第24話
「アイドルが同性、それも片割れとカップルなんてどう思いますか」
「ファンを裏切ってませんか」
何を言われても、色葉が澄ました顔で撮影を終えて移動車に向かっている時に、その声は聞こえた。
「甘滝紗々芽さんにそそのかされたんですか!」
その言葉にピクリと色葉の肩が揺れた。
たった今発言した記者に視線をやると、まっすぐに背筋を伸ばしたままはっきりと事実を口にする。
「あくまで私の片思いで、紗々芽は関係ない」
口にした途端、フラッシュがたかれるけれど、色葉は平然とそれを受け入れていた。
刹那、ざわざわと記者が騒ぎ出したかと思った瞬間。
「色葉!」
小さな体を利用して人垣を抜けた紗々芽が、色葉を抱きしめていた。
「エヴァの片割れだ!」
記者の言葉に、一斉にカメラが先ほどとは比べ物にならないくらい向けられる。
「紗々芽、何で来たの!」
目を見開いた色葉が呆然と声を上げたが、そんなことはおかまいなしに紗々芽は小さな体で精一杯つま先立ちして色葉を抱きしめた。
「お前だけ矢面に立たせられるか!」
一瞬泣きそうな顔をした色葉が、それでもカメラから守るように紗々芽の小さな体を抱きしめ返した。
「色葉ちゃん、紗々芽ちゃん乗って!」
井口が移動車のドアを開いて声を上げると。
体を離した色葉が紗々芽の手を引いて、走って車の中へと乗り込んだ。
記者達を尻目に事務所に行くまで、二人は無言で手を繋いでいた。
事務所ではいつもの応接室に通されて、会ったこともない社長などが揃っていて、紗々芽はまずは自分がしゃしゃり出たことを謝った。
色葉も、静かに頭を下げていた。
結局、罰や自粛、引退をさせることはないと言われた。
井口が言うには、今までだいぶ強引に事を進めてきたのでこちらも少し反省しているという事だった。
「今何か温かいものでも持ってくるから」
井口が席を外し、応接室には色葉と紗々芽の二人きりになった。
手は、まだ強く強く繋いだままだ。
この半年で、ここに来るたびに人生が変わっている気がするなと、紗々芽は少しおかしく思った。
「紗々芽、なんで来たの」
ぽつりと零された言葉。
横を見ると、色葉は紗々芽に横顔を見せたままで目線も向けていない。
「言ったろ、お前だけ矢面に立たせられるかよ」
じっとその整った横顔を見ていると、その顔が俯いてさらりと黒い髪が横顔のラインを隠した。
「髪だって……」
「いやこれは気分転換に」
ごまかすように笑ったが、井口に聞いたと返されてへにょりと眉がへたった。
「大事に伸ばしてたのに。紗々芽を守りたかったのに、大事だったのに……ごめんなさい」
「色葉、あたしは」
「お願いだから優しくしないで……希望もっちゃうよ」
いつになく弱気でいたいけな声に、紗々芽は開きかけた口を閉じて色葉から視線を外した。
膝に置いた自分の手を見て、初めてルームソックスにシューズなんてへんてこな格好な事に気付く。
「あたしさ、友達いないわけじゃないけど、浅い付き合いしかしてこなかった。なのに、お前がズカズカ入ってくるんだもん」
「それは紗々芽だ」
ふるふると小さく振られた頭が、さらさらと髪を揺らす。
「みんな外見で寄ってきて引っ付いて回って、何でも出来て当たり前。紗々芽が初めてだったよ、心配してくれたのも、優しくしてくれたのも」
「それは、友情じゃ駄目なのか」
こくりと小さく頷く小作りな頭。
顔を上げると色葉はそっと自分の右胸を指差した。
「駄目だね……もう紗々芽は私のここの誰も入れない場所にいるんだよ」
「そっか……」
「ごめんね。これ以上迷惑は、かけないようにするから」
するりとそう言って繋いでいた手を離す。
力なく言ったその姿を紗々芽は力いっぱい抱きしめたいと思った。
でも、はっきりと答えられない自分にその資格はないと、離れた体温を恋しがるように自分の手を強く握りしめた。
