第11話

「甘滝さぁん」

やけに馴れ馴れしい甘ったるい声に名前を呼ばれて紗々芽は振り向いた。

 お弁当を食べる前にトイレに行った帰りだった。

 そこには緩い巻き髪の女生徒を中心に、三人の女の子がいる。

 教室の扉にかけていた手を離して、紗々芽は何だろうとそちらへ向いた。

「私、森岡あゆみってゆうんだけどねぇ」

 自分を指差す森岡の爪先は、やけにゴテゴテとリボンやビジューのついたネイルアートをしている。

 この高校は進学校のわりに校則はゆるいので、ある程度なら何も言われないがそれはやり過ぎではないだろうか。

 マニキュアなんて塗ったことのない紗々芽は思わず指先が重そうと見当違いなことを思った。

 森岡はつけまつ毛にフルメイクと一部の隙もない。

 なのにメイクを一切していない色葉の方が断然に綺麗だなと若干失礼なことが頭をよぎった。

「あのさ、私と友達になろうよ」

「えぇ?」

 思わぬ言葉に紗々芽の眉が困惑でひそめられる。

 けれど森岡はとてもいい案だと言うように、ぽんと手を打った。

「私達のグループに入れてあげるからさ、色葉ちゃん紹介してよ」

「いや……グループには別に興味ないから」

おずおずと返答すると。

「はあ?」

「影キャごときが断るの?」

 後ろにいた二人があきらかに不愉快そうに口を開く。

 森岡の顔を見上げれば、こちらも眉を吊り上げていた。

「あんた色葉ちゃんにちょっと仲良くしてもらってるからって調子乗ってんじゃないわよ」

「いや、調子になんて」

 思わず視線をきょときょととさまよわせてしまう。

 廊下を行きかう他の生徒たちが、ちらちらとこちらを見ている。

 どうにかして切り上げたいと思ったときだった。

「何してるの紗々芽」

 ガラリと教室の扉が開き、室内から色葉が出てきた。

 とたん、三人から黄色い声が上がる。

「ナマ色葉ちゃん!」

「うわあ!」

「超かわいい!」

 大興奮だ。

しかし色葉は三人に見向きもせずに紗々芽を見下ろした。

「お弁当、はやく食べよう」

「う、うん」

 慌てて紗々芽が頷くと。

「私達も一緒にいいですか?私達、紗々芽と最近仲良くなって」

 いきなり名前を呼び捨てされたことに驚いて紗々芽が森岡達を見やると、三人の視線は一心に色葉へ向けられている。

 紗々芽の名前を呼んでおきながら、まったく眼中にない。

 当たり前なのだが。

「遠慮するよ」

「え!」

 断られるとは思っていなかったらしく、三人が驚きの表情を浮かべる。

 それを冷めた目で見つめると、色葉はさらに口を開いた。

「紗々芽を利用するな」

 ピシャリと言い切る。

「利用だなんて」

 森岡達がねえと顔を見合わせて、媚びるように色葉へ笑いかけたが。

「さっきの聞こえてたから」

 言うだけ言うと、さっと顔を青くした三人を置いてけぼりに色葉は紗々芽の右手を掴んで教室へと入った。

「いいのかあれ」

 思わず問いかければ。

「ああいうの好きじゃない」

「まあ、そうだな」

 カタンと定位置の席に座ると、紗々芽もストンと席に腰を下ろした。

「今日のおかずは?」

 もうこの話はおしまいとばかりに色葉が目を輝かせて聞いてくるので、紗々芽は苦笑して二人分のランチバックを取り出した。

 色葉に片方渡して、いそいそと自分の分のお弁当を開けて見せる。

「今日は鶏肉のケチャップソテーと芋の煮っころがし」

「わあ」

「あいかわらず美味しそうだね紗々芽ちゃん」

 色葉が感嘆の声を上げたのと、お弁当を持ってやってきた秋子の声が重なった。

 以前に秋子も一緒にお昼を食べだしてから何か言われたりしていないか心配になって尋ねたら、大丈夫だと言われた。

 なんでも友達を作るのは苦手だが、仲良くなる必要がない相手ならちゃんと自分の意見を言えるからと言われたのだ。

 秋子が椅子に腰かけ、色葉が自分の分のお弁当を開きさっそく食べだしたのを見て、紗々芽も箸を取り出す。

「簡単なものばっかりだけどな」

「そんなことないよ」

 秋子に褒められへへへと照れた笑みを浮かべていると、しばらくもくもくと食べていた色葉が顔を上げた。

「お弁当って作るの時間かかる?」

 突然の質問に、紗々芽は鶏肉をこくりと飲み込んだ。

 口の中に甘酸っぱいケチャップの味が広がっていく。

