第22話 少女、一閃

 少し前から、黒竜からの敵意が消えた。

 しかし、攻撃が止むのかと思ったが、何故か攻撃は止まなかったし、それどころかより苛烈な攻撃がアンジュを襲い始めた。


 いや、何で!?

 敵意が無くなったなら攻撃しないでいいでしょ!?


 そんなことを考えていられたのも束の間、すぐに苛烈になった攻撃に対処することだけに集中していないといけなくなったので、他所事も考えられなくなっていた。

 しかし、徐々に慣れて来たのか、それともアンジュの動きが洗練されてきたのか徐々に動きにも余裕が出るようになってきていた。


 言うなれば、無縫。

 継ぎ目なく全ての動作が連動して動いていた。


 それからも、避けて、避けて、いなして、逸らし、気がつけば日は沈んで月がその姿を現していた。


 黒竜と対峙して、そろそろ五時間ほどが経過するのだ、当然辺りも暗くなるだろう。

 夜目が効かなかったら黒竜を見つけられなくなってしまっただろうから、暗くなっても大丈夫ではあるのだが、それでも五時間も全力戦闘を行っていれば、それが回避主体だったとしても体力が限界を迎えるのは当たり前といえば当たり前の事であった。


「ハァ、ハァ、ハァ……」


 肩で息をしながら、距離が離れていることをいいことに木にもたれかかりながら、少しでも体力回復に努めていた。

 黒竜は機嫌よさそうに、ゆっくりとアンジュへと向かって歩いてきていたが、それに気付いていながらも遠くまで逃げるほどの体力は残っていなかった。

 正直、先程までは何かを考えている余裕など全くなかったものの、今は距離があったことで、色々と考えていた。

 今、ここに立っていられるのは、目の前の存在に対しての怒りによるものだった。


 何が原因で暴れているのかは知らないが、何故、自分に向かってくるのか、自分の目的を果たしに行けばいいじゃないか。

 途中で敵意が消えた時点で、帰ってくれても良かったじゃないか、意味もわからないまま、しかも苛烈になっていく攻撃に付き合わされて、もう体力も魔力も気力もほとんど尽きてしまったじゃないか。

 そして、自分はこんなに苦しい思いをしてまで死なないように動くのが精いっぱいだっていうのに、何を楽しそうにしてやがる、ふざけんな。


 そう考えて、沸々と怒りが溜まっていることに気がついた。

 ここまでの戦闘で、相当のストレスが溜まっていたのだろう、そう思えば、ここまで逃げ続けだったことに対してもムカついてきた。


 もう、いいだろう。

 正直、この黒竜クソトカゲに現状勝てる気はしないし、このまま避けつづけるだけでも体力的に敵うわけもない。

 それなら、せめて一か八かで痛い目に合わせてやりたい。


 そうと決めたら、もうやることは一つだけだ。

 身体がひとまず動くだけの体力が回復しているのを確認し、複数の魔術を準備し始めた。

 そして、悠々と近付いてくる黒竜を視界に収めて最後の力を振り絞って走り出した。

 自身の最高速には遠く及ばないほどに遅い足取りではあったが、それでも緩急を交えたその動きは、黒竜をして一瞬見失うほどに洗練されていた。


「!」


 気が付いた時には、アンジュは黒竜の真下、逆鱗の生えた胸部の前に立っていた。

 そして、手に持った剣に準備していた魔術を纏わせ、更には同時に展開していた魔術で足元の地面をぬかるませたことで黒竜の動きを阻害、そして飛びかかる勢いそのまま胸元の逆鱗を切り裂くように振り抜いた。


 肉や鱗の抵抗もさほど感じずに、剣の振り抜かれた位置にはそれまでなかった一直線の傷が入っており、刹那の後に傷跡から血が吹き出て来た。


「グルルゥオ!?」


 これは流石の黒竜にも痛手になったのか苦痛に叫ぶと、そのままぬかるみに足をとられて体勢を崩してきた。

 だが、アンジュも今の一撃は自分の残る体力、気力、魔力とほとんど全てを振り絞って放った一閃だったので、その隙をつくことは出来ずに剣を杖のようにして座り込まないようにすることで精いっぱいだった。


