第2話


 桜と青空のコントラストが美しいその日。

 春にしては少し肌寒いなか、高校の体育館は新入生の入学式で生徒が溢れていた。

 その中に、無事第一志望に合格した紗々芽もパイプイスに腰を落としている。

 白いシャツに紺のブレザー、首元には赤いリボンの制服はまだ着なれない。

 まだ背が伸びるかもしれないと淡い期待をかけて少し大きめのサイズにしたから、制服を着ているというより着られているという印象だ。

 密かに可愛いもの好きの紗々芽は赤いチェックのスカートがお気に入りだった。

『新入生代表からの挨拶』

 司会者のマイク越しの声に顔を上げる。

 新入生代表は成績トップがするはずだ。

 どんな生徒だろうと思っていると、檀上に上がったのは黒髪の美人だった。

 芸能人のように頭ひとつ抜きんでた見た目に、男子も女子も色めきだっている。

 しかし代表を務める彼女は緊張したふうもなく、すらすらと話始めた。

 その声は鈴が鳴るようで。

「入学式の子だ」

 檀上を見上げて紗々芽はぱちくりと目を大きくした。

 受かるといいなとは思っていたけれど、中学のレベルを考えたら難しいかななどと少し失礼なことをあの日思ってしまっていたが。

 なんと入試トップ。

 吃驚だ。

 真面目にスピーチが続くなか、ざわざわと周りからあの子可愛いなどの声も聞こえてくる。

(美人で胸もあって、成績優秀かあ)

 三拍子そろっている彼女に、ほえーと紗々芽は素直に凄いなあと見上げた。

『高校生活にはあまり関心を持っていなかったのですが、受験の日に素晴らしい出会いがありました』

 にこりと檀上の少女が嬉しそうに微笑んだ。

 その微笑みに、またざわりと生徒のあいだで空気が騒めく。

 そんな出会いがあったのかと紗々芽がぼんやり聞いていると。

『その子はマフラーを貸してくれて、同級生になれるといいねと言われました。私はこんな子がいるのなら中学とは違う環境になってもきっと充実した生活が送れると思いました』

「んん?」

 少女の言葉に紗々芽は眉根を思わず寄せた。

 受験の日にあの子にマフラーを渡したのも、同級生になれるといいなと言ったのも紗々芽だ。

 まさか人違いと思うには、あの日の自分と酷似している。

 わざわざ新入生の挨拶で言うようなことだったっけと思っていると、いつのまにかスピーチは終わり少女は檀上を降りて行った。

 名前を聞いてなかったなと思うが、紗々芽は一番成績優秀なAクラスだ。

 間違いなくクラスメイトだろう。

 あまり親しい人間は作らない紗々芽だが、もしかしたらいいクラスメイトになれるかもなと思う。

 入学式が終わると、三階の一年Aクラスへと足を踏み入れた。

 この学校は学年が上がるごとに教室が下の階へとなり、クラス分けは成績順だ。

 別にそれに関しては努力を怠らなければいいと思うが、小心者の紗々芽はクラス落ちたりしたらやだなあと今から心配していた。

 一年間自分の場所となる席を見つけ、腰を下ろす。

 平均より小さい紗々芽が座ると、ちょこりとした感じだ。

 周りを見れば、すでに大体の生徒は席についている。

 近くの席の人間と話す子もいれば、紗々芽のように特に誰かと話すことなく大人しくしている子もいる。

 ガラリと教室の扉が開いたので担任かとそちらを見ると、そこには新入生代表をしていた美人が入ってくるところだった。

 やはり同じクラスだったらしい。

思わずみんなの視線がそちらへと向く。

 けれどそれに気付いているのかいないのか、少女は気にした風もなく誰とも目を合わせず自分の席に向かおうとして、紗々芽と視線が合うと目を丸くして驚いた顔をした。

 それに何だろうと思っていると、その驚愕の表情が一瞬で花のような満面の笑みになる。

 思わずクラス中がその微笑みに思わず見とれていた。

 男子学生なんかは頬を赤くしている者もいる。

「ひえっ」

 次の瞬間、大股で歩いてきた少女に机越しにがばりと抱き着かれた。

 長身の少女に抱きしめられると、小さな紗々芽はすっぽりとその柔らかい体に包まれてしまった。

 あの日と同じ柔らかな感触とふんわりしたいい匂いが鼻孔をくすぐる。

「ひえぇ」

 思わずまぬけな声が出た。 

離せとあたふたじたじた暴れると、名残惜しそうに少女は離れた。

 代わりにずいと紗々芽の顔を覗き込んでくる。

 さくらんぼのような唇が弧をえがき、長いまつ毛にふちどられた黒曜石のような瞳が甘くとろりと細められた。

「私の事覚えてない?」

「覚えてるけど……」

 美人のドアップに思わず顎を引いておずおず答えると。

 少女がますます笑みを深くした。

 その顔はひどく満足気だ。

「んふふ、覚えててくれたんだ。同級生になれたね」

 ぽかんとまさか抱きしめられるとは思っていなかったので驚いていると。

「私は多々見川色葉」

 すらりと、あの雪の日は真っ赤だった華奢な手を差し出した。

「あ、紗々芽。甘滝紗々芽だ」

「ふふ、可愛い名前」

差し出された手に自分の手を差し出すと、きゅっと握られて囁かれた。

「これからよろしくね」

次の日から彼女はクラスで人気者になっていた。

紗々芽が登校すると、色葉はすで自分の席にいて周りを女子生徒が取り囲んでいる。

「可愛いよね多々見川さん」

「どこの中学だった?」

「トップとか凄いよね」

 そんな質問攻めが聞こえてくる。

 人気者ってすごいなあと思いながら、紗々芽は自分の席についた。

 すると。

「ちょっとごめんね」

 色葉が群がっていた女子に断って席を立ちあがった。

 そしてあろうことか、まっすぐに紗々芽の席に歩いてくる。

 目の前まで来ると、色葉はにこりと笑った。

 美人が笑うとすごく華やかだなあと思いながらも、なんだろうと座ったまま上目使いに見上げた。

「えっと多々見川さん、どうかした?」

 ぎこちない笑顔で問いかけると。

「色葉って呼んでくれると嬉しいな。紗々芽って呼んでもいい?」

「いいけど……」

 何故こんなにもぐいぐいと来るのだろうと不思議に思う。

「私、紗々芽と仲良くなりたいの」

 綺麗な笑顔ではっきりと言った彼女超しに、先ほどまで熱心に色葉に話しかけていた集団がジトリと睨みつけてくる。

(ひえぇ)

 内心悲鳴を上げながらも、ここで断る理由も特にない。

「まあ、クラスメイトだし……よろしく」

 ぺこりと軽く頭を下げると。

「うん」

 色葉は満足そうに瞳を細めて満面の笑顔を浮かべた。

昼休み。

まだ特に親しい友人が出来ていない紗々芽は、その場で黒いランチバックを取り出した。

紗々芽はそんなに積極的に友達を作るタイプではなく、クラスが変われば友人も変わるというタイプで中学も深くはない友人付き合いをしていた。

なので、高校でもそうなるだろうと思っていたのだが。

「紗々芽、お昼一緒に食べよう」

 にこにこと色葉がコンビニ袋を下げて声をかけてきた。

 ちらりと女子の集団を見ると、面白くなさそうにひそひそとこちらを見て話している。

 いい話ではなさそうだなと思う紗々芽だ。

 あまり目立ちたくない、と思うが色葉に非はない。

「いいけど」

 結局紗々芽は了承した。

「ねえ、私達もいい?」

 すると、こちらを見てヒソヒソしていたグループがおもむろに声をかけてきた。

 紗々芽は驚いて眉を上げたが。

「いいよね、甘滝さん」

 有無を言わせぬ迫力に、紗々芽はひくりと引きつった笑みを浮かべながら頷いた。

 ここで断って彼女達の反感を買うほど紗々芽も馬鹿ではない。

 他人からの頼み事を断れず流されるのは短所だと紗々芽は思っているが、この場合は仕方ないと思う事にした。

結局机を寄せ合い食べ始めたのだが、みんながお弁当やパンなどを出すと色葉もコンビニ袋からガサガサと取り出した。

 それはカロリーバーと缶コーヒーだった。

(夜までもつのかな、それ)

 素朴な疑問が浮かんだが。

「それだけなんだ」

 女子生徒たちも驚いていた。

 そして口々にかしましく話し出す。

 そのすべてが色葉に向けられていた。

「それでおっぱいがでかいとか羨ましい」

「だから細いんだ」

「ねえ帰りにプリクラ行こう!こんな可愛い子自慢できる」

 ひとりの言葉に賛成と笑い声が上がる。

「中学の友達に自慢できるよね」

「ゲーセン行ったらナンパされたりするかも!」

その会話を聞きつつ、紗々芽はお弁当に目線を落としたまま。

(なんかやだな、こういう会話)

 かすかに眉根を寄せた。

 自慢とか、まるで物やアクセサリーみたいな言い分は、紗々芽は好きではないなと思う。

 彼女は平気なのだろうかとちらりと色葉に視線をやると、盛り上がっている女子生徒に答えずに静かに缶コーヒーを飲んでいる。

 盛り上がっている彼女たちは気にしていないようだが。

「あ、忘れてた!連絡先交換しようよ」

 一人が言い出すと、私も私もと声が上がる。

 けれど色葉はかすかに微笑を浮かべてそっけない声で答えた。

「私そういうの苦手だから」

けれどそんな一言で引き下がる彼女らではなかった。

それぞれスマホを取り出して盛り上がっていく。

「えぇーそう言わずにさあ」

「いいじゃん別に」

「あ、グループラインも作ろう」

 ブーイングを言いながら強引に決めようとする彼女らに、思わず紗々芽は。

「あの、無理強いは……」

 小さく制止を口にした。

 けれど彼女達は面白くなさそうに紗々芽を一瞥すると。

「えー、無理じゃないし」

「てかいたの」

「地味で気づかなかった」

 口々に詰め寄られて、思わず下を向いてしまう。

 最初からいるのだがと思いながらも、地味という言葉は否定できない。

 小さいうえに特徴と言えば猫のような吊り目くらい。

 それもエギゾチックだとかそんな雰囲気のものではないので、地味と言われてもむしろ納得するしかない。

 紗々芽はあまり気も強くないし物事も主張しないタイプだ。

 散々な言われように、内心吐息を零した。

「ねえ」

 それまで一言も喋らなかった色葉が声をあげ、彼女達はなになにと顔を明るくして声の主に目線を向ける。

 その声をかけられて嬉しそうな女子生徒らに、色葉はキッパリと言い切った。

「明日からお昼は紗々芽と二人で食べるから遠慮して」

「え!」

「えぇ!」

 彼女らと紗々芽の声が綺麗にハモッた。

 いきなりの言葉に紗々芽は持っていた箸を落としかけたが、なんとかこらえる。

「どうして?」

「なんで?」

 慌てて声を上げる女子生徒に。

「静かに食べたいの」

 コンと色葉の手が缶コーヒーを机に置いた。

 そして、今の今まで騒ぎまくっていた彼女たちは喉をつまらせて、バツが悪そうにチラチラと色葉を見ながら静かに食事を再開した。

 シンとしてしまった光景に、紗々芽は思わず天を仰ぎたくなった。

 静かに食べたいのはわかったけど、なんであたしと二人なんだと。

 翌日の昼休みは、紗々芽のもとに色葉が来ると昨日一緒に食べた女子生徒たちが、お弁当片手に色葉へ話しかけた。

「色葉ちゃん、一緒にお昼」

「悪いけど昨日言ったとおりだから」

 にこり。

 有無を言わさぬ鉄壁の笑顔で応えた色葉に、彼女たちはあからさまに鼻白んだ。

「何よむかつく」

「ちょっと可愛いからって」

「お高くとまんないでよね」

 口々に吐き捨てて離れて行くのに、あまりの言い草に紗々芽がいいのかと色葉に声をあげようとしたら。

「大丈夫。それより食べよう」

 色葉がさっさと椅子に座ってビニール袋からカロリーバーと缶コーヒーを取り出した。

「本当にいいのか?」

「昨日も言ったけど騒がしいのは好きじゃない。紗々芽もでしょ?昨日居心地悪そうにしてた」

 言われて確かにそのとおりだがと眉を思わず下げてしまう。

「あたしのことは気にせずに向こうと一緒に食べろよ」

「私は紗々芽とがいいの」

 カシッと缶コーヒーのプルトップを開ける色葉にそれ以上何も言えず、紗々芽は溜息をひとつ吐いたのだった。

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