「時間はそんなにかからないけど、自分で作るのか?」

「ううん、紗々芽が作るの見てみたい」

 ぱちくり。

 思ってもみなかった言葉に、思わず紗々芽は目を丸くした。

 作りたいならともかく、作っているのを見たいとは。

「別に面白いものじゃないぞ」

「いいの」

「まあ、かまわないけど」

 ぱくりと茹でたブロッコリーを口に含むと、色葉がやったと小さく笑う。

「でもうち、夜は父さんや兄貴いるからうるさいぞ」

「じゃあ私の家においでよ、誰もいないから」

 色葉の両親は基本的に顔を合わせることがないらしい。

 それを思い出して、なんともいえないモヤモヤが紗々芽の胸に広がった。

「じゃあ明日の放課後は空いてるから、材料買ってうちに行こう」

 その一言で、明日のスケジュールが決まった。

 そして迎えた翌日の放課後。

 スーパーで二人は材料を見ていた。

「メニューは何がいいんだ?」

 カゴを持って隣を見ると。

「ハンバーグと卵焼き。甘辛なやつね」

 満面の笑みで色葉が答えた。

「好きだなそれ」

 思わず苦笑してしまう。

 最初に作ったお弁当がよほど気に入ったのか、たびたび色葉はその二品をリクエストしてくる。

 ここまで気に入ってもらえたのなら、作る方もやる気が出るというものだ。

「じゃあひき肉と玉ねぎと卵な」

「紗々芽は料理慣れててすごいよね」

「まあ、いつも手伝ってたし」

 紗々芽が商品を選ぶのを横で見ながら、色葉は楽しそうに紗々芽の料理の腕を褒める。

「結構、冷凍食品も使ってるぞ」

「でもメインはいつも手作りじゃない」

 凄いよと言われ、思わずにやける口元を手の甲で隠した。

 ただの趣味だが褒められて悪い気はしない。

 取柄のない紗々芽にとっては嬉しいことだった。

 会計は色葉が出すと決めていたので、買った荷物は自分が持とうとしたら、ひょいと色葉に奪われた。

 結局奪い返そうとしても返してくれなかったので、荷物は色葉が持っている。

「あ」

「どうした?」

 スーパーを出て色葉の家に向かっていると急に雑貨屋の方を見たかと思ったら、ちょっと待っててと言い置いて色葉は店内に入って行ってしまった。

 なんだなんだと思っていると、すぐに出てくる。

「何か欲しいものでもあったのか?」

「エプロン、持ってなかったから。あとこれショーウィンドウに見えたから紗々芽に」

「へ?」

 紙袋からぽんと手のひらに乗せられたのは、ピンクと白の小さな小花柄のシュシュだった。

「え?」

 エプロンを買いに行ったんじゃあと色葉を見上げれば。

「お弁当のお礼」

「いや、そんなの別に」

 あたふたとする紗々芽を気にすることなくシュシュを手に取ると、色葉はさらりと胸まである紗々芽の色素の薄い髪を、片側で手早くまとめた。

「うん、似合う」

 なんとも満足気な表情だ。

「いや、悪いよ。それにこんな可愛いのあたしには似合わないって」

「そんなことないって。そうだ、せっかく可愛くしたんだから寄り道していこう」

「えぇ!」

 パッと紗々芽の右手を取ると、色葉はすぐ近くのタピオカ専門店に入って行った。

 ひらりと色葉の制服のスカートが揺れる後ろを紗々芽が追いかける。

「紗々芽は何にする?」

 カウンターで振り返った色葉に、このマイペースめと思いながら紗々芽はメニューにざっと目を通した。

 正直、タピオカなんて流行りのものは食べた事が無い。

 無難なものを選ぶことにした。

「タピオカ抹茶で、あ、自分の分は払うからな!」

 釘を刺すのは忘れない。

 こうしないと色葉は紗々芽の分まで払ってしまう。

 いくら色葉がモデルとして稼いでいても、友人間で頻繁に奢ったり奢られたりするのは、紗々芽は違うと思う。

「わかったよ、じゃあ抹茶とミルクティーを」

 苦笑した色葉に、当然という顔をしてお金を払いタピオカを受け取った。

 店内は結構広いイートインスペースがある。

 ピンクの壁に赤いテーブルとイスがある室内で、二人は空いている入口付近に腰を下ろした。

 太いストローに口をつけて吸い込むと、タピオカが結構な勢いで出てくるので、それをもちもちと食べる。

 意外と弾力があることと食感がおもしろいなと思いながら、ひたすら紗々芽はもちもちと口を動かした。

 合間にたわいない話をしているのだけれど。

(視線が痛い)

 周りの客の視線が色葉に集中しているのだ。

 自分が見られているわけではないのに何だか恥ずかしくて、ジュウジュウと休む間もなく飲んでいると、色葉に喉に詰まるよなどと言われた。

「あ、井口さんからだ」

 着信が鳴ったので色葉がスクールバックからスマホを取り出すと。

「ちょっとごめんね」

 色葉が席を立ってざわざわとうるさいここから店外へと出て行った。

 それを見送りながら、ようやくタピオカを飲むのをやめる。

 なんとなく、持ち歩いている丸い小さな手鏡を取り出して紗々芽は先ほど貰ったシュシュを鏡に映した。

 ふんわりとしたそれには、よく見たら金色の鍵のチャームまでついていて、とても女の子らしい。

 髪をまとめるなんて、黒いなんの変哲もないゴムくらいしか使った事がないので、何だかドキドキした。

「あれー?甘滝さんじゃない」

 ふいにかけられた声に顔を上げると、制服姿の女の子が興味津々でこちらを見ていた。

 その顔を見上げて、思わずうっと詰まる。

「村田さん……」

 そこにいたのは中学時代のクラスメイトだった。

 可愛らしいビーズのついたゴムで髪をお団子にしていて、後ろには同じ学校なのであろう男子生徒を連れている。

「久しぶりー覚えてる?私、村田!」

「う、うん」

「誰かと一緒なの?珍しー、甘滝さん友達少なかったよね、ていうか友達いたっけ?」

 怒涛のお喋りに、紗々芽は思わずかすかに背をのけ反らせた。

 中学時代のクラスメイトと言っても、別に親しくはないので声をかけられても困るというものだ。

 そしてなにより。

「この子ねー男みたいな喋り方なんだよ、中学生のときなんて髪がもうちょっと短くて本当に少年って感じでさ」

 これだ。

 悪気はないのだろうがズバズバと思ったことを口にする。

 連れに紗々芽のことを話す村田の言葉に、早くどっかに行ってくれないかなと思ってしまう。

 手鏡を持っている両手に思わず力がこもった。

「あ、なんかシュシュしてる!意外、彼氏でも出来た?あーでもさ」

 けらけらと笑いながら村田はひょいと紗々芽のシュシュがついている結び目を指差した。

「似合わないねー」

 その一言に、紗々芽はドクンと胸が鳴った。

「なんかやっぱり甘滝さんは少年!って感じが似合ってるよ」

 俯いてしまった紗々芽に気付かずに、村田はうんうんと自分の言葉に頷いている。

 シュシュなんて貰ったのもつけたのも初めてで浮かれていたのが恥ずかしくなり、紗々芽はきゅっと唇を噛みしめた。

 うつむいてしまうと、ふいにふわりと頭に手の感触がした。

 思わず見上げると。

「うそ!色葉っ?」

 村田の声が上ずって響いた。

 無表情の色葉が村田には目もくれず紗々芽の頭をひと撫ですると、二人分のタピオカのプラスチックコップを手に取った。

 ぽかんとしている紗々芽に。

「紗々芽、荷物持って」

「う、うん」

促すと、自分の荷物を手に取って紗々芽の右手を取る。

慌てて手鏡をスクールバッグにしまい、紗々芽は促されるまま立ち上がった。

「え、え、甘滝さんの知り合いなの?うっそやばい!色葉ちゃんよかったらこのあと一緒にカラオケでも」

「悪いけど」

 村田のくるくるまわる口を、色葉が端的な言葉でピシャリと遮った。

 思わず制止した村田と顔を赤くしている連れを無視すると、色葉はプラスチックコップをゴミ箱に捨てて店外へとさっさと出て行った。

 カツカツとローファーを鳴らして歩く道は知らない道順だ。

 おそらく色葉の家に向かっているのだろう。

「い、いろは、はやい」

 歩幅の差で小走りになってしまう紗々芽が訴えると、ようやく色葉は立ち止まって振り返った。

 その顔は眉間に皺が寄って不機嫌を露わにしている。

 ようやく止まってくれたことにはあ、と息を整えていると。

「そのシュシュ似合ってるからね」

「へ?」

「紗々芽に似合うから、買ったんだからね」

 言われて、紗々芽は変なところ見られたなと曖昧に笑みを浮かべた。

「いや、でもあの子の言うとおり髪の毛長いからって、可愛いのが似合うとは限らないし、お前も気を使わなくていいからさ」

 あははとカラ笑いしてみせる。

 するりと紗々芽の手を引いていた手が離れた。

 そして、シュシュでまとめている長い髪をひとふさ取って、まるでお姫様にでもするように色葉が口づけて見せる。

「えっ!」

 紗々芽はびっくりして思わず声を上げると、至近距離で合った目が不敵に笑った。

「紗々芽に似合ってるよ、絶対。私が嘘言ってるように見える?」

 その眼差しはまっすぐで、からかいの表情なんて浮かんでいない。

「……見えない」

 小さく答えると、ぱっと髪から手を離し。

「よかった。さ、行こう、すぐそこだよ」

 にこりと満足気に笑った。

「髪にキスとか、キザ……」

「ドキっとした?」

「しーまーせーん」

 軽口をたたき合いながらも歩き、色葉が案内したのはデザイナーズマンションだった。

 高さのある赤銅色のレンガ造り風の壁をしている。

 色葉が番号を入力してエントランスホールに入ると、一変して真っ白い空間になった。

「おかえりなさいませ」

 入ってすぐのところにカウンターがあり、そこにスーツ姿の男が控えていて二人に頭を下げた。

(ひぇぇ、コンシェルジュってやつだ)

 まさかそんなのがいるとは思いもせず、紗々芽は内心驚きながらも会釈をしておく。

 エレベーターに乗ってグンッと浮遊する感覚を受けながら上階に到着すると、廊下に出る。

 そこで違和感を覚えた。

 扉がひとつしかないのだ。

 色葉が迷わずその扉の鍵部分に指を当てると、ガチャリと玄関の扉が開いた。

「紗々芽、いらっしゃい」

 招かれたので玄関扉をくぐったが、そこは玄関というには大きな空間だった。

 白い床はピカピカと磨かれていて、玄関ポーチから上がるとそこにはアンティークのテーブルが置かれており、ガラスなのかクリスタルなのかやけにキラキラした小物が並べられている。

