第21話

色葉の雑誌の取材に付き合って、紗々芽は事務所に向かっていた。

 人通りはそんなに多くはないが、念のためと色葉はキャップに、紗々芽はキャスケットを目深にかぶっていた。

「紗々芽とのデート、凄く久しぶり」

 うきうきと色葉が足取り軽く口にした。

 最近は色葉の人気の影響で井口が車で送迎していたから、二人で外を歩くのは久々だった。

「デートっていうか事務所行くだけだろ」

「二人だけだから、デートだよ。昨日言ったとおり帰りは甘いもの食べて帰ろうね」

 色葉の可愛いらしい言い分に、紗々芽は仕方ないなあというふうに、はいはいデートねといなした。

 昨日塗ってもらった指の先がちらちらと視界に入るたびに、テンションがあがるなあと思った。

 そういえばと紗々芽は色葉の足元を見た。

以前はヒールを履いていたのに、今日は紗々芽と同じシューズを履いている。

「最近ヒール履かないよな」

 何気なく疑問を口にして色葉の白いシューズを見やる。

「ヒール履いてると紗々芽が遠いでしょ」

「へ?そんな理由……」

 思わず立ち止まってしまったときだ。

ドンと人にぶつかられて、紗々芽は転びそうになった。

 寸前で色葉が腕を掴んでくれたので盛大に転ぶことはなかったが、小さな紗々芽は人込みではよくぶつかられるのだ。

 そのとき、ぶつかられてずれたキャスケットが、紗々芽が転ばなかった代わりといわんばかりにぱさりと地面に落ちた。

中に入れていた焦げ茶の髪が、はらりと肩に流れる。

あ、と思った時には。

「なあ、あの小さいのって」

「エヴァの子じゃね?」

「ってことは隣、色葉ちゃん?」

 誰かの声に周囲がざわりと騒ぎ出す。

 一人の言葉に。

「芸能人?」

「色葉だって」

周囲に波紋を広げだした。

 キャスケットを拾った紗々芽の手を色葉がぐいと掴むと、そのまま人垣を通り抜け走り出した。

「やっぱり色葉だ!」

 後方から歓喜の声が追いかけてくる。

 色葉とは歩幅が違うが、持ち前の運動神経でなんとか同じスピードで走り抜けた。

 紗々芽の長い髪が風になびいて尾を引いていく。

 ちらりと後ろを振り向けば、スマホをかまえた人間が追いかけてきている。

 ちょっとした恐怖だった。

「ごめん、あたしでバレるなんて」

「紗々芽は悪くないよ」

 はあはあと息を乱しながら、二人が角を曲がったところで。

「わあ!」

「紗々芽!」

 横から伸びてきた手に、紗々芽はそこにあった建物に引きずり込まれ、色葉も慌てて後を追った。

「あ、あの」

「シーッ」

 突然の事に動揺したが、手を引っ張った男が口元に人差し指を置いたので、慌てて紗々芽は口をつぐんだ。

 色葉も同じように声を出さないようにしている。

 きょろりと室内を見回せば、色とりどりの花がところせましとあり、ここが花屋なのだと気づいた。

 引っ張られた入口の影から外をそっと見ると、ちょうど二人を追いかけていた集団が通りすぎて行ったところだった。

「よかった……」

 ほう、と息を吐いた紗々芽に、男は振り返り。

「ごめんね、急に引っ張って。大変そうだったから」

 へにゃりと眉を下げた。

 白いシャツに黒いエプロンをしており、その姿にここの店員なのだと気づいた。

「いえ、助かりました。ありがとうございます」

 ぺこりと紗々芽と色葉が二人頭を下げると、リボンやラッピングのある作業台の方を男は指差した。

「そっちに裏口あるから、そっちから行ってください」

「はい」

 再度お礼を言って立ち去ろうとしたが。

「あの!」

 意を決したような男の声に、店員へ向き直った。

 男は二人が向き直ったことに、慌てて店頭にあったミニブーケを手に取り、紗々芽に差し出した。

 それは、ピンクのガーベラの花束だった。

 茶色の包装紙で包まれたそれが、ぐいと手元に押し出された。

「あの、これ、よかったら。俺、紗々芽さんのファンなんです」

「え?」

 思わぬ言葉に、紗々芽は呆けたような声を出して目を丸くした。

 男はうっすらと耳まで赤くなっていて、それが本音なのだとうかがい知れる。

「小さくてもダンスが綺麗で格好良くて、それに可愛いと思って……ずっと応援してるから頑張ってください」

 そっと差し出されたブーケを、震える手で紗々芽は受け取った。

 まさかそんなことを想ってくれている人がいるなんて、夢にも思っていなかったから、完全なる不意打ちだった。

 じわじわと涙の膜が瞳に広がるのを紗々芽は感じた。

「あと、『桜散らし』の歌詞、すごくよかったです」

 にかりと笑った男に、紗々芽は静かに頭を下げた。

 肩が震えるなか、ありがとうとつっかえつっかえ伝えれば、男は伝えられたことを嬉しそうに笑った。

「そんな、こと、言ってもらえるの、初めてで……本当に、ありがとうございます」

 震える声で精一杯の嬉しさを伝えると、男は念を押すように応援してますと繰り返したあと。

「じゃあ、早く見つからないうちに」

「……行こう紗々芽」

 静かに色葉に促され、紗々芽は最後にもう一度だけ深々と頭を下げてから裏口へと向かった。

その後ぐしぐしと涙が出そうになるのを手の甲で拭う。

ステージの時とは違ってメイクはしていないので遠慮なく涙を拭いた。

 こんな顔では何事かと思われてしまうと、最後に指先で完全に涙をはらってから紗々芽は色葉とテレビ局の裏路地まで来た。

入口に向かおうと色葉の手を取って歩き出そうとする。

「色葉?」

 けれど微動だにせず、軽く俯いている色葉に、紗々芽が不思議そうに声をかけた。

 長身の色葉が立ち止まると、身長差のある紗々芽では引っ張れないので自然と立ち止まることになる。

 俯いているから目元が前髪で隠れて表情がよく見えない。

「どうした、疲れたか?」

 色葉の正面に向き直り、紗々芽は色葉の顔を覗き込もうとした。

「……私の方が紗々芽の事好きだよ」

「は?」

 思いがけないセリフに、紗々芽は思わずまぬけな声をだしていた。

 涙も完全に引っ込むくらいにきょとりと目を丸くしたあと、次いで仕方なさそうに苦笑する。

「さっきの人に対抗か?本当にお前はあたしと秋子以外に友達がいないからやきもち」

 言葉は最後まで言わせてもらえなかった。

 目の前の柔らかな体に抱きしめられ、ぎゅうと力を入れられる。

 はじめて教室で会ったときと同じように柔らかな体に包まれ、いい匂いが鼻をくすぐる。

 そして。

「好き。紗々芽が、好き」

 まるで満干の想いを込めたような声に、不思議に思いながら。

「そりゃあ、あたしも」

 友達なんだからと言いかけたところで、腕の抱きしめる力が強くなった。

「違う、私のは好きじゃ足りない。……大好き、愛してる」

「え……」

 突然の言葉に紗々芽の頭の中は真っ白になった。

 貰った花束を取り落としそうになるのを必死で持つ。

 愛してると言った事に、まさかと返したかったけれど、ちょうど身長差で色葉の胸に耳をつける形になっている紗々芽の鼓膜には、どくんどくんと大きく心臓の音が聞こえていて。

「初めて会ったときから好きだった」

「はじめてって」

 あの入試の日のことだろうかと思う。

 あんな些細な出来事が、色葉の何を動かしたのだろう。

「私に何も求めず傍にいて、優しくしてくれるのが嬉しかった。好き、すきだよ」

「だって、色葉、好きな人いるって……」

「紗々芽のことだよ。紗々芽がずっとずっと好きだった」

 聞いたこともない色葉のせつなげな声と、心臓の音に嘘やからかいではないのだと、紗々芽は驚きながらも同姓からの好意というものに嫌悪感などは感じなかった。

 けれど、それと色葉の想いに応えられるかは別だ。

「好きって、女同士だろ」

「関係ない」

「お前だったら、もっとふさわしい相手が」

「紗々芽以外、欲しくない」

何個も応えられない要素を上げていくなかで。

「アイドルなんだぞ」

「紗々芽が手に入るなら、やめてかまわない」

そこで脳裏によぎったのは、先ほどの花屋の男のことで。

ぐいと色葉の腕から抜け出すと、ぺちんと小さく色葉の右頬を手のひらで叩いた。

「そんなことでやめるな。ファンに失礼だ」

 自分にですら、あんな風に言ってくれる人がいたのだ。

 色葉にはもっとずっと、たくさんの人が応援している。

 それを簡単に捨てるような発言は、紗々芽は許せなかった。

 叩いた手を色葉に取られると、そっとその手のひらに唇を落とされた。

 思わずぴくりと肩が動く。

「ごめん」

敬虔な信者のようにキスをしたあと、色葉はその手を両手でそっと包み込んだ。

初めて触った時は氷のようだった手は、紗々芽よりは体温は低いが、温かい。

「紗々芽は私のこと嫌い?」

「それは」

 嫌いではない。

 それは確かだ。

「他の常識や理由はいらない。好きか嫌いか教えて。嫌いなら、気持ち悪いと思うなら、目の前から消えるから」

 お前それはずるいよ。

 軽口のようにそう言いたかったけれど、今までに見た事がないくらい真剣な眼差しに、言葉がうまく出てこなくて紗々芽は何も言えなかった。

 一瞬きゅっと強く紗々芽の手を握ったあと、その華奢な手が離れていく。

 それが何故か寂しいとか、追いかけなきゃと思ったのに、やっぱり紗々芽は何も言えなかったし何も動けなかった。

「……今日は一人で行くよ」

 ぽつりと零すと、色葉は紗々芽の横を通り過ぎて路地を出ていった。

「ずるいよ……」

 誰もいない地面に、呆然と紗々芽の小さな声だけが落ちていった。

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