第22話
それ以来、色葉とは会っていない。
モデルの仕事をすべて受け入れているらしく、学校にもぱったりと来なくなった。
「ひきょうもの」
ぽつりと思わず呟けば、耳に当てていたスマホの相手から何が?と返ってきた。
「なんでもないです」
屋上でフェンスに寄りかかり、スマホの向こうの井口の言葉に耳を傾ける。
『まあとりあえず、事務所としては念願のソロ活動だから、このまま色葉ちゃんをアーティスト路線に持っていこうとする動きもあるんだ』
それはつまり、アイドルを解散するということだ。
紗々芽はお役御免ということだろう。
風に入試の時よりも伸びた髪がなびくのをそのままに、これで終わるのかなと少しだけ寂しく思えば。
『でも僕は今さらって思うかもしれないけれど、二人のエヴァを押していきたいと思ってる』
「ありがたいです」
初めて会った頃とは大違いの井口の言葉に、今までしてきたことは少しは報われていたのだと思うと、胸の奥が温かくなった。
『とりあえず次のシングルが決まるまで、歌詞を書き溜めてよ。いいもの書いてくれれば、絶対推すから』
「無理難題ですね」
思わずくすりと笑ってしまう。
しばらくはゆっくりしててと言われ、井口との通話を切った。
その場にしゃがみ込んで膝を抱えると、肌寒くなってきた季節の風が吹く。
赤いチェックのスカートの裾ががふわふわと風に揺れた。
そういえば色葉と会って、もうすぐ半年以上だと気づいた。
あまりにも濃度が濃すぎて、何年も一緒だったような錯覚に陥っていたけれど、そんなことはなくて。
知らない事の方が多かったんだと、好きだと言われた時に気付いてから、ずっと紗々芽の中でもやもやしていた。
「もっとずっと知ってると思ってた」
カシャンとそのままフェンスに背中を預けて空を見上げると、風は冷たいが憎々しいくらいの晴れ空だ。
「友達として特別じゃ、だめなのかな」
手に持っていたスマホのメッセージアプリを起動して色葉の名前を呼び出す。
連絡がぱたりと来なくなる前は、おはようだとかおやすみだとか、些細なことを送ってきていた。
それももう今はない。
マニキュアを塗ってくれた爪先も、もとどおり。
あの日、家に帰って翌日の学校のためにマニキュアを落とす作業は、なんだか色葉の告白をなかったことにしているみたいに感じて、ひどく苦痛だった。
塗っている最中に好きな人の話をしていたからだろうか。
紗々芽は気づかなかったけれど、あれは自分への恋を語っていたのだから。
「バカ色葉」
しゃがみ込んで自分の影が落ちる足元を見やった。
あの日の色葉の言葉を思い出す。
「何がつぼみみたいな人だよ」
好きな人がいると言った。
素敵な人なんだと言っていた。
「いいところがたくさんあるなんて……」
紗々芽のことをそんなふうに思っていたなんて、知らなかった。
手作りのお弁当のきっかけは、卵焼きを色葉に食べさせたことがきっかけだった。
『美味しい。凄いね、紗々芽は』
女の子らしいシュシュをプレゼントしてくれた。
髪にキスをして。
『紗々芽に似合うから買ったんだからね』
初めて歌詞を書いたときは手放しで褒めてくれた。
口元をほころばせて。
『きらきらしてる、凄いな』
勝手に生放送で紗々芽の書いた歌詞だと暴露したときは。
『紗々芽の凄さを知ってもらいたかった』
SNSでの反応を見たときなんて自分のことのように得意気だった。
『ほら、ね。紗々芽は凄いんだよ』
笑っていつも何でもない、当たり前のことのように言っていた。
「ずっと、自信つけさせようとしてくれてたんだな……」
つぼみのような人なんて言っていた。
一生懸命に紗々芽を花開かせようとしていたのだろう。
ようやく気付いた。
色葉は紗々芽を好きだと全身全霊で伝えてくれていたのだ。
「色葉……」
ここにはいない相方に、紗々芽は自分がどうしたいのかわからずに、膝に顔を埋めた。
結局しばらくのあいだ屋上にいたのですっかり冷えてしまった体で、紗々芽は一度教室に戻ってスクールバックを持つと、珍しく残っていた秋子に別れをつげて放課後の人通りの少なくなった校門を出た。
「よう、甘滝紗々芽ちゃん、だっけ?」
突然名前を呼ばれて声の方を見ると、校門の影にいつぞや色葉に馴れ馴れしくしていたアイドルの玉川が立っていた。
相変わらず金髪の前髪を上げているが身バレ防止のためかサングラスをかけて、今日は紺のカットソーに茶色のチノパン姿だった。
井口からも言われたが、あまり関わりたくない男だ。
わざわざ学校まで来て、人気のない放課後まで待っていたことに、紗々芽は顎を引いて警戒心を露わにした。
「なんの用ですか」
「これなーんだ」
にやにやしながら玉川が右手を上げてスマホの画面を見せてきた。
動画らしくサムネは二人の人間が映っている。
誰だろうと目を凝らせば、玉川の指が画面をタップして動画が再生され出した。
『好き。紗々芽が、好き』
再生されたのは見覚えのあるすらりと長身の姿と、最近はあまり聞いていない鈴のような声。
色葉だった。
『大好き、愛してる』
