


「……むぅ」


 アンジュが黒竜と戦っているちょうどその時、ナハトは城の中をぐるぐると歩き回っていた。

 何か落ち着かないようにあっちこっちへとふらふら歩いているその様は、傍から見たらまるで森の中で迷子になってしまったかのようだった。


 ナハトがこのように落ち着かない気持ちになっているのは、アンジュがこの城から出て冒険者になったばかりの日に、黒竜なんてものを見つけてしまったからだった。

 もちろん、アンジュが黒竜と邂逅しているかどうかなんて分からない訳で、今ナハトがしているこの心配もただの杞憂である可能性は十分にあるし、頭ではそのことも理解しているのだが、それでも心配の気持ちはどうしても消えそうになかった。


 最初、黒竜を見つけた時はそこまで気にせずにもう一度眠りについていたナハトだったのだが、何か気になったのかすぐに目が覚めてしまい、それからはずっとうろうろしていたのだ。


「竜とはいえ、これが下位の竜ども、せめて色を持たない竜だったらば、安心なのだがなァ……。よりにもよって、色持ち、それも最高位の黒では、今のアンジュでは勝てんよなぁ……」


 もちろん、ナハトは自分であるならば黒竜が襲って来ようと何も気にしなかったのだが、黒竜の目的が自分でなく、しかも未だに遠く離れた場所で暴れているのだから、万が一、アンジュと黒竜が戦っていたら、と想像しては落ち着かない気持ちになっていた。

 今のアンジュは、元の素質もあっただろうが、これまでナハトが鍛え、育んだ結果、総合的に見てもこの世界でかなり上位の強さを身に付けているが、最強の種族である竜、その頂点の黒竜が相手では流石に勝ちの目は拾えないのは明らかだった。


 それだけ気になるならば、見に行けばいいのだが、アンジュならば大丈夫と叩き出した日の翌日に早速様子を見に行ってしまっては、アンジュのことを信頼していない様で、アンジュを馬鹿にしたことにならないだろうかと考えて足が止まってしまっていた。


「うぅむ……うぅうぅぅぅむ……!」







 結果、様子見に行きたい心配な気持ちと、アンジュを信じて行かないようにしようという理性が戦い続け、そして、


「黒竜が何と戦っているのかを確認して、アンジュは探さない。もしアンジュと戦っているのなら危なくなるまで手を出さずに見て、危なくなったら一度だけ手を出そう、アンジュにはバレないように」


 そう決めてナハトは森の中を疾走していた。

 いつものような余裕な態度は残っておらず、全力までは出していないものの、傍から見てもナハトを視認できないほどの速度で森の中を突っ切っていた。

 道中出会う獣や魔物も避けることすらせずに疾走しているので、たまに獣であっただろう肉片が吹き飛んでいくことになったが、ナハトは全く気にせず、黒竜の暴れている気配のする方へと疾走していた。


 そして、


「む」


 一瞬、アンジュの気配が膨れ上がり、そして黒竜の圧力が収まったことを感じた。

 ナハトはそれだけでおおよその今起きたことを察した。


「知らぬうちに黒竜に届きうる一撃を出せるようになったのか……」


 アンジュの成長を喜び、そして無事を察してナハトはそれまでの心配が解けていくような心持ちになっていた。

 さて、無事も分かったことだしもう帰ってもいいかと思ったのだが、せっかくここまで来たことだし一目、アンジュの顔を見て行くことにした。

 とはいえ、もうかなり近い距離まで来ていたことだし、無事も分かったので急ぐ必要は無いと、ゆっくりと歩き始めた。


「あんなに小さかったガキがなぁ……。まったく、大きく、強くなったものだな……」


 アンジュと出会ったころからのことを少し振り返りながら、これまでしっかりと成長したことを素直に喜ばしく感じていた。


 ……アンジュのひとまずの無事を感じて、少し気が緩んでしまったのだろう。

 それが災いしたのだろう、そのせいで、普段ならば気づけた気配を、ようやく気が付いた時には致命的なほどに遅かった。


「っ!」


 突如として、アンジュのすぐ傍で膨れ上がる気配、そしてそれに反比例するかのように力を失いゆくアンジュを感じて、ナハトは動き出した。

 その踏み込みは地を砕き、空気を切り裂き、進んだ先にある障害物は悉く消滅することとなった。


 そうして刹那の後にナハトが見た光景は、白くなったアンジュと、そのアンジュの首元に噛みつき、吸血している吸血鬼ゴミの姿だった。

 それを目にした次の瞬間には、吸血鬼の頭を吹き飛ばし、心臓に杭を突き立て、手足を全て捥いでいた。


「アンジュ!」


 しかし、だからと言ってアンジュの血が戻るわけではなく、もはやアンジュの復活は絶望的だった。

 魔術では血液は回復しない、それは魔術を極めたナハトであっても抗えない摂理だ。

 既にアンジュは血液の全てを失い、竜の血の力によって、命だけは繋いでいるものの、それももはや時間の問題ですぐにでも命の灯火が消えるだろうことは、誰の目にも明らかだった。


 万能と言われ、最強と言われた自分は、死に瀕する自分の弟子すら救えない、その事実に、そしてアンジュを失うかもしれないという事実に、ナハトは絶望しそうになっていた。



 自分の不甲斐なさへの怒り、アンジュを襲った吸血鬼への怒りから、無意識に牙が伸びて自分の口を傷つけていたが、そんなことも気にかけず、何か、方法は無いかと考えていたナハトは、不意に目に入ったものから、一つだけ、アンジュを死なせない方法を思いついた。


「いや、しかし……! だが……っ!」


 しかし、その思いついた方法は、命は救うかもしれない、だが、それでアンジュが喜ぶのか、生きていて良かったと思えるのかは分からないどころか、むしろ死んだ方がいいと思う可能性すらある方法で、即座に行動に移すことは出来なかった。


「……クソッ!」


 大いに悩んでいたナハトだったが、抱いている腕に伝わる温度が、徐々に感じられなくなっていく命の重さが、ナハトに決断させたのだった。

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