第5話 セイロン吐き

 何が正しいのだろうか?

 何を以て正しいのだろうか?

 まあそんな疑問をぶつけたところで、答えとして得れるのは一般的な道徳か、個人が内包する倫理かのどちらかに従ったものなのだろうけれど。

 そんなことはどうでもよくて。話題に上げたいのはもっと別な話。

 時に、人は自身の正しく無さから目を背ける。その正しく無さの規模は関係ない。落ちてる小銭をネコババするのも、大金の入った財布を拾い、そのままくすねるのも。規模は違えど正しさから目を背けるのだろう。最も、人によって正しさの基準が異なれば、この例も正しく無さの例としては適切ではないのだろうけれど。

 話を戻す。要は人は多かれ少なかれ正しさから目をそらすこともあるのだ。それが正しくないと知った上で。

 だからこそ、知っているからこそ、「それは正しくないぞ」と正論を吐かれるのは、嫌われるに決まっている。

 正論吐きは嫌われるのだ。

 人が正しいまま生き、正しいまま生き抜くなんて到底困難な道である。その上でする悪道が、正しくないなんて百も承知。本当に余計なお世話である。

 そしてそれが最も余計なお世話になのが、第三者の正論である。もはや無関係だ。

 抱えているもの、その背景も知らず正論を吐いて立ち去るのに、どこに好かれる要素があると思うのか。そのまま嫌われる。

 だったら。そのまま嫌われる覚悟をしなければならない。

 善意を持った正論で善意が返ってくる等と考えるのは言語道断。

 人にその正論をぶつけたいのであったら。嫌われると知ってそれを行え。

 その覚悟のうえで、嫌われる上で正論を吐かなければならない。

 ――よもや好かれると思って正論を吐くわけではあるまいな。

 正論吐きは正しくない。

 だからこそ、正論吐きは嫌われる。

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