画面では色葉が抱きしめていて顔は見えないが女性。
それも明らかに見る人が見れば紗々芽だとわかるものだ。
なによりはっきりと紗々芽の名前を言っている。
「これ!」
慌てて顔を上げると、玉川が動画の再生が終わったスマホを振りながら、にやにやと笑った。
「吃驚だよね。今をときめく話題のモデルでアイドルがレズビアン」
「消してください!」
間髪入れずに紗々芽は悲鳴のような声を上げていた。
慌ててスマホに手を伸ばすが、玉川はスマホをズボンのポケットに戻すと。
「だったら色葉ちゃんに俺と会うように君から言ってよ。何回誘っても断るし、最近は邪見にするしさ。前は肩くらい何も言わなかったのに」
勝手なことを言いながら肩をすくめてみせる玉川に、胸の奥がドス黒くなりながらも。
(色葉、約束守ってくれてるんだ)
セクハラを許すな。
自分との他愛ない口約束を守っていてくれることが嬉しかった。
そして、凛とまっすぐ自分よりも上背のある玉川を見据える。
「嫌です。色葉、断ってるんですよね」
ハッキリ言うと、玉川はあからさまに右目を眇めた。
それに内心ビクリとしながらも、肩にかけたスクールバックの持ち手をぎゅうと掴む。
玉川はズボンのポケットの上からスマホを二回叩くと、にやりと口元を歪めた。
その顔はアイドルというには醜悪だ。
「そうそう、この告白劇さあ動画サイトに晒すって言っても無視されたんだよね」
「なっ脅したのか」
最低な行為を口にした男は、紗々芽が絶句する姿を満足気に見やってから一歩前へ進み出た。
思わずじゃり、と紗々芽も一歩後ずさってしまう。
「色葉ちゃんには無視されたけどさ、でも君はどうかな」
「え?」
「相方が世間に叩かれるの見たい?しかも自分に告白してる場面。この動画だと君には害はない可能性もあるけど、色葉ちゃんは仕事に大打撃でバッシングの嵐だろうな」
ぐっと紗々芽は玉川の言葉に唇を噛みしめた。
そんなこと絶対に嫌だ。
色葉が世間からバッシングをうける姿なんて見たくない。
それでも。
「色葉に、変な事はさせられない」
「あーそうくる?」
嘆息まじりに言われて、紗々芽はますます手に力を込めた。
そのせいで、手が真っ白になってしまっている。
「じゃあ君でもいいや」
「……え」
玉川の軽い声音に、一瞬何を言われているのかわからなかった。
しかし玉川の視線は紗々芽を舐めるように動かされる。
胸から足へと動く目線にぞわりと背筋に悪寒が走った。
「まあ、そそられる顔でも体でもないけど、その制服はいいね。一度女子高生の制服脱がせてみたかったんだ」
「ッ」
ひゅっと紗々芽の喉が鳴った。
何を言っているのだこの男は。
いやわかっている、取引を持ちかけられているということは。
頭が真っ白で何も言えない紗々芽の顎を、玉川は優越感に浸ったような顔でぐいと上向かせた。
身長差がありすぎるせいで、首が痛いと場違いにも思った。
「選んでいいよ。色葉ちゃんにスキャンダルを背負わせてアイドル生命終わらせるか、俺にお願いします、抱いてくださいって言って彼女を守るか」
玉川の下種な考えの言葉に、紗々芽は一気に血の気が引いた。
まさか、そんな取り引きを自分に持ちかけられるとは思っていなかった。
早く答えろと言わんばかりに、顎を掴んでいる手の力が強くなる。
迷ったのは一瞬だった。
色葉が傷つくのは見たくない。
その一心。
「お、ねが、します……だい、てくださ」
「しなくていい、そんなこと」
凛と響いたソプラノボイスに、目をぎゅっと閉じて喉から声をしぼり出していた紗々芽は、自分の顎から男の手が無くなっていることに気付いた。
慌てて目を開いたのと、ドシンという音が鳴ったのは同時だった。
そこには。
「私のことで紗々芽を脅すなんて、紗々芽をいじめるなよ」
冷たい眼差しで、色葉が地面に大の字に倒れている玉川の右腕を掴んでいた。
「どうして」
ここにいるんだと言いたくて、でもそれ以上に慌てて色葉の手を、男から離させた。
「何やってんだ馬鹿!」
「合気道。私、得意なの」
そんなことじゃなくてと言いつのろうとした時、よろよろと玉川が立ち上がり。
「ふざけんなよレズ女ども!」
慌てて脱兎のごとく逃げていく玉川に。
「まっ」
紗々芽はスマホの動画がそのままなことに、慌てて後を追おうとしたが。
「紗々芽!」
色葉にぐいと腕を掴まれ引き寄せられると、抱きしめられた。
そこで、ようやく紗々芽は自分が小刻みに震えていることに気付いた。
揺れる眼差しは、安堵したからかじわりと涙が滲む。
けれどそれどころではない。
「あいつ追いかけないと動画が!そしたたらお前が!」
「私のアイドル生命なんてどうなったっていい!」
びくりと色葉の聞いたことがない悲痛な声に、紗々芽の体はこわばった。
色葉がこんなふうに声を荒げるのは、初めてだ。
「紗々芽が私のせいで傷つく方が、もっとずっと嫌だよ」
紗々芽はそれに何も言えずに、抱きしめられたまま立ち尽くしていた。
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