第4話
たいした怪我じゃなくてよかったと思う。
カラリと教室の扉を開けて中に入ると、女子の目線が痛い。
すっかり敵意を持たれてしまったなと思いながら席について、ふと気付いた。
いつもなら色葉がもう来ている時間なのに、指定の席にその姿はない。
(寝坊でもしたのかな)
しかしそんなところがイメージ出来なくて、ただ遅れているだけだろうと思う。
チャイムが鳴るまで席で予習をしていたが、色葉は一向に来る気配がない。
欠席だろうかと思っていると、チャイムが鳴る寸前に色葉は教室に入ってきた。
しかし足取り的に慌てた様子はない。
(ただゆっくり来ただけかな)
ぱちりと色葉と目が合ったのでおはようと口を開きかけたが、色葉の視線がすいと逸らされた。
あれ、と思う。
この距離で気づかないはずがないし、今はっきり目が合った。
それにいつもなら真っ先に紗々芽のところに来て挨拶をするのに、そのまま色葉は自分の席へとついてしまった。
それに珍しいなと思いつつ、チャイムが鳴ったので予習のノートを片付け始めた。
一限目は移動教室だったので、HRが終わった後に教科書たちを持って顔を上げると。
「あれ?」
色葉の姿がなかった。
普段通りなら紗々芽を誘うはずなのにだ。
移動教室先に行っても色葉はおらず、ギリギリで教室へと移動してきた。
その後も授業が終わるたびに色葉はどこかへふらりと姿を消している。
毎回というわけではないが、紗々芽が邪魔に思わない程度に声をかけてきていたのに。
決定打は昼休みだった。
紗々芽がランチバックを取り出すあいだに色葉は教室を出てしまったようで、すでにいなくなっていた。
これはあきらかに避けられている。
高校に入って一人で初めて食べる昼食は、何だか味気なかった。
「なんだよ、今まで散々かまってきたくせに」
もそもそと昼食をとっていると、こそこそとかわいそー、ボッチになってる、などと声が聞こえたが紗々芽はまったく気にならなかった。
それよりも色葉がちゃんと昼食を食べているのだろうかという方が気になった。
「もしかして昨日のが原因かな」
放課後、ぼんやりと雨の降っている空を見上げて紗々芽は呟いた。
昇降口の玄関で、どうしたものかと立ち往生中だ。
今日の降水確率は五十パーセントだった。
大丈夫だろうと高をくくって、傘を持ってこなかったら見事に土砂降りだ。
周りの生徒はスクールバッグで頭を守りながら、走って帰っている。
紗々芽は足首の腫れのせいで走れないので、この土砂降りのなか歩いて帰るしかない。
まだ春先だからか、気温が低くなっている今日は少し肌寒かった。
どしゃぶりのなか帰ったら高確率で風邪を引くだろう。
はあと溜息をついて、よし行くかと一歩踏み出したときだった。
「はい」
声をかけられて振り向くと、色葉が白い傘を差し出していた。
キョトンと目を丸くすると、珍しく笑みを浮かべていない表情でさらにずいと傘を差し出される。
「え、いや」
「私近くだから」
「でも」
受け取るわけにはいかないと遠慮しようとするが、ぐいと傘を紗々芽に押し付けると色葉はそのままくるりと背を向けてそのまま雨の中走って行ってしまった。
「ちょっと!」
声を上げたが振り向くこともなく、ザーザー振りのなかその姿は小さくなって消えた。
困ったように手に押し付けられた傘を見下ろしたが、すでに持ち主がいないのだからどうしようもない。
せっかく貸してくれたのだしとここで使わないのも好意を無駄にするかと思い、紗々芽はしぶしぶと傘を広げた。
パンと音を立てて開いたそれは、白地に端の方に水色の小さな花が描いてある。
「かわいい」
思わず声に出してから。
「明日、風邪引いて休まなきゃいいけど」
大雨の中、傘を片手に学校を後にした。
翌日は昨日の雨が何だったんだというくらい快晴だった。
傘はあとで返そうと傘立てに入れて、色葉がいることを願って少しどきどきしながら教室のドアを開ける。
今日は確か日直だったはずだから、すでにいるはずだ。
きょろりと見回すと、前の方の席。
まっすぐに綺麗な姿勢で色葉が座っていた。
その背中を見た瞬間。
「よかった」
ほっとして思わず口元に笑みを浮かべると、紗々芽は色葉の席へと向かった。
足はすっかり良くなっている。
「おはよう」
声をかけると、色葉が驚いたように紗々芽を見上げた。
いつも見上げるばかりだったので、目線が近いのが何だか新鮮だ。
「おはよう……」
目を丸くしてほうけたように色葉が挨拶を返す。
それに何をそんなに驚いているのだろうと不思議に思った。
「昨日ありがとう、傘持ってきたから」
「ああ、うん」
「体調崩してない?大丈夫か」
「私、丈夫だから」
今までのなつきっぷりは何だったんだというくらい、よそよそしい。
それに何となく不満を覚える。
しかしこれだけは言わなくてはと。
「女の子が体冷やしちゃ駄目だ」
注意すると、色葉はパチパチと驚いたように目をまばたいて、おかしそうにふにゃりと笑った。
「それは紗々芽もでしょ」
その顔は今まで見てきたものよりも、少しあどけない。
「あの場合、せめて一緒に入って行くものだろ」
腰に手を当てて不満を口にすれば、色葉はそっと視線を下げた。
そうすると、まつ毛がとても長い事に今さら気づく。
「私と一緒じゃ嫌かと思って」
まさかそんな返事が返ってくるとは思わなかった。
今度は紗々芽が驚いた。
「まさか」
「本当に?」
聞いてくる色葉の声はまったく自信がない。
色葉に言ったように、嫌というわけではない。
あまりにもあけすけな好意にとまどっているだけで。
「まあでも、何でそんなにあたしに構ってたんだとは思う」
「……仲良くなりたくて」
自信のない声に、紗々芽はひょいと肩をすくめた。
「それがよくわかんない。何であたしなんかと?」
「なんかじゃないよ」
「お前なら仲良くしたいって子、たくさんいるだろ?」
不思議そうに見下ろすと、色葉はためらうように視線を左右に動かしたあと、まっすぐに紗々芽を見上げてきた。
「でも、私は紗々芽がいい」
その瞳にはまっすぐな真剣さしか浮かんでいなくて、色葉が本音だということを嫌というほど伝えてきた。
たった一度話しただけで、ずいぶんなつかれたものだ。
けれど、色葉と友人になったことは嫌なわけではない。
ただ周りのとりまきに委縮していただけで。
「仕方ないな」
困ったような照れくさいような笑みを浮かべてから。
「じゃあ、あらためてよろしく。色葉」
初めて名前を呼んだ。
その言葉にパチンと目をまばたいたあと、ぱあっと大輪の花が咲いたような笑みを浮かべて。
「うん!よろしく紗々芽」
色葉はうれしそうに黒曜石の瞳をしんなりとさせた。
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