第23話

 その日のうちに、玉川の元にあった動画は彼の動画サイトのアカウントに上げられてたちまち拡散された。

ワイドショーでは面白おかしく騒ぎ立てている。

紗々芽がおそるおそる翌日学校に行くと、幸いなことに面と向かって何かを言ってくる人間はいなかった。

ただヒソヒソとこれ見よがしな話し声と悪意のこもった眼差しや、にやにやとした嘲笑。

体が鎧のように重く感じながら、紗々芽はなるべく速足で教室へと向かった。

カラリと扉を開けると、ざわざわとしていた声がピタリと止まる。

「ッ」

一斉に向いたクラス中の視線にひるんで、紗々芽は教室に入る足を踏みとどまった。

「紗々芽ちゃん!」

パタパタと声をあげて寄ってきたのは秋子だった。

顔を合わせると秋子は、どこかホッとした顔を浮かべた。

「おはよう」

「うんおはよう」

 平静を保つように挨拶すれば、秋子は特に何かを言ってくることもなく挨拶を返してくれたので、紗々芽は心のなかで安堵した。

「昨日、放課後大丈夫だった?絡まれてたの」

「あ……うん、見てたの?色葉がね、助けてくれた」

「見てたって言うか、毎日紗々芽ちゃんの様子をラインしてたんだよね。頼まれて」

 周りのクラスメイトに聞かせないためだろう。

 ひそひそと声をひそめて話した秋子に、紗々芽は驚きで目を見開いた。

「色葉に?」

「うん」

 それって、と問いかけようとしたところで教師が教室へと入ってきた。

 同時にチャイムが鳴り、慌ててみんな席についていく。

紗々芽も自分の席につき、教師の声を聞きながらチラリと空っぽの色葉の席を見た。

さすがに色葉は来ないだろうと思う。

仕事を詰め込んでいたし、井口が止めているはずだ。

HRが終わり、移動教室に行くために教科書やノートを持って立ち上がる。

 秋子の方を見やると、日直なのか教師につかまっていたので先に行くことにした。

 今の紗々芽といると秋子にまで迷惑をかけかねない。

 廊下を歩くと、行きかう生徒がチラチラと見てくるのにうつむきがちになると、突然後ろから髪を引っ張られた。

「う、わ」

 慌ててバランスが崩れるのを踏みとどまったが、いったいなんだと首をひねって背後を見れば。

「ちょっと顔貸してくれる?」

 いつかの紗々芽にグループに入れてやると声をかけてきた森岡だった。

 見れば、他にも二人あのときの顔ぶれが揃っている。

「はい連行~」

 髪を無理矢理引っ張られるままに、バサリと教科書らを取り落とすとそれらは彼女たちに踏まれてしまった。

「ちょっなんだよ急に」

 抵抗もむなしく、三人に囲まれて紗々芽はすぐ近くの女子トイレへと引きずり込まれた。

 同じ女の子相手でも平均値よりかなり小さな紗々芽は敵わない。

「うわ!」

 壁際に投げ捨てるかのように突き飛ばされ、髪がぶちぶちと数本抜けた。

 トイレのタイル張りの床に尻餅をつくと、紗々芽はおそるおそる三人を見上げた。

「何するんだよ」

わずかに髪の抜けた痛みに顔を顰めながら問いかけるが、三人は顔色一つ変えなかった。

「あんたさあ、色葉ちゃんになに迷惑かけてるの」

 森岡の言葉に、紗々芽はびくりと肩を震わせた。

「それは……」

「色葉ちゃんがあんたを好きとかありえないから。どうせあんたがなんか弱み握ったりしてるんでしょ!」

言い切った瞬間、ドンと左肩を足で蹴られた

紺のブレザーに足跡がくっきりと残る。

痛みに眉をしかめると。

「色葉ちゃんに近づくな」

「迷惑考えろ」

「マジで目障り」

 口々に言われる悪意のある言葉に、どうしていいか紗々芽は視線をさまよわせた。

 下手に何かを言ったりして刺激しない方がいいだろうと罵声を浴びて俯いてしまうと。

ザバンと頭から水をかけられた。

見れば、女の一人がバケツを持っている。

あれをかけられたのだろう。

長い髪が色を変えて重くなり、水滴を落とした。

