第7話
そんなある日。
紗々芽はスマホでホームページを見ていた。
手に持っているスマホは紺色の地味なカバーだ。
紗々芽としてはもっと可愛い色が好きなのだが似合わないと思って、甘んじてこれを使っている。
今日は色葉が担任に用事を頼まれて、絶対に待っててねと言われたので大人しく教室の自分の席に座って待っている。
珍しく晴れた空が窓の向こうに広がっていた。
今日は雨は降らないだろう。
スマホの画面には、『めぇちゃん』というもこもこした羊のイラストが表示されている。
ピンク色のリボンを首に巻いていて、『めぇめぇ』というブランドのマスコットだ。
淡いパステルカラーと柔らかいラインの甘めスタイルが好きな女子に、絶大な人気を誇っている。
実は紗々芽はこの『めぇめぇ』が好きだった。
自分の女らしいところなんて髪の長さくらいしかないと思っている紗々芽は、自分がこんな、乙女ちっくな雰囲気のものが好きだと言えなかった。
他の女の子のようにマスコットをスクールバックにつけたりしてみたかったが、どうせ似合わないしなとこっそり楽しむだけにしていた。
今は教室に誰もいないから気を抜いていた。
画面をスクロールして、最新トピックを目で追いかけると。
「クレープでキーホルダー?」
繁華街のクレープ屋とコラボして、二つ買った人に『めぇちゃん』のマスコットキーホルダーをひとつプレゼントと書かれている。
しかもスペシャルバージョンで、首のリボンに花がついている。
紗々芽はじっとそのページを見つめていた。
「いいな、クレープ二個か。さすがに二個は食べれないな」
「何が食べれないって?」
「わあっ!」
後ろからかけられた言葉に、紗々芽はびくりと肩を上げた。
その拍子に胸のリボンが揺れる。
振り返ったそこには、いつのまに戻ったのか色葉が立っている。
動揺している紗々芽のスマホを色葉がひょいと覗き込んだ。
「見るなよ!」
慌ててスマホを持った手を胸に引き寄せて隠した紗々芽に、色葉が首を傾げた。
「紗々芽、その羊好きなの?」
「『めぇちゃん』だよ。悪かったな、こんな甘いテイスト似合わないよ」
かあ、と耳が熱くなるのを感じた。
今までこの趣味を知られると、普段そんな男っぽい口調なのにとか地味なわりに意外だとからかわれた。
だから、ひっそりと楽しんできたのに。
色葉もからかうんじゃないかと、きゅっと唇を引き結ぶと。
「『めぇちゃん』ね。甘いテイスト、私は紗々芽に似合ってて可愛いと思うけどな」
「へ?」
思わぬ言葉に、まぬけな声が出た。
「私に貸してくれてるお弁当箱も、紗々芽が使う方が似合うと思うよ」
「いや、そんなことはないだろ」
「あるの」
はっきり断言されて、思わず毒気が抜けた。
それに、似合うと言われたのは初めてで紗々芽は少しくすぐったい感覚に、むずむずと緩みそうになる口元に手を当てて隠した。
「それで?なにが食べれないの」
「え?ああ、えっとこれ」
もうバレてしまったのだからと観念して、紗々芽は先ほど見ていたページを色葉に見せた。
カラフルなパステルカラーの画面を色葉がどれどれと覗き込む。
「ふうん、このキーホルダーが欲しいんだね」
「ただ、さすがにクレープ二個も食べられないと思ってさ」
しゅんと肩を落とした紗々芽に、色葉は何を言ってるんだと言うように眉根を寄せた。
「私を誘ってくれればいいじゃない。紗々芽のお誘いだったら喜んで行くよ」
「そうなのか?」
きょとんとすれば、色葉がもちろんと頷く。
「じゃあこのお店寄って帰ろうか」
「う、うん」
「ふふ、紗々芽とどこか行くの初めてだね」
嬉しそうにスクールバックを手に取った色葉に、そういえば紗々芽は滅多に外出しないからなと、スマホをバックに入れて立ち上がった。
「寄り道なんて初めてするな」
「紗々芽の家は厳しいの?」