どきどきと緊張しながら紗々芽は応接室のソファーに座っていた。
向かいには井口が座っていて、何枚ものルーズリーフをじっくりと呼んでいて目線が動いている。
ピンで綺麗に固定されている彼の首元にぶら下がる金色の林檎が大きくかかれているネクタイを、毎度恒例行事のように観察する。
そうでもしないと両手で顔を覆って叫び出しそうなくらい恥ずかしいからだ。
エヴァのファーストアルバムが出ることに決まった。
そのうちのいくつかの歌詞を紗々芽に任せたいと言われて、井口に書き溜めるように言われていた文章の山をバインダーに挟み込んで事務所に持参したのだ。
正直どう書いたらいいかわからなくて苦労したし、以前みたいに秋子や色葉が読んでお墨付きをもらったわけでもない。
いきなり井口に見せているので絶対ダメ出しされると紗々芽は胃がキリキリしていた。
ふと視線を上げれば壁にはエヴァのポスターが貼ってある。
つい先日取った写真だった。
青い帽子とセーラーワンピース姿の二人が背中合わせに笑っている。
自分の何枚もNGを出した笑顔を見上げて、それから色葉に目をやった。
撮影日、色葉はギリギリに来て休憩時間も姿を消して終わればさっさと帰ってしまった。
いつかの避けられた日のように。
でもあの日と違ったのは、紗々芽が話しかけても言葉少なく目も合わせてくれなかった。
自分に傷つく権利なんかない。
色葉の気持ちに応えてもいないのに、中途半端に傍に寄って行った自分に紗々芽は正直に言うと帰宅して自己嫌悪した。
あの日色葉の笑顔なんて見たとは一度も思っていなかったのに、ポスターを見れば綺麗な笑みを浮かべている。
(もう、あたしには笑ってくれないのかな)
なんとなく最近左腕にいつもつけている、色葉に貰ったシュシュをそっと手のひらで押さえた。
「紗々芽ちゃん」
「はいっ」
ぼんやりしていると、すべてに目を通したらしい井口が不思議そうに顔を上げていた。
自分の思考に沈んでいた紗々芽は慌てて。
「何でもないです」
ふるふると首を振った。
「えっと……どうでしたか?」
「うん、これとかこれ」
ルーズリーフを何枚か指差して、井口はむふんと満足そうに口元に笑みを浮かべた。
「悪くないね。粗削りだけどまだ時間はあるし、予定通りにアルバムに紗々芽ちゃんの歌詞を採用しよう。アルバム用に練り直してもらえるかな」
井口に褒められて紗々芽はほにゃりと眉を下げた。
「よかったです……でも作詞って本当に大変ですね」
「まあ、そうだね。プロでも生みの苦しみは壮絶だからね」
「うわあ」
バインダーにルーズリーフを戻しながら、井口はそうだと眼鏡のブリッジを上げた。
「ちょうど今日プロの作詞家が来てるんだよ。勉強になるだろうから会うといい、呼んで来るよ」
「え!ちょっ井口さん!」
紗々芽が止める間もなく井口はいそいそとバインダーにルーズリーフを閉じて応接室を出て行ってしまった。
残された紗々芽はぽつんとドアを振り返ったまま一人になる。
「プロの人なんて恐れ多いよ」
どうしようと口元に手を当て紗々芽が挙動不審にしていると、すぐにノックがして井口が顔を出した。
そして彼がドアを開けて促すと、細身に肩までの長髪を後ろでひとつに束ねている三十代くらいの男が現れた。
見知らぬ顔に、慌てて。
「甘滝紗々芽です」
立ち上がってぺこりとおじぎをすると、男の方もやあと軽く会釈した。
「作詞家の江波君だよ。今度のアルバムに参加予定だし、なによりデビュー曲を書いてくれた人だよ」
井口の紹介に、思わずええっと紗々芽は声を上げてしまった。
デビューの時はイレギュラーにバタバタしていたので作詞家と会ったりはしなかったのだ。
「デビュー曲、素敵な歌を歌わせていただいて、ありがとうございます」
「やあ、そう言ってもらえると嬉しいな。江波です」
「じゃあ紗々芽ちゃん、ゆっくり話すといいよ」
「えぇっ」
無情にも井口は言うだけ言うと、ドアを閉めて去ってしまった。
知らない人間といきなり二人きりなんて、と思っていると江波がひょいとソファーに座ってくすくすと笑った。
「固くならなくていいよ、クリエイティブなことだからね。できれば色々話したくて二人にしてもらったんだ」
そんなことを言われて固くなるなと言う方が無理だ。
ぎくしゃくとソファーに腰を落とすと、紗々芽は両手の指をもじもじとさせた。
「『桜散らし』だけどね」
ぴくりと思わず肩が揺れる。
何を言われるだろうと口を引き結んだら。
「あれはよかったよ。瑞々しくて、新鮮さがあって」
顎を撫でながら言った江波の誉め言葉に、紗々芽はかあっと耳を薄紅に染めた。
まさかな反応に熱くなっていく頬に手を当てると、江波はローテーブルに乗っていたバインダーを開いて遠慮なくルーズリーフを読み出した。
はわわと再び挙動不審になる紗々芽を無視して、江波は一枚読んではルーズリーフをめくっていく。
「アルバムの予定曲だよね?」
「はい」
「うん、まだまだ粗削りでつたないけど、いい味出てるよ」
江波の言葉に紗々芽は口元をほころばせようとしたが。
「君けっこうメルヘンチックなもの好きでしょ」
「えっいや!その……そんなことは……」
いきなり秘密にしている好みがバレて紗々芽は声を上げたが、だんだん尻すぼみになっていく。
頬が一気に真っ赤になった。
それを見やって江波がまたくすくすと肩を揺らした。
「隠さない隠さない。作詞はさらけ出してこそだよ」
ほら落ち着いてと言われ、紗々芽は何度か小さく深呼吸して自分を落ち着かせた。
「そういうもんですか?」
落ち着いてきた頬の熱さをはらうように右手で小さく二度、顔をあおいだ。
「固い歌詞もあるけどね。ほら、これ結構頭使ったんじゃない?」
見せられたルーズリーフは確かにうんうん唸って書いたものだった。
「カラオケに行って色々な人の歌詞見て勉強しました」
こくりと頷くと、やっぱりと江波がにっこり笑う。
「うーん多分だけどね、君は理論的にリサーチして書くより、自分の好きな物や憧れとか嫌いだとかせつないとかを膨らませた方がいいタイプだと思う。こっちなんかは結構力抜けてふわふわした状態で書いたんじゃない?」
「そ、それは息抜きに書いたやつで……」
よりによって一番見られて恥ずかしいと思っていた歌詞のルーズリーフを示されて、とうとう紗々芽は両手で顔を覆ってしまった。
「ふふふ、いい具合に力が抜けてるよ」
「うぅぅ」
ぺらぺらとルーズリーフをまくる音に、おずおずと顔から手を離し。
「あの、リサーチ向いてないなら煮詰まったときどうすればいいんですか?」
「色んな物を見たり読んだり嗅いだり食べたり、だね。とにかく五感をフルに動かすことをオススメするかな。そしてそのなかで一番強烈な感情に集中する」
ふんふんと頷いて、感情かあと自信なさげに紗々芽が言うと、江波は悪戯気に笑みを浮かべた。
「例えば今の君の心の中は?」
「え……うん、と……うれしい、とむずかしいなって不安、かな」
「そうだね、じゃあ今一番心に浮かぶものは?」
そりゃあ歌詞のことだと答えようとして、紗々芽は口を止めた。
最初に歌詞を褒めてくれた人物のほころんだ顔が胸に浮かぶ。
「……色葉」
ぽつんと言葉を零してから、ハッと紗々芽は我に返った。
何を言っているのだ自分は。
「あの、違う!違います」
慌てて江波を見やると、しかし彼は。
「いいんだよ、別に。それが一番強烈なら」
おだやかに諭すように、微笑んだ。
「でも、色葉のことなんて書いたら」
「何でもかんでも書けってことじゃないよ。たとえば彼女のどんなところを思い出す?」
そんなこといきなり言われても、と思う。
色葉のこと。
