第13話
「紗々芽がアイドル引き受けるなんて意外だったな」
一面鏡張りの広いダンスレッスンスタジオの中。
黒いTシャツとハーフパンツ姿の色葉が、同じく白のTシャツに黒のジャージ姿の紗々芽を見て、しみじみ呟いた。
今日はダンスレッスン七日目だ。
紗々芽は井口の言葉に了承してから、毎日のように一日中色んなレッスンに明け暮れていた。
さすがにそのあいだは色葉への同行は休みだが、その分レッスン時間は一緒だ。
「まあ……なんとなくな」
井口に押し切られたとは言えなくて、曖昧に言葉を濁した。
「でも前より一緒にいられるから、嬉しいな」
ふふと笑う色葉は、相変わらず忙しそうにしているが真面目にレッスン場へ通っている。
井口いわく、これも以前は来たり来なかったりだったらしい。
それが紗々芽とアイドルをするからという理由で真面目に来ているのなら、井口の作戦は当たりと言えた。
まったくと思う。
(これだけなつかれたら、無碍に出来ないよなあ)
嫌なわけではないが。
「じゃあ休憩終わり。さっきのところからいこうか」
パンパンと手を叩いたダンス講師に促されて、壁際に座り込んで休憩していた二人は立ち上がった。
フロアの真ん中に戻り、音楽が流される。
講師の手拍子とカウントのなか、足を上げたり腕を曲げたりくるりと回ったりと、なかなかにハードなダンスだ。
アイドルってもっと覚えやすいダンスじゃないのかと思ったが、アーティストな面を見せるためだと言われた。
流行りにもテレビにも疎い紗々芽としては違いがいまいちわからないが、なんとかついていけるダンス内容だったことにホッとした。
「紗々芽ちゃん運動神経いいわね。七日間でここまで体が慣れてくれてよかったわ」
その言葉によかったと思う。
元々、体を動かす趣味があったおかげで体力はあった。
あとは紗々芽の地道な練習の成果だ。
やるからには足をひっぱりたくないと、真面目に全力で取り組んでいた。
「色葉ちゃんも二日でマスターできたのは凄いわ」
隣でシンメトリーに踊っている色葉の姿をちらりと見やる。
体育の授業などで運動神経が悪くないことは知っていたが、物覚えのいい色葉はあっという間にダンスを覚えてしまった。
仕事で紗々芽のレッスンの半分以下の時間でだ。
今までにもダンスレッスンをしていたのか聞いてみたら、まったくしていないという。
なんだか不公平だなあと思った紗々芽だ。
ボイストレーニングは苦労した。
体型維持もかねて腹筋を日課にしていたおかげで腹式呼吸はすぐ覚えたが、紗々芽はカラオケすらほとんど行ったことがない。
まず羞恥心を捨てるのでいっぱいいっぱいだった。
喉の筋肉を鍛えるからと、ボイスレッスンはなかなかのスバルタだった。
だから空いた時間は自主練習でカラオケに籠った。
「だーかーらー何でついてくるんだよ」
狭いボックス席の部屋。
思わず半眼を向けた先には、色葉が曲を選択している紗々芽の横に座っていた。
「だって練習するなら人目があった方がいいでしょ」
ににこにこと笑う色葉はまったく歌う気がないらしく、マイクのビニールさえ取っていない。
「そりゃ緊張しない練習にはなるけど」
「じゃあいいじゃない」
ぶつぶつと口の中で呟くと、なにが楽しいのか色葉がうふふと笑う。
「何歌うの?私も流行りの曲はよく知らないんだけど」
電子リモコンを覗き込んできた色葉に、んーと生返事をしながら目当ての曲を探す。
「何個か課題曲貰ったからそれ歌う。聞いてみたら歌いやすそうだったから、あたしのキーと似てるんだと思う」
「ふうん」
ぴぴ、と曲を入れてマイクを持つと、紗々芽はその場に立ち上がった。
立って歌うことは恥ずかしいが、座っていたら練習にはならない。
「紗々芽、ソファーの上に立って」
「へ?」
思わぬ指示に、まぬけな声がマイク越しに響いた。
「恥ずかしいのも克服するんでしょ。ステージだと思ってさ」
「えぇ……」
ぽんぽんとソファーを叩く色葉は、にまにまと悪戯気に笑っている。
しかし言ってることはその通りなので、しぶしぶと紗々芽は黒いシューズを脱いでソファーに立った。
一押しのメニューのポスターが貼られた深緑の壁を背にすると視界が一気に高くなり、普段見上げている色葉を見下ろす形になる。
「こ、これは恥ずかしい……」
ぎゅうと両手でマイクを握りしめると、色葉がほら頑張ってとテレビ画面へ促す。
それに紗々芽は、ちょっぴり自棄になりながら歌い始めた。
三曲目を歌い終わったあと、休憩しようとマイクを置いた紗々芽は好奇心で電子リモコンのランキングを見始めた。
色葉も一緒になって覗き込み、これ知ってる、これ気になる、などと話す。
紗々芽は一曲、タイトルの気になった曲を入れてみた。
ピピッと音がしてテレビの画面が変わる。
どうやら本人映像だったらしく、バンドのライブ映像が流れだした。
大きく画面に映る歌詞は、好きだと思っていた女の子が実は神様だったというなんともファンタジーなものだった。
ただ、どこかせつない表現に紗々芽は真剣に文字を追う。
曲が終わると。
「この歌詞好きだな」
紗々芽はぽつりと呟いた。
「ふうん、どういうところが?」
「なんていうか、表現が可愛いのにせつない感じが」
色葉に聞かれて答えながら、紗々芽はスマホを取り出して今流れたバンドの名前を検索した。
三枚ほどアルバムが出ていることがわかったので、今度今の曲のCDを買ってみようかなと思う。
「紗々芽は歌詞に注目するタイプなんだね」
色葉の言葉に紗々芽は不思議そうにした。
「お前はそうじゃないのか?」
「私は歌詞は結構どうでもいいかな。メロディーが気に入れば」
「へえ、そういうものなのか」
自分とは違う目の付け方に、純粋に紗々芽は驚いた。
紗々芽はメロディーはあまり頓着しない。
好きな歌は歌詞が気に入っているものばかりだった。
「そういえば紗々芽は現国の成績いいもんね。そういうの好きなの?」
「先生のすすめる本は全部読んだよ」
さらりと言った紗々芽に色葉は、ほんとにと驚いた声を上げた。
現国の教師は詩が大好きで授業の始まりに必ずひとつ詩を紹介する。
もちろんときおりすすめてくる本はすべて詩集だ。
「紗々芽は詩に興味あるの?」
「興味っていうか、結構好きかな。日本語って綺麗だなって思うし」
「そうなんだ」
紗々芽の新たな面に色葉は感心したように、頷いた。
「お前は?」
オレンジジュースのストローに口をつけながら色葉を見やれば。
「特に興味ないかな、詩集も読んだことないし」
「ふうん」
「そっちの人の方が多いんじゃない?」
「そんなものか」
なるほどと思ってストローをすすると、じゃあ練習再開しようと紗々芽にマイクを渡してきた。
それに苦虫を噛み潰したような表情で受け取りながら、電子リモコンに曲を入れた。
ソファーの上に立ちあがり、いい加減羞恥心も薄れてきた紗々芽は息を吸い込んで歌い始めた。
そんなことを一ヶ月繰り返した。
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