 流石に、これ以上できることも無く、加えて深手を負わせたとはいえ黒竜にとっては致命傷とも言えないようで、首を曲げて自身の傷を確認していた。


(流石にこれ以上はもう無理かな……。勝ちは奪えなかったけれど、一泡ふかすことぐらいは出来たよね……)


 今すぐに意識を手放したいような状況ではあったが、それでもせめてもの矜持で、命絶えるその瞬間まで倒れてなるものかと踏ん張りながら、黒竜の攻撃を待っていた。


「ククク、ガハハハッ! まさか人の身で、真正面から我が身体を切り裂くものがいるとは思わなかったぞ!」


「……? えっ!? 話せたの!?」


 すると、黒竜は急に笑い始めたどころか、人の言葉を話し始めたではないか。

 てっきりそのまま食われるか殺されると思っていた、そしてそれまでそんな素振りを見せなかった黒竜が、いきなり話し始めたことにアンジュは驚いてしまった。


「当然だ。我は竜ぞ、言葉など容易に解すことが出来るのだから、話すことも容易い。そんなことよりもだ、貴様、名はなんという?」


「……アンジュ、です」


「そうか、よし、覚えたぞ。我が身体に傷をつけし英雄よ」


 やはり、怒っているのでは、と黒竜の考えが分からないアンジュはひやひやしながらも、しかし目の前の黒竜からは敵意のようなものが感じられないことで困惑していた。


「さて、アンジュよ。我の遊びに付き合わせたことの礼と、我の身体に傷をつけたことの褒美として、我の血をやろう。竜の血、それも最強の竜であるこの我の血だ。そう簡単には死ななくなる。とはいっても、傷が治るわけでもなく、強くなるわけでもないが、それでも死ににくいというのはそれだけでも十分な恩恵だろうからな」


「……何故、そんなことを?」


「何故と言っても、言った通りに礼と敬意の証だ。久方ぶりに愉しい戦いだったからな。それと、更に研鑚を積んだ貴様ともう一度、存分に戦いたいからこそ、簡単に死んでほしくは無いからだ」


 少し、戦闘狂じみた考えをしていた黒竜だったが、ひとまずはアンジュも納得して、黒竜の血を受け取ることにした。

 すると、瞬きの間にアンジュの前には魔術で作られた盃と、そしてそこにはなみなみに竜の血が入っていた。


「ほれ、グイッと行け、グイッと」


 黒竜に促されるままに盃を口につけ、一気に呷った。

 血を飲むことに抵抗が無かったわけではないが、長時間の戦闘の後で身体が水分を欲していたこと、それと普段から血を飲む存在をずっと見て来たからこそ、忌避することはなく飲み干すことが出来た。

 とはいえ、黒竜の言うようにすぐに疲労が取れたり、傷が治ったり、力が湧いてくるという事も無かったが。


「さて、それではアンジュよ、また会おう。将来を楽しみにしているぞ」


 アンジュが血を飲み切ったのを確認すると、黒竜はそう言って空へと飛び立つのだった。








 一人残されたアンジュは、少しの間呆然としていた。


「……冒険者になったその日にこんなにいろんなことがあるとは思わなかった」


 そしてひとまず、限界の身体を休ませたいと考えて町へと変える方向へ足を動かしたその時だった。




 プツッと、皮膚を突き破る音、そして自分の首筋に歯を突き立てる男がいた。

 アンジュも十分に強くなっていたとはいえ、黒竜との長時間の死闘、その後の色々で注意力が散漫になっていたこともあったが、予兆も無く唐突に現れた男に噛みつかれたアンジュは、抵抗も出来ずに徐々に体から力が、熱が抜けていくのを感じていた。

 吸血鬼に、血を吸われている、そう考えているのに、どうにも力の入らない身体、抵抗できない自分を恨みながら、暗転していく意識の中、最期に脳裏にあったのは自分を庇って死んでいった母親と、憎しみながらも慕い始めていた、ナハトのことだった。

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