「……いい匂いで」
「うん、他には?」
優しく促され、紗々芽はおずおずと口を動かした。
「爪、綺麗って思って」
「そう」
「いつも笑ってる顔とか」
「へえ」
そこで紗々芽は言葉を区切った。
これを言ってしまっていいのだろうかと思うが、でも一番紗々芽の中で大きな思い出だ。
口が小さく動くと、ころんと言葉が転び出た。
「……すきって言ったこえ」
紗々芽の唇は震えて、言い終わった瞬間にぽとりぽとりと雫が頬を伝い落ちていた。
それが膝に置いていた手の甲に落ちた事で、ようやく紗々芽は自分が泣いていることに気付いた。
慌てて着ていた薄手のカーディガンの袖を伸ばして涙を拭う。
「やだな、何泣いてるんだろ。変な事口走っちゃって」
ごめんなさいと言いかけて。
「いいんだよ」
江波が柔らかく声を発した。
彼は終始穏やかな表情で紗々芽を見やっている。
「それは君の中にある大事な気持ちだ」
「でも、これを歌詞になんて」
「しなくてもいいさ」
ぐいと涙を拭った紗々芽は、江波の言葉にぱちりとまつ毛を動かした。
拭いきれていなかった涙の粒が一粒ころりと落ちていく。
「色葉ちゃんのことを書いてもいいけれど、そうだな。笑顔だけ、声だけを考えて書いてもいい。全部を書く必要はないよ」
トンと江波は自分の右胸を指して見せた。
「自分の気持ちをさらけ出すのは大事だし必要だけれど、それは自分を知るために必要だからするんだ。歌詞はそのたくさんある気持ちのひとつを書けばいい」
「さらけ出す……」
紗々芽もそっと自分の右胸に手を当てた。
自分をさらけ出すなんて考えたこともなかった。
「君はまだつぼみがついた状態だ。どんなふうに花開くかは、自分の気持ちをどうするかだと思うよ」
パチンとラストに茶目っ気たっぷりのウインクをした江波に、紗々芽は思わず笑ってしまった。
つぼみ。
色葉もそう言っていた。
自分に花なんて咲かせられるかわからない。
だけど。
努力はしたいと思った。
その後、江波と別れ事務所を後にすると紗々芽はまっすぐ帰った。
自室に帰り、部屋着に着替えることもせずに手に取ったのは一冊だけ持っているファッション誌。
井口に貰った、色葉の初仕事の雑誌だ。
表紙の色葉を見るとまだあどけない。
「そっか、半年以上前だもんな」
まだ中学を卒業したばかりの頃だ。
ぼんやりとその笑った顔を見てから雑誌を元に戻すと、紗々芽は真っ白なロマンティック調の机に向かって静かに座った。
ぱちりとライトをつけて手元を照らす。
新しいルーズリーフの袋を取り出して、中身を全部出してしまう。
一枚を手元に引き寄せると、置いてあったペンを取って静かに紙にそれを走らせ出した。
(最初は受験の日だったな)
白い雪が降っていて、冷え切った赤い華奢な手。
入学式とレクリエーションで知った柔らかな体と優しいいい匂い。
お弁当も一緒に食べた。
思い出せば、あーんなんてやったなと思う。
一枚の紙が埋まるとすぐに二枚目へと手を伸ばす。
好みがバレても笑わなかった。
似合うからとシュシュを買ってキスをしたキザなしぐさを思い出し、ふふっと思わず紗々芽の唇がほころんだ。
一緒にダンスをしてカラオケにも言った。
大好きなガラス細工のような歌声。
いつもしんなりとほころんでいる瞳。
柔らかだった唇。
耳を塞いでくれた手。
ぽたり、と雫が落ちて手元のルーズリーフに書いた字が滲んだ。
マニキュアを塗る指。
恋をしていると知ってもやもやしたあの時の嫌な気持ち。
じわじわと薄くなっていく字を見て、思う。
「なんだよ……あたしのなか色葉でいっぱいじゃないか」
ぎゅっと右の胸元を両手で押さえてうつむくと、しゃくりあげる声がいつまでも部屋に響いていた。
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