停滞期

 さらに一週間が経ち、ダイエット開始から一ヶ月が経過した。


 運命の体重測定。果たして。


 セリスが体重計にそっと足を置く。


 カタン、という音がして、針が傾いた。


 全員が、固唾を飲んで見守る。


 全体重を乗せたセリスの表情が、ほんのり和らぐ。


「やった。やりました」


 二キロ減。期待通りの数値だ。セリスは順調に痩せている。目標の五キロまでは、かなり余裕がありそうだ。


 テトの方は、三キロも落ちていた。うれしかったのか、力こぶを見せる。


 だが、安心はできない。口臭のチェックも忘れずに。


「……OKです。問題ありません」


 セリスから、危険なニオイはもう感じない。


 テトも同様だった。


 これで、安心して社交界に行けるだろう。


「これなら、期日以内に五キロ痩せられますね!」

「そうですね……」


 成功のムードの中、ただ一人、ライカだけが素直に喜べないでいた。


「どうしたのです? 浮かない顔をして」


 ライカは、ダイエットにおける最初の壁について、懸念していたのだ。



 ダイエットで本当に辛いのは、ここからである。




◇ * ◇ * ◇ * ◇





 体重が二キロほど落ちて一週間後、セリスの身体に異変が起こっていた。


 体重が減らなくなったのだ。


 ライカの不安は、的中したのである。


「また、落ちてない」

 今日も、セリスはマイナスへ動かない針を見つめながら、肩を落としていた。


 食べる量は落としている。けれど体重は落ちない。身体は軽くなっているのに。


 実際、セリスには何の落ち度もない。

 それはテトも同様だ。

 二人ともライカの特訓に耐え、我慢している。

 なのにやせない。


「停滞期ですね」


 これは、ダイエットにおいて必然的に起きる現象であり、避けられない道である。


「停滞期、ってよく聞く。停滞期の間は、体重が落ちぬと」


「どうして、ダイエットには停滞期があるんですか?」

 セリスの顔に、焦りの色が浮かぶ。


「身体がブレーキをかけてしまうんです。もうこれ以上やせさせないために」


 過度な減量は、命が掛かる。

 エネルギーも取り込まないといけない。

 ダイエット中は、体内が飢餓状態になっている。


 そのため、身体が勝手に制限をかけてしまうのだ。


「いつもの体型」を維持しようと。


 これはダイエットをするものの宿命といっていい。

 身体が警告しているのだから。



 ここで判断を誤ると、リバウンドという事態が待っている。



「ど、どうしましょう?」

「あまり考え過ぎると、くたびれてしまいます。今日は、ダイエットのことは考えないようにしましょう」


 なにせ、今夜は社交界だ。

 各国の代表や貴族が集まって行われる、立食パーティの日である。


「よかったわ。丁度ドレスがあって」


 セリスの母親によって、裾の長いチューブトップドレスが用意された。

 セクシーさとキュートさが同居した、セリスにしては大胆な衣装である。


 この日のために仕立てられたドレスは、調節が間に合った。


「これが着られるだけでも、いいじゃない。よく似合っているわぁ」


「本当ですか? ねえ、ライカさん。似合いますか?」


 真っ赤な花となったセリスが振り返り、ライカに視線を送ってくる。


 花が命を持ったのかと思った。

 これまで美しい花を、ライカは見たことがない。


「おきれいです。つい、見とれてしまいました」

 素直な感想を述べる。

 実際に美しくて、クラクラしそうになった。


 ウエストが相当細い。セリスが努力してきた証だ。

 このドレスは、勲章と言っていい。


「はわわ……」

 セリスが、頬に手を当てた。


「こっちも相当なモノよ。ご覧なさい」

 テトの方も、セリスと遜色ないほどの美しさである。


 紫を基調としたヒラヒラのドレスは、紫陽花がモチーフとなっているらしい。


「素晴らしいです。テトさんも、雰囲気が変わりましたね」


 やはり、彼女からは心の強さと育ちの良さが漂う。

 自身はひた隠しにしているようだが、隠蔽し切れていない。


「使用人の私などが、こんな豪華な衣装を」

「いいのですわ。セリスの分の予備を継ぎ接ぎしただけだから。それとも、一から作った方がよかったでしょうか?」


