テトの迷い

 たしかに、テトはこれまでセリスと何度も組み手をしてきた。

 その数倍はスピードがある。

 しかし、クセまでは拭い切れていない。

 セリスは感覚だけで、全て捌ききる。

 ライカが教えたとおりに。


「うまい!」

 思わず、ライカが声を上げた。


「そこです!」

 セリスの掌打が、魔王のアゴを捉える。


 魔王の身体が一瞬揺らぐ。


「畳みかけて、セリスさん!」

 ライカが檄を飛ばす。


 セリスも拳に力を込めた。二撃目を。


 しかし、魔王が息を吹き返す方が早い。

 魔王は床に手を付いて、倒れる寸前でセリスに足払いを見舞う。


 続けざまに足刀を脇腹に受けた。


 セリスが吹き飛ぶ。

 長テーブルに背中を打ち付け、地面に一回転した。


「セリスさん!」

 駆け寄ろうとしたライカを、セリスは制する。


 セリスは躊躇っていた。

 その油断によって、魔王の蘇生を許してしまう。

 油断していては勝てない相手だとわかっているのに、踏み切れていない。


「笑止な。この程度の相手を恐れていたとは。我ながら無駄な時を過ごした。そんな甘い思考では妾を倒す事などできん」

 気だるそうに、魔王が髪をかき上げる。


「テトさん、目を覚まして下さい」


 セリスに呼びかけられて、魔王は首を振った。

「我はテトなどという矮小な存在ではない。魔王ベルナテット」


「それが、あなたの限界です。魔王」


「……何?」

 ライカの言葉に、魔王が初めて怒りを露わにする。


「セリスさん、もうこの人は、あなたの知っているテトさんではありません。存分に手を下しましょう」


「ライカ殿、これでは火に油を注ぐことにしかならんぞ!」

 カメリエが、慌てふためく。


「大丈夫。最後に勝つのは、テトさんです」


「言っている意味が分からんぞい!」

 言葉の意図が掴めず、カメリエは頭を抱える。


「何を言っているのか。お前は聖女ではなく、魔王の勝ちを予想するのか?」

 同じく魔王も、ライカの言葉を笑い飛ばした。


「あなたが勝つと、誰が言ったんです? 必ずテトさんが、あなたを自分の身体から追い出すはず。勝つのはセリスさんとテトさん両名です」


 二人の意志によって、魔王はこの世界から消え去る。

 自分になら、それができるはずだ。


「わたしは負けません、あなたなんか、絶対に!」

 セリスが構え直す。


「やれるものならやってみるがよい!」

 魔王ベルナテットが、怒りに震える。


 手を変え品を変え、セリスは攻めの手を緩めない。


 だが、ことごとく魔王に傷を付けられずにいた。


「どうして。訓練は同時に受けていたはずなのに」

 自分と魔王との間に、ここまでの差が開いているとは。


「覚悟が違うのじゃ。お主と我では。この世界を統べようとする覚悟が。全てを手にしようとする覚悟がのう」

 得意げに、テトが言い放つ。


「知っておるぞ。お主はあれに惚れておるな」


 たった一言で、セリスの心臓が跳ね上がった。

 一瞬で、セリスの脳内がライカの笑顔で満杯になる。


 首を振って、頭から邪念を追い払う。

 今は自分の幸せなんて考えてはいけない。

 そう思えば思うほど、セリスの胸は張り裂けそうになる。


「じゃが、安心せい。お主を倒し、あ奴は我がしもべとしよう。お前の分までたっぷりと、あやつを愛してやろうではないか」


「そんな事させない! させませんから!」


 怒りに任せたセリスのパンチは空振りした。蹴りも肘打ちも。


 カウンターで膝蹴りを腹に受けた。

 肺の中の酸素が一気に放出される。


 しかし、すぐに体力が回復するような感覚に見舞われた。

 武具が回復させてくれたのか。

 

 頭を振って、気持ちを切り替える。


 目の前にいる人は、テトではない。魔王だ。

 ならば打ち込む。


「ようやくやる気が出たか? ならばこちらからいくぞ」


 前蹴りが飛んでくる。


 思い出すんだ。

 雷漸拳の攻めを、かつて自分が教わってきた技の数々を。


 セリスは足首を掴んだ。

 後ろに下がって、攻撃の勢いを殺す。

 その状態からのカウンターを狙う。

 前に足を踏み込んで、手の平を打ち込んだ。


「やあ!」

 腹に、掌打を見舞う。


「な……これは」


 だが、打撃の勢いが波紋を描くように、魔王に届かない。

 空気の壁があるような感覚が手に触れている。


「これが聖女武具、魔王武具の真髄。単純な打撃や武器による攻撃は、全身を覆う強力なプラーナによって阻まれるのだ」


 あらゆる攻撃は、武具によって阻止されてしまう。


 これではいつまでも決着が付かず、千日手になるではないか。


「テトさん、目を覚まして下さい!」

「無駄だ。テトの意識は余の力で押さえつけてある」


「だったら……」

 セリスは、腰の剣を抜いた。


 鞘しかない剣に力を込めると、プラーナでできた蒼い刀身が姿を現す。


「よかろう。雷漸拳同士の戦いでは勝負が付かぬ」

 対する魔王も、腰の剣を引き抜く。

 鞘から禍々しい紫の刀身が。


 セリスの剣と、魔王の剣が競り合う。


 だが、変化は起きていた。

 先ほどからずっと、魔王の攻撃は決定打に欠けている。

 いまいち力は入りきっていない。

 やはり、人を傷つけたトラウマが蘇ってしまうのだ。


 しかし、テトも同じ状態に見えた。

 顔で分かる。

 先ほどから、手を抜いているかのような太刀筋だ。

 腰が入っていない。


「どうした、この身体は⁉ とどめを刺さぬか!」

「テトさんなら、わたしの気持ちが分かるはずです!」

「おのれ、聖女め!」


 魔王の顔に、初めて人間らしい表情が浮かぶ。

 一瞬だけ、テトに戻った気がした。


 魔王は、テトのいかにも人間らしい感情を昂ぶらせ、そそのかしている。


「聞こえますか、テトさん。あなたなら、自分の手で元のテトさんに戻れます」


 テトが抱いている感情は、多分、セリスにも芽生えていて……。


「呼びかけても無駄だ。最も欲していた物を勝ち得た貴様の声になど、此奴は耳を貸さぬ」


 セリスは首を振る。

「違う! わたしは、何も得ていない!」


「うるさい! お前は全てを持っていて、妾は!」


 魔王の剣が、セリスの肌を斬りつけた。


 血は出ていない。

 プラーナがわずかに漏れたような疲労感がする。

 この剣は、肌を傷つけないのでは?


「ライカさんは、あなたが戻ってくると信じてる。わたしだって同じです。だから、一緒に帰りましょう。その為に、わたしを傷つけてもいい」

 セリスは構えを解いた。


「自らの死を選ぶか、聖女。ならば望み通り、冥土へと送ってやろう!」

 無防備のセリスに、魔王が剣を突き出す。


 しかし、いくらセリスが待っても、魔王は斬りかかってこない。


 魔王の全身に、汗がドッと噴き出している。

 顔は歪み、剣を突き出した構えのまま動かないでいた。


「どうしたのだ!?」

 魔王自身、現状を理解できないでいるようだ。


 セリスには分かっていた。


 迷っている。テトは。

 魔王の制御下で、彼女は戦っているのだ。

 唇を噛みしめ、テトは苦しんでいる。

 剣を前に突き出そうとする度に、手を震わせて首を振った。

 元のテトらしい、精悍な顔が蘇っていく。


「テトさん、自分に負けないで!」

「傀儡は傀儡らしく、自分を見失っておれば、ここまで苦しまずに済んだものを!」


 だが、魔王の制御が、セリスの願いさえ踏みにじる。


「所詮、人間は魔王の制御からは逃れられん!」


 歯を食いしばりながら、テトがセリスに突きを仕掛けた。


 やられる――セリスの脳裏に敗北のイメージが浮かぶ。


 このままテトは、ベルナテットに飲み込まれてしまったのだろうか?


 誰も助けられなくて、何が聖女だろう。


 諦観が、セリスを襲った。


 だが、剣はセリスを貫かない。


「こしゃくな」


 セリスの心臓ギリギリの所で、魔王の突きは踏みとどまっている。

 魔王の顔に、一瞬だけテトの表情が戻った気がした。

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