ブレザーがずしりと重くなり、冬に近づく気温には濡れた体は寒く感じた。

あまりの扱いに、紗々芽は呆然となっていた。

けれど三人の猛攻は終わらない。

もう一度肩を蹴られた衝撃に顔をしかめたが。

「色葉ちゃん叩かれまくっててマジ可哀想なんだから」

「お前のせいだ」

「色葉ちゃんが引退なんてしたら許さないから」

 その言葉に、ガンと頭を殴られた気分だった。

 SNSをしていない紗々芽にはネットで今色葉がどんな風に言われているのかわからない。

 けれど彼女達の口ぶりからして、酷いのだろう。

「あたしのせい……」

 口の中で小さく呟いた言葉は三人には聞こえなかったらしい。

「これなーんだ」

 森岡がスカートのポケットから取り出してみせたのはハサミだった。

 にやりと口元が歪み、暗い瞳が紗々芽を爛々と見下ろしている。

「え……」

まさかそんなものが出てくるとは思ってなかった紗々芽は呆けたように声を出した。

「みっともない姿になれば、これ以上色葉ちゃんの隣にいれないでしょ」

「はーい断髪式~」

「や、やめっ」

 ジャキン

切り裂く音を立てて、胸まである紗々芽の髪がパサリとひとふさ床に落ちた。

「え……」

何が起こったのかわからなかった。

自分の視界に落ちた髪が映って、ようやく髪を切られたのだと気付いた。

「ほら押さえて」

 森岡の言葉に、二人に体を押さえつけられた。

呆然自失している紗々芽は、抵抗する事も忘れてただハサミの動く音と落ちていく髪に、気に入ってたのにななんてぼんやりと思っていた。

「あは、いい気味!」

 スッキリしたとトイレから出ていく三人が消えてすぐに、パタパタと足音がして秋子が駆け込んできた。

そこにあるのはずぶ濡れで制服も足跡で汚れた紗々芽が力なく座り込んでいる姿だった。

その髪は、耳のあたりでざんばらになっている。

紗々芽の周りには無残にも切り刻まれた焦げ茶色の長い髪が散らばっていた。

俯いている紗々芽の顔は秋子からはよく見えない。

「紗々芽ちゃん!大丈夫?」

 傍にしゃがんだ秋子に、のろのろと顔を上げれば心配そうに顔を覗き込まれた。

 秋子の手には足跡のついた紗々芽の教科書があり、これを拾って探しに来てくれたのだろうと思う。

「ひどい……とりあえず先生に」

「ううん、いい」

 立ち上がろうとした秋子の手を引っ張った。

 こんなことを言われても、教師だって困るだけだ。

「それより色葉には言わないで、絶対」

 顔を上げて真剣な眼差しで紗々芽がじっと見上げると、秋子は何か言いたそうに口を動かしたけれど。

「お願い……」

 頭を下げた紗々芽に溜息をひとつ吐いた。

「わかったよ紗々芽ちゃん。でも、今日はもう帰った方がいいよ」

「……うん」

 結局紗々芽は学校を後にして、家に帰る前に美容院によって髪を整えた。

 ザンギリにされた髪を整えるのはかなり大変で、ベリーショートになってしまった。

 男の子のようになってしまったことよりも、色葉に貰ったシュシュがもうつけられないんだなと、そっちの方が悲しかった。

その日は夜に井口から電話があった。

『紗々芽ちゃん学校に今日いったんだよね、大丈夫だった?』

 心配そうな井口の声音に、紗々芽は言いにくそうに口を開いた。

「しばらく学校休もうかと思ってます」

『何かあったかい?』

「あー……ちょっと髪切られちゃって」

 紗々芽の告白に、井口が電話口でえぇっと声を上げた。

『大丈夫なの?』

「はい、ちょっと切られただけだし怪我とかあるわけじゃないから」

 苦笑する紗々芽の頭は、長い髪が無くなったぶん軽くて首元もスカスカする。

 それに違和感があるなと思いながら。

「あ、色葉には言わないでくださいね」

『それは……』

「お願いします」

 真剣な声に、井口の溜息が聞こえた。

 多分了承してくれたのだろうと思う。

 忙しい合間に連絡してくれたのだろう、井口は誰かに呼ばれてじゃあねと慌てて通話を切った。

結局次の日は、学校にもマスコミが押しかけているようなので仕方なく部屋に籠っていた。

そして昨夜ネットニュースで見たファンのコメントは酷いものだった。

『マジレズかよ』『ネタならともかく引く』『俺の色葉ちゃんが』『てゆうか何でよりによって紗々芽』『男よりマシ』『もっとかわいい子だったら』

いくらか色葉より紗々芽の方が風当たりが強いが、それでも引きこもっている今現在は平和なものだ。

問題は色葉だ。

断れない仕事ばかりなので、事務所の厳戒態勢の中で仕事をしているらしい。

らしいというのは、井口から朝に連絡があったのだ。

紗々芽は色葉に連絡はしていない。

もぞりとクッションの上で膝を抱えてそっと目を伏せた。

 あのとき自分が、色葉が来る前に玉川の言う通りにしていれば。

 そう思った瞬間、背筋がぶるりと震えた。

 そして何より色葉の泣きそうな声が耳に蘇ってくる。

 はあと長く息を吐いたときだった。

 スマホから呼び出し音が鳴って、画面を見るとそこには高槻秋子の文字。

『もしもし、紗々芽ちゃん今日は大丈夫?』

 秋子の機械超しの声に、紗々芽はありがたくて自然と笑みが浮かんだ。

「引きこもってるから平気。昨日は心配かけてごめん」

『色葉ちゃんから連絡あったよ、心配してた。あ、髪のことは言ってないから安心して』

 自分も大変なときに、どうしてそんなに紗々芽のことをそこまでと思う。

「あいつ……なんであたしなんだろ」

 もこもこのピンクのルームソックスに包まれた足をすり合わせながら、紗々芽はぽつりと零した。

「友達少ないから勘違いしてるんじゃないかって思うんだけど」

『それはないよ』

 紗々芽の考えを、しかし秋子はバッサリと否定した。

「だって友達はあたしと秋子しかいないし」

 尻すぼみになりながらも告げると、スマホの向こうからはーっと溜息が届けられた。

『色葉ちゃんって紗々芽ちゃんにしか興味ないよ。気づかなかったの?』

 秋子の言葉は寝耳に水だった。

 だって毎日三人で昼食を食べていたのに。

『私はさ二人は、特に色葉ちゃんは紗々芽ちゃんだけが特別に見えたよ』

「そう、かな」

『あの動画も見たけど』

 ドキリと紗々芽の心臓が鳴った。

「き、もち悪い?」

 おそるおそる尋ねれば、ううんとしごく真面目な声音が返ってきた。

『まさか、ストンってきた』

「そう……」

『あ、紗々芽ちゃんテレビつけて。色葉ちゃんがワイドショー映ってるみたい。ロケかな、近くだね』

 言われてテレビをつけてチャンネルを合わせれば、あの日以来の色葉の姿があった。

 たくさんのカメラのフラッシュとマイクを向けられて、心無い言葉をかけられている。

『色葉ちゃん同性愛者なんだよね!相方とは恋人なの、デビュー前からの関係?』

 叫ぶような記者の質問に、色葉は黙々と事務所の人間に守られながら雑誌だろう撮影をしている。

 その姿に、何で自分は今その隣に立っていないんだと憤りすら感じた。

 曖昧なまま色葉だけを矢面に立たせて、自分は何も心配なくぬくぬくしている状況が情けなくて、嫌で嫌でたまらなかった。

 玉川にしたってそうだ。

 色葉の告白を。

大切な言葉を、自分にくれた言葉を脅すという行為で踏みにじられたことが悲しくて悔しかった。

 気付いたら、ポタリと雫がまろい頬を伝って膝に落ちていく。

「ッ……ふ……」

 声を押し殺しているけれど、泣いているのはバレているだろう。

しばらく沈黙が続いたあと。

『紗々芽ちゃんは、どうしたいの?』

 その言葉で、左手首につけていたもう付けられない色葉に貰ったシュシュを見て、きゅっと紗々芽は唇を引き締めた。

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