幼い頃の思い出

 あのとき、夕日に向かって一生懸命になって木の棒を振っている少女の姿が目に飛び込んできた。


 その少女こそ、幼き日のセリスだったのである。


 聖女になる訓練をしていると聞かされた。

 動きは鈍くさい。

 が、トレーニングしている彼女は、輝いて見えた。

 どんなに辛くても弱音を吐かずに。


 ライカは自分のことのように、彼女を心の中で励ましていた。自分の事は顧みず。


「ですから、それくらいどうしようもなかったんですよ。ボクは醜いブタでした」


 その時に出会った女の子がかわいくて、「やせたら仲良くなれるかもしれない」と考え、雷漸拳を覚えようとしたのである。


「バカみたいでしょ? ボクが雷漸拳を会得したのは、ひどく即物的な理由なのです。笑って下さっても結構なんですよ」


 厳しい修業時代には、このオレンジに輝く景色を度々思い出したものだ。

 この街を見ていると、困難な試練も、先の見えない旅も、すべて素晴らしい思い出にできると前向きになれた。


 そこに、セリスが辛そうにしていた。俯いて、しゃがみ込んで。


「ご両親から聞きました。あなたが剣術を辞めた理由は、あのときルドン卿にケガをさせたからだと」


 腕を軽く斬って、出血させたらしい。


 ルドン卿からすれば、ほんのかすり傷程度だったであろう。

 しかし、セリスは老騎士の腕から流れる一筋の血を見て、相当取り乱したという。


「相手が魔王だと思っても、血が流れるのはどうしても耐えられなくて」

「わかります。セリスさん」


 セリスも人間なのだ。

 挫ける時がある。プレッシャーに負けてしまうことだって。

 でも、その情けなさを表に出せなかった。

 誰にも、自分が苦しんでいるなんて伝えられない。


 幼かったライカは、当時のセリスが抱えていた事情は知らなかった。

 セリスを強い少女だと思い込んでいた自分を恥じる。


「次の日でした。ボクがあなたに声をかけたのは」


 自然と、ポケットに手を突っ込む。

 確か、こっそり食べようとして甘納豆があったはずだ。

 そう思って、当時幼かったセリスに甘納豆を分けた。

「がまんしなくていい」と言って。


 だがライカは、名を告げずに街を去った。

 自分のがんばる動機がかっこ悪くて。


「ボクは、あなたと話ができて、変われました」


 この街と、セリスとの出会いが、ライカを変えたのである。


 誰にだって、弱くなるときがある。

 ライカの場合は、まだ何も知らなかった時代だ。

 けれど、セリスの人間らしさを垣間見て、自分の弱さと真剣に向き合った。

 受け入れて克服する術を学んだ。雷漸拳の習得にも、本腰を入れ始めた。

 少女に振り向いて欲しいからではなく、少女を守るために。


「今のボクがあるのは、セリスさんのおかげなんですよ」

 ライカが微笑みかけると、セリスが喉をしゃくり上げ始める。


「どうしたんですか?」


「うわああああん!」

 セリスが突然泣き出し、ライカにしがみつく。


「あなただったんですね。あなただった。わたしを励ましてくれたのは」

「ボクが、ですか?」

「わたしの張り詰めていた気持ちを解きほぐしてくれたのは、あなたでした」


 あのクズだった自分が、セリスの支えになっていたなんて。


「わたしが剣術を辞めたいと言ったとき、ライカさんだけが理由を分かっていました。『人を斬るのが嫌なんでしょ?』って。わたし、誰にも話したこと、なかったのに」


 そう言われて、ようやく思い出した。確か、そういったことをいった覚えがある。


「じゃあ、覚えていますか、甘納豆をあげたときのことを」

「はい。思い出しました。ライカさんだったんですよね」


 セリスだって、誰かを傷つけたくなくて、心が折れるほどに苦しんでいたのだ。


「いつも辛いときは、ライカさんがしてくれた優しさを思い出して、生きてきました」

 セリスが、ライカの身体に顔を埋める。


「てっきり、男の子だとばかり」