並んで歩き出した色葉に問われて、んーと紗々芽は考えるように斜め上へ目線を動かした。
「どっちかというと緩い、かな。門限もないし」
「そうなの?」
意外だというように色葉が声を上げた。
何故なら紗々芽はいつも寄り道なくすぐに帰るし、休日も滅多に出かけないと言ったからだろう。
「てっきり厳しいんだと思ってた」
「いや、やっぱり寄り道はしにくいなあって」
「紗々芽は真面目だね」
くすくすと色葉が面白そうに肩を震わせた。
それに合わせて艶やかな黒髪が微かに揺れる。
「悪かったな」
「誰も悪いなんて言ってないよ」
そんなたわいない話をしながら、二人は繁華街へと向かった。
月曜日だということもあるのか人通りは多いが、歩けないと言うほどでもない。
雨が降っていなかったのはラッキーだった。
両側にカフェや服屋が並んでいて、紗々芽たちと同じような制服姿の高校生たちが歩いている。
意外とみんな寄り道しているのだなと紗々芽は変な所で関心していた。
気ぜわしい人込みのなか、スマホで検索して向かった目当てのクレープ屋は白い壁に赤い屋根の建物だった。
イートインも出来るようで、ガラス超しにテーブルについている客が見える。
大きな『めぇちゃん』が描かれた水色とピンクののぼりが目印になっていて、客が数人ほど列を作っていた。
スマホでのぼりを撮っている子もいたので、色葉が撮らないの?と聞いてきたが、さすがに自重しておいた。
いいなとは思うがあのなかに入るのは勇気がいる。
客の並んでいる最後尾に並ぶと、前に並んでいたカップルの男がメニューを色葉に回してくれた。
少しデレッとした雰囲気を出したが、色葉はさっさとカラフルなメニューを開いて紗々芽に見せてくる。
ちなみに男は隣の女につねられていた。
「紗々芽、何にする?」
「んー迷うな……苺ミルフィーユか、チョコバナナ」
「じゃあその二つにしよう。半分こずつすればいいよね」
サラッと決めてしまった色葉に、紗々芽が慌てたようにメニューから顔を上げた。
「自分の食べたいもの選べよ」
「紗々芽、滅多に来ないんだしいいんだよ」
譲らない様子でパタンとメニューを閉じてしまった色葉に、紗々芽はむうと若干不満そうだったが、自分達の順番が来てしまった。
「苺ミルフィーユとチョコバナナを」
すかさず頼んでしまった色葉が、ついでにお金まで払ってしまった。
「ちょっおい」
慌てて紺色の財布を取り出そうとした紗々芽だったが。
「ほら紗々芽」
ぽんと手のひらにもこもことした『めぇちゃん』のキーホルダーを乗せられた。
「ほら行くよ」
赤いチェックの紙に包まれたクレープを二つ持って、さっさとイートインスペースに行ってしまう色葉を慌てて追いかける。
店内は白一色だが、壁にはパステルカラーのコラボポスターが張られていて、ほんわかした雰囲気を醸し出している。
店内は案外空いていたので、持ち帰りのお客の方が多いのだろう。
もしかしたらみんな食べ歩くのかもしれない。
白い椅子に座った色葉に紗々芽も向かいに座ると、クレープを渡された。
「半分食べたら交換ね」
「いやそれよりお金!払うから」
「いいよ」
ぽってりした唇がはぐりとチョコバナナのクレープをかじる。
「紗々芽お弁当の材料費貰ってくれないから、こんなときくらいはね」
「う……」
それを言われてしまえば無理に払うとは言えなくて、紗々芽は嘆息して財布をバックに仕舞った。
「それよりよかったね、キーホルダーまだあって」
指差された手の中にある羊のキーホルダーを見下ろし、紗々芽は嬉しそうにはにかんだ。
猫のような吊り目がしんなりする。
「うん。ありがとう色葉」
片手の中におさまる程度の大きさのキーホルダーだが、紗々芽は大事そうにバッグへしまった。
「鞄につけないの?」
「汚れたらやだし、家で飾るよ」
また一口ぱくりとクレープを口にした色葉にならって、紗々芽も苺ミルフィーユのクレープをはぐりと食べ始めた。
もっちりとした生地に、甘い味が口内に広がる。
「久しぶりにこんなの食べる」
「本当に外出ないんだね」
紗々芽の言葉に感心したように色葉がまた一口食べた。
その後クレープを交換したりして、十分ほどで二人は店を後にした。
服や雑貨の店が並ぶ通りに出ると、また少し人の流れが多くなった気がした。
「どうする紗々芽。せっかくだから、まだ何か見ていく?」
「そうだなあ」
滅多にこんなところ来ないしなと紗々芽が思考した時だった。
「ねえ君、モデルに興味ない?」
突然声をかけてきたのは、二十代後半くらいの男だった。
糸目に黒ぶち眼鏡をかけて、にこにこと笑みを浮かべている。
中肉中背の体を紺のスーツに包んでいたが、ネクタイが緑と黒の幅広の横ストライプにクローバー柄と派手だった。
手には白い名刺を持っている。
声をかけられたのはもちろん色葉で、紗々芽はこんな簡単にスカウトされるものなのかと、珍しいものを見たと思う気分だ。
「興味ないよ」
あっさりと言い切って紗々芽の手を取った色葉に、スカウトマンが慌てて口を開いた。
「僕は四ツ木プロダクションの井口って言うんだけど、君絶対モデルになったら人気になるよ!」
興奮気味の井口は、凄い逸材見つけちゃったとテンションがうなぎ上りの様子だ。
「モデルになる気はないから」
バッサリ言われた井口が、しかし負けじと食い下がってくる。
「せめて話だけでもさ!モデルを足掛かりに、アイドルにだって君ならなれるよ」
ぺらぺらと口を回らせるが色葉は聞いているのかいないのか、紗々芽の方が相手にしなくていいのかと思ってしまう。
さっさと歩く色葉に引っ張られるなか井口も負けじとついてきて、紗々芽はどうしたらいいものかと二人を交互に見やる。
長身の色葉に引っ張られ、小さな紗々芽は小走りになりながら困ったようにとまどった表情を浮かべた。
そのときまったく反応を見せない色葉に眉を下げていく井口を気の毒に思っていたら、ふと紗々芽に目線を動かした。
何だろうと思ったら。
「一人が無理だったらお友達も一緒だったらどう?」
「はあっ?」
「紗々芽と?」
突飛な言葉に思わず声を上げた紗々芽だったが、色葉がぴくりと反応したことに井口がキラリと眼鏡を光らせた。
「お友達も一緒の方がいいみたいだね!」
「いやちょっと待ってください」
「本当少しだけだから、あの店で話そう」
井口はチャンスを逃してなるものかというように、急いで二人の背中を押して目の前にあったカフェへと強引に入っていった。
カランと扉を開けたらベルがなり、いらっしゃいませの声。
店内は焦げ茶色の床と壁というモダンな室内で、時間のわりに客は少ない。
静かな店内にはジャズが流れていて、とても高校生の入る店には思えず紗々芽は小さく肩を寄せた。
しかし色葉は気にした風もなく促されるままソファー席に座ったので、結局紗々芽は観念してその隣に腰を落とした。
ふかふかとした感触に、内心絶対高い店だと不安になってしまう。
「何でも好きな物頼んで」
チャコールグレイのメニューを見せられて、紗々芽は今度こそ固まった。
コーヒー一杯八百円。
オレンジジュースですら五百円だ。
内心ひええと思いながらもなんとか平静を保とうと、声をしぼり出した。
「……水でいいです」
「アイスコーヒーとオレンジジュースを」
色葉の堂々とした声と内容に、まさかそのオレンジジュース私の分じゃないよな、と驚いてるあいだにウェイター姿の店員を呼ぶと、井口はアイスコーヒーを二つとオレンジジュースを注文した。
そこでやっぱり紗々芽の分だったと、思わず遠い目になる。
すぐに運ばれてきた飲み物に口をつけることもなく、さっそくと井口はぺらぺらと喋り出した。
「さっそくだけど名前を聞いてもいいかな?」
「多々見川色葉」
「甘滝紗々芽です」
端的に答えた色葉の次に、一応自己紹介をしておいた。
それに井口が満足そうに何度も頷いている。
「うんうん、うちはモデルやアイドルとか女の子に強い事務所でね。男性ファンももちろんだけど、女性からの絶大な支持が凄いんだよ。カリスマモデルの中島由美とかリツカとか知らない?」
「知らない」
色葉が素っ気なく答える。
完全に井口の体の向きが色葉に向いているので、紗々芽は答えなくていいだろうと黙ったまま軽く下を向いていた。
オレンジジュースの入ったグラスがじわじわと汗をかいているのを、何とはなしにぼんやり見やる。
色葉は知らないと言ったが、疎い紗々芽でも知っている有名なモデルの名前だった。
「カバーガールにもうちの事務所の子はよく選ばれてて『スイーツスイーツ』とか『LOVE』とかの表紙を何度も飾ってるんだよね。読者モデルっていうのもいるけど、色葉ちゃんには本格モデルとしてデビューしてほしいんだ」
しかし熱烈に説明するが全然色葉が乗ってこないので、焦れたように井口は紗々芽に視線を向けた。
「うちの事務所なかなかやり手だと思うんだけど、どうかな?」
「す、凄いと思います」
急に矛先を向けられて、思わず答える声が裏返った。
いきなり矛先をこちらに向けないでほしい。
引きつった笑みを浮かべながらもなんとか同意した紗々芽に、井口の口がまわりだす。
「甘滝さんだっけ?君も興味あるよね、女の子だし」
「え、いや」
「甘滝さんならそうだな、小柄だし同じような子に向けてのミニマムモデルとかどうだろう。二人でやったら緊張とかもないと思うし」
「いや、あたしモデルとか柄じゃ」
「もちろんお給料も出るしさ」
口をはさむ暇もないマシンガントークに紗々芽がタジタジと引いていると、色葉がおもむろに立ち上がった。
「トイレ行ってくる」
口にして、さっさと行ってしまった色葉に紗々芽は胸中で置いていくなと思ったが、無常にも色葉はトイレの扉向こうへ消えてしまった。
呆然とそれを見ていたら。
「ちょうどいい、早速本題に入ろうか」
ぐっと井口が身を乗り出してきた。
思わず紗々芽はソファーの背もたれへ後ずさる。
トンとすぐに背中が背もたれへと当たり、わずかも距離は変わらなかったが。
「気づいていると思うが、君はあくまで取っ掛かりで、メインは彼女だ」
「はぁ……」
「彼女ほどの逸材は滅多にいないから、ぜひうちでデビューしてほしいと思ってる。色葉ちゃんがモデルを始めてくれたら、君は何もしなくても大丈夫だ」
失礼な事を言われているのは分かっているが、紗々芽は小心者なので言い返すことも、きっぱり断ることも出来ずにオロオロと視線をさまよわせる。
すると戻ってきた色葉が隣に再び座ると、井口はまたにこやかに笑みを浮かべて見せた。
「どうかな?うちでデビューしてくれるかな?」
「紗々芽との時間がなくなるから」
直球で断った色葉に、内心うわあと紗々芽は天を仰いだ。
これはもう紗々芽が巻き込まれるのは目に見えている。
「ただでさえ紗々芽は放課後すぐ帰るから、一緒の時間が短いし」
井口の視線が眼鏡越しにキラリと光った気がした。
眼鏡のブリッジを押し上げると。
「むしろ同じ仕事をするんだから、放課後や休みの日の仕事現場で一緒に過ごせるよ」
「……じゃあいいかな」
意外にもあっさり了承した色葉に、紗々芽は目をかっぴらいた。
自分はまったく了承していないうえに、絶対に同じ仕事なんてするわけがない。
よくないと声を上げそうになったが。
「じゃあ決定だね。これからよろしくね二人とも」
あっけなく話はまとめられたあげく、糸目の奥の眼差しに射抜かれ。
(マジか!)
結局、声を上げることも出来ずに、紗々芽は流れるように事務所入りが決まってしまった。
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