第14話
そして今日はレコーディングの日だ。
機材が一面に広がっているレコーデテングスタジオを物珍し気に見ていると、デビュー曲の歌割りを見た色葉が眉根を寄せた。
事前に歌詞とデモテープは渡されていたが、全部覚えるようにと、お互いがどのパートの担当なのかは書かれていなかったのだ。
「これ、紗々芽の歌うパートは、サビのハモリだけなの?」
その言葉に井口や他のスタッフがドキリとした。
もちろん紗々芽もだ。
最初から紗々芽のソロはないことに決まっていた。
「甘滝さんにはハモリに集中してもらって、ね」
心なしかあせった様子の井口の言葉に、色葉は納得していないような顔をしている。
ここで時間が押すのもスタッフに悪いので、紗々芽は苦笑しながら口を開いた。
「あたしがソロいらないって言ったんだ。ハモるだけで精一杯だよ、それだって色葉に合わせてもらってるし」
その言葉は本心だった。
色葉の歌声はガラス細工のようなハイトーンボイスで、歌唱力は以前にも井口が言っていた通り伸びやかで綺麗だった。
紗々芽はアルトボイスで、色葉の歌唱力にまだついていけないので、ハモリのパートなのに声量などを合わせてもらっている。
「紗々芽がそう言うなら……」
不満そうな色葉の様子に肩をすくめてみせた紗々芽だったが、自分なりに必死で練習したがその成果が出ていないことが紗々芽は悔しかった。
ミュージックビデオの撮影は苦労した。
たくさんの人達に髪や顔をいじられて、撮影前から気疲れした。
淡い黄色のシンプルなワンピースに薄化粧。
その姿で撮影現場に入れば、ピンクの花が散りばめられて風船が飾られている可愛らしいセットが準備されていた。
「じゃあまずはダンスのシーンからいきましょうか」
うながされセットに立つと、緊張は最高潮で紗々芽はギクシャクと言われた定位置についた。
口から心臓が出そうなくらい、ドクドクと脈打っている。
「紗々芽、大丈夫だよ。私も初めてだから」
色葉がなだめるように声をかけてきたが、思わず紗々芽はジトリと目を半眼にして隣を見やった。
「お前はCM撮影の経験がたくさんあるだろ」
「それは、まあ」
両手を握りしめる紗々芽に、男性カメラマンが笑いながらカメラを覗き込んだ。
「大丈夫、君のピンもアップもほとんどないから」
その言葉に色葉が何か言いたげにムッと眉根をよせたが。
「いや、そうでないと恥ずかしさで死ぬ」
眉をへたれさせた紗々芽の訴えに、紗々芽がそう言うならと納得した。
「じゃあダンスシーンから行くよ」
合図に合わせて音楽が流れだす。
自分の歌声が混ざっている曲が流れだしたことに、ますます紗々芽は恥ずかしさのゲージが上がったが、ダンスに集中することで何とか事なきをえた。
「はい、じゃあ次は二人で仲良さげに寄り添って、多少自由に動いてかまわないからね」
そんなことを言われても、動けるわけがない。
カチンコチンに固まってしまった紗々芽に、もう少し動けないかなと指示が飛ぶが無茶を言わないでほしい。
普通の人間はこんな場所でカメラをむけられて平静でなんていられないと思う。
カメラマンが少し困ったようにカメラから視線を外して、苦笑を浮かべた。
「じゃあ緊張がほぐれるまでは好きに喋ってていいから、もうちょっと自然にね」
カメラで再び撮影が始まると、向かい合っていた色葉がするりと手を繋いできた。
そしてきゅっと握られる。
それに多少の緊張の糸が緩むが、それでも紗々芽のロボットのような動きと引きつった笑みは変わらない。
けれど。
「紗々芽、実は『めぇめぇ』の会社から非売品のグッズ貰ったんだ」
「え!」
ひそりと耳に唇をつけて囁いた突然の言葉に、思わずというように紗々芽は声を上げた。
色葉を見上げると、その反応ににんまりと笑った顔が返ってくる。
黒曜石のような瞳が、しんなりと悪戯気にしなった。
「紗々芽にあげるね」
「え、いや、悪いよ。お前がもらったんだろ」
嬉しい申し出だが、それではくれた会社の人に申し訳ない。
それにしてもいつのまにそんなに顔が広くなったのかと、驚いた。
紗々芽の反応に、それを予想していたように色葉はえー、とわざとらしく不満の声を上げた。
緩く毛先の巻いてある紗々芽の髪をいじりながら、どうしてと言った。
「紗々芽が好きだからあげようと思って受け取ったんだよ。私は別に興味ないから紗々芽がいらないなら捨てるしかないよ」
「わ、わかった、貰うからそんな勿体ないこと言うなよ」
色葉の言い分に、慌てて紗々芽はこくこくと頷いた。
興味のない色葉なら、紗々芽がこのまま断れば間違いなく捨てるだろう。
それを受け入れることが出来ないくらいには、紗々芽は『めぇめぇ』が好きだった。
「お前ずるいぞ……でもありがとう!」
緊張のない満面の笑みに、色葉も満足そうに笑みを浮かべた。
それを見たカメラマンが、少し驚いたような声音で。
「色葉ちゃんCMのときよりいい顔してるね」
「紗々芽と一緒だから」
何故か得意気な色葉に、何を言ってるんだと慌てて頬に朱を走らせながら止めようとすると。
カメラマンがふむと顎に手を当てた。
なんだなんだと思っていると。
「ちょっとこのシーン以外にも二人のシーン増やそうか」
「えぇ!」
突然の提案に、思わず紗々芽は声を上げていた。
カメラマンが控えていた井口にいいですよねと確認をとると、彼は困ったような焦ったような複雑な顔でぶんぶんと首を振った。
彼は紗々芽が前面に出ることを良しとしていないので当然だろう。
しかし。
「うーん、でもいい作品にしたいんで、やっぱり少しだけね」
井口の拒否を、にっこり笑顔でカメラマンは押し切ってしまった。
紗々芽があわわと焦せるなか視線を向けると、井口は渋面というか眉間に皺を寄せて不満そうだ。
ただカメラマンとのパワーバランスがあるのか、いい作品にしたいからなのか何かを言ってくる気配はない。
頼みのつなの井口が黙ってしまえば紗々芽に嫌とは言えるわけがなかった。
うわあと思わず下を向いてしまう。
そのおとがいにさらりと細い指がかかって、くいと上向かせてきた。
「ほら紗々芽、笑って笑って」
んふふと口元を綻ばせる色葉に、えぇーと苦み走った表情を浮かべれば。
「これ終わったらグッズあげるから」
「うぅ……お前ずるい、卑怯だ」
紗々芽が眉をへにょりとさせてトンと色葉の肩を力なく叩けば、するりと顎にそえられていた手が離れていき。
「ほら、頑張ろう紗々芽」
にやりと笑ったのだった。
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