「この階ってもしかしてこの部屋しかなかったりする?」

 ドキドキしながらさきほど思ったことを尋ねると。

「ああ、うん」

 廊下の先に行きながら、色葉が何でもないように頷いた。

 その肯定に、内心再び悲鳴だ。

 外から見たこのマンションはそんなに大きくはなかった。

 けれどワンフロアすべてが自宅になるのならかなりの広さなはずだ。

 黒いもふもふとしたスリッパも高そうで、紗々芽は恐る恐る足を入れると色葉の後を追った。

 リビングは広かった。

 壁も床も白い空間に白いソファーが三つ置いてあり、しかもひとつひとつがでかい。

 ローテーブルは灰白色の石造りで重量感があった。

 壁には大きなテレビと何枚かの絵画が飾ってある。

 ただ。

「なんか、凄いけど生活観ないな」

 ぽつりと感想を漏らすと、バッグを置いた色葉がキッチンの方へ手招きしながら。

「誰も使わないからね」

 何てことないように言った。

「私は自分の部屋があるし、両親はほとんど帰ってこないしね」

「……そっか」

「さ、始めよう、紗々芽」

 まな板や包丁を出しながら促すので、紗々芽もソファーにバッグを置いてエプロンを取り出した。

 制服の上からつけたエプロンはペールピンクに淡い黄色の水玉模様だった。

「可愛いね、いつも使ってるやつ?」

「そうだよ、誰にも見られないから好きなの買ったんだ」

 色葉も制服の上から先ほど買ったばかりの水色のエプロンをつけている。

「似合うんだから、普段の持ち物も可愛いのにすればいいのに」

 色葉の言葉に嬉しいけれどそんなこと言うのはお前くらいだと、紗々芽は肩をすくめて見せた。

 そしてキッチンに入り、袋から材料を取り出していく。

「まずは卵焼きかな。あたしはハンバーグのタネ作るから卵準備して」

「え、私もやるの?」

「当たり前だろ」

 はいとボウルと卵を渡して、紗々芽はさっさと玉ねぎをみじん切りにして肉をかき混ぜる。

 卵を投入しようとしたところで。

「あ、またっ」

 色葉の声にそちらへ意識を向ければ、手をベトベトにしてボウルの中に卵のカラが入っている。

 もちろん卵の黄身は崩れていた。

「お前、卵割れないの?」

 驚いて目を見開くと。

「やったことないもの」

 少しだけバツが悪そうに色葉が唇をつんと尖らせた。

 それがむすくれた子供のようで、思わず笑ってしまう。

「お前よくそれで作ろうと思ったな」

「作りたいんじゃなくて見たいんだってば」

「あはは」

 手を洗う色葉から視線を外して、箸で卵のカラを拾い上げていく。

「お前でも苦手なことってあるんだな」

 笑ってそういうと。

「そうだよ、私ロボットじゃないもの」

 やけに平坦な声が響く。

「当たり前だろ、ロボットはお前みたいにころころ表情変えない」

きっぱり言ってやれば、色葉は虚を突かれた表情のあとしんなりと黒曜石のような瞳を細めた。

「色葉?」

 いつもと違う様子に名前を呼んだが。

「やっぱり見るだけで勘弁してよ」

 すぐにいつもの表情に戻り弱音を吐いている。

 気のせいだったのかなと思いながら。

「じゃあハンバーグ丸めるくらいはしろよ」

「それは楽しそうだからいいよ」

 料理の再開をした。

 お弁当用の小ぶりなハンバーグを作り、焼いているとなりのコンロでフライパンにといた卵を流しいれる。

 箸で丁寧に、けれど素早くくるくると卵を巻いていくのを色葉が感心してじっと見ていた。

「すごい」

「慣れれば誰だって出来るって」

 焼き上がった卵焼きをまな板の上に乗せる。

 ハンバーグも肉汁がしたたり、空きっ腹を刺激する匂いがキッチンに広がった。

 そこにあらかじめ混ぜておいた、醤油と砂糖とショウガのタレを投入すると、香ばしい香りが立ち上がる。

 ついでにと紗々芽が買っておいた冷凍のボイルされたエビをみじん切りにして、ゆでたマカロニにマヨネーズとマスタードを混ぜればサラダの完成だ。

「あとは卵焼き切るだけだな」

「出来立てはいつもよりもっと美味しそう。嬉しいな、温かいご飯久しぶり」

 その言葉に、そういえば食事は毎回エネルギーバーだと言っていたことを思い出す。

 本日の料理はお弁当作りと銘打ってはいるが、出来上がったものは色葉の夕食と朝食になる予定だ。

「お前さ、毎回じゃなくていいからスープとか温かいのも食べろよ。体によくないぞ」

 卵焼きを等間隔に切りながら、紗々芽が心配するが。

「んー、面倒くさくて」

 乗り気でない返事だ。

 色葉はあまり自分に頓着していないのだろうなと、なんとなく紗々芽は思った。

(いっそお弁当にスープジャーつけようかな)

 出来上がったものを皿に移して洗い物を片付けていると、玄関から音がした。

 おやと思って顔を上げると、リビングに入ってきたのは色葉によく似た綺麗な女性だった。

 黒髪をひとつにまとめて実年齢よりははるかに若いのだろうと思わせる瑞々しい肌と、すらりとした長身。

 パンツスーツに身を包んだ姿は、いかにもキャリアウーマンという感じだ。

「誰?」

 パチリと目が合った瞬間、皿を洗い終えた紗々芽は水を止め、エプロンで手を拭いてからぺこりとおじぎした。

「色葉さんの友人の甘滝紗々芽です。お邪魔してます」

 しかし返事は返ってこない。

 色葉を見ることもなく、スマホに画面を落としている。

 ただいまと言う事もない。

 ちらりと色葉を見ると、こちらも母親に何か言う事もなく最後の皿を拭いている。

 母親だろうその女性とのあいだにある空気は、どう考えてみても友好的なものではない。

「まだいるのかしら」

「いえ、もう帰りますんで!」

 女性の無遠慮な言葉に色葉が眉を寄せて何か言う前に、紗々芽は早口で答えてエプロンを外した。

 料理も片付けも終わっててよかったと思う。

 ソファーにあるスクールバッグにエプロンを入れると。

「送っていく」

 同じくエプロンを外した色葉が玄関へとうながした。

 そそくさとそれについて行き、玄関を出る。

 そのままマンションの外まで出ると、外はすっかり暗くなっていた。

 薄い雲が月にかかり、ほのかに街灯と一緒に地面を照らしている。

 生ぬるい風はまとわりつくようで、もうすぐ夏本番であることを知らせていた。

「ここでいいよ」

 大通りまで黙って二人で歩いてから、紗々芽は色葉に声をかけた。

「あのさ、いつもあんな感じ?」

 ぽつりと聞いてみたら。

「紗々芽は家族仲いいからね」

 苦笑して見せる。

 それに何か言おうとして、何を言えばいいかわからないと思ったら。

「明日ね」

 にこりといつもよりも整った笑みを浮かべて、色葉はくるりときびすを返し小走りで帰路についてしまった。

 すぐに薄暗がりに消えた後ろ姿。

「なんて言う気だったんだよ」

 ぽつりと口から小さく呟いた。

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