「親戚筋でさえ、少年と見分けがつかなかったくらいでしたからね」

「もし、本当に男の子で再会できたら、お慕いしていると伝えようと」


 自分は、知らず知らずのうちに、セリスを励ましていた。

 セリスがライカのことを、とても大切な存在だと思ってくれていたのだ。


 とても光栄なことである。これ以上ないくらい嬉しい。


 けれど、セリスは世界を救う聖女で、自分は修行僧だ。

 セリスに振り向いてもらうなんてできない。身分が違いすぎる。


「ごめんなさい。わたしは堕落してしまいました。ライカさんは、こんなにもたくましくなったのに」

 目を腫らして、セリスは泣き崩れる。


「いいえ、あなたは堕落しているんじゃない。あなたの優しさは、あなたが培ってきた物だ。ボクにはわかりますよ。あなたは、自分を卑下する必要はない」

 セリスの目に沿って親指を這わせ。涙を拭う。


 せめて、ライカはセリスを励まそうと思った。セリスを元気にする、それが大事だ。


「帰りましょう。みんなが待っています」

 ライカは立ち上がる。


「セリスさんはすごいです。誰にもできないことに挑戦しているのです。よくがんばっていると思います」

 励ましを送ったが、セリスは目を伏せる。


「でも、それならどうして、結果が出ないんですか? わたしは、どうして、やせないんでしょう?」

「そんなことはありません。あなたはしっかりと、結果を出しました!」

「どういう意味です、ライカさん?」


「ちょっと来て下さい」

 ライカは、セリスの手を引く。


 されるがままになって、セリスは立ち上がった。

「あの、どこへ?」


「あなたがやせたという証明をしてみましょう」


 お屋敷に戻ってくる。


 セリスの無事は、テトによって屋敷に伝わっていた。


「どこまで行くのです?」

「台所まで」

 試しに、二人でキッチンへと向かう。


「あそこの棚にあるボールを取って下さい」

 一際高い棚に置いてあるボールを差す。


 それは以前、セリスが取ろうとして、台が必要だった棚である。


「こんなことしたって無駄です。わたしはチビで、脂肪の塊なんですよ」

 諦観の言葉が、セリスから漏れる。


 だが、ライカは確信があった。今なら。


「脂肪の塊なもんですか。棚に手を伸ばしてみれば分かります」


 半信半疑で、セリスは背筋を伸ばす。


「あれ、取れた」

 あっけなく、ボールが手に吸い込まれた。落とさないように、セリスはボールをしっかりと掴む。

「取れた。取れましたよ、わたし」

 セリスは喜んでいた。いくら背伸びしても取れなかったのに。


「これでわかったでしょう。セリスさんは成長期だったんです。目測で、四センチは伸びていますね」


「せいちょう、き?」


「セリスさんの背が伸びたんですよ。だって、もう一五歳じゃないですか。成長だってしますよ」


 女性といえど、背は高くなるはずである。


「わたしは、一キロもやせていないんですよ?」

「いえ。あなたは約三キロやせています」


 信じられないという風に、セリスは放心していた。

「嘘でしょ? だって体重計は、既定値に到達しなかったじゃないですか!」


「それは、二ヶ月前のあなたを測定したときに出た既定値です」


 あの武具の既定値は、セリスの成長に応じて変動する。

 二ヶ月前の値に即する必要はない。


「身体が大きくなったからです。プラスマイナスでゼロになってしまっただけですよ」


 聞けば、身長が一センチ伸びると、男性だと八〇〇グラム、女性だと約七〇〇グラム体重が増えるという。


 セリスの場合、身長が四センチ増えていた。その体重が、根こそぎ減ったのだ。


「もし、セリスさんが何もトレーニングをしなければ、今より三キロは太っていた計算になります」


「それじゃあ」



「おめでとうございます。目標達成しました!」

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