「とんでもありません。ありがたく着させていただきます」

 かしこまって、テトはセリスの母親に礼を言う。


「いいのですよ、趣味でやってるんですから。大袈裟ですわねぇ」

 さて、と、セリスの母親は、ライカの方を向く。


「あなたのドレスも作らないと」

「いえ、私は当日、倉庫番を」

「ぜ、是非いらして下さいっ。大切なお客人なのですから!」


 丁重に断ろうとした直前、セリスが身を乗り出して懇願してきた。

「当日は、ボディガードも必要ですから!」

 やけに食い気味で、セリスも母親の後押しをする。


「ほらほら。娘もああ言ってますから。ちょっと待ってて下さいね。パーティには間に合うようにするから」


 これは、断れる空気ではないか?


「ミニスカートがいいかしら?」


 さすがに、足が露出する衣装は遠慮した。


「ロングでお願いします。足が見えると……」




「足さばきが露見する」

 ライカの代わりに、テトが語る。



「テトさん、知っていたのですね?」


「うむ。ずっとライカ殿の動きを観察していた。あなたは常に腰布を巻いている。水着のときもパレオを付けていた。水に浸かるのに、だ。これは、足を隠すために行っていたのではないかと、推理してみた。違いましたかな?」


 すごい観察力だ。

 説明しようとしていたことを、すべて言い当ててしまうとは。


「お見事です、テトさん。雷漸拳は、動きを見切られると対策されてしまう。足元を隠すのは、ちゃんと理由があるのです」


 足さばきを隠す理由もある。だが、もっと重要な意味があった。


 雷漸拳は、体内の電気を集めて放つ。

 最も筋肉の太い足に布を巻き、摩擦によって静電気を起こしているのだ。

 そうやって微量の電気をためていき、プラーナで増幅させる。


 そこまでは、さすがに教えない。


「よく見ていますねー、テトさん。わたし、全然わかりませんでした」


「い、いえいえっ。当てずっぽうです」

 セリスから称賛を受けて、テトは謙遜する。


「じゃあ、ロングスカートで作ってみるわね。あなたがいつも着ている辛子色と同じ生地があるわ。すぐに済むから待ってて」


 使用人を呼び、セリスの母親は生地を持ってこさせた。


 花の刺繍まであって、ドレスになったらさぞ美しいだろう。

 被写体がライカでなければ。


「待ってください!」

「どうしたの、セリス?」

「わたしに、作らせて下さい」


 ドレスを脱いだセリスが、針と糸を持つ。生地に針を通していった。


 花嫁修業をしていたのは、本当らしい。あっという間に、衣装が完成した。


「これは……着物ですか?」

 出来上がったのは、辛子色の着物である。


「おそらく正確ではないと思うけれど、作ってみました」


「ありがとうございます。着てみますね」

 ライカは恐る恐る、袖を通す。どこまで器用なんだ? 


「い、いかがでしょう?」

 自分が着ても、旅館の中居にしかならないのでは。


「ステキです、ライカさん」

 辛子色の着物を着たライカを、セリスがうっとりした顔で絶賛した。



「これで誰も、あなたをボディガードだなんて思わないわ」

「ありがとうございます」


 いいカモフラージュになるだろう。靴もローヒールにしてもらえた。 


 セリスの母親の視線が、今度はドミニクもロックオンする。



 セリスの母親の視線が、今度はドミニクもロックオンする。



 視線を感じたドミニクは、あっさり首を振った。

「アタシはいいや。かたっ苦しいのは好きじゃない。食べ物だけなら欲しいけどな」

 もとより外の警護につくそうで、ドミニクは会場内に入らない。


 ライカも、金持ちの視線というのは苦手だ。

 決して嫌悪感まで抱いているワケではない。

 だが、修行僧に対する偏見があるのではないか、なんてことばかり考えてしまう。


「素敵な殿方も一杯いらっしゃるのよ」


 セリスの母は言うが、ドミニクは興味を示さない。


「騎士様なら、社交界は日常的なのでは?」


 まして美闘士とあれば、引っ張りだこだろう。


「自分より弱い男と話すなんて、退屈以外の何物でもないさ。金だけ持っていてもね」

 正直な感想を、ドニミクは述べる。


「わかったわ。じゃあ、ケーキとか取っておきますわ。楽しみにしていてね」


「そりゃあいいねっ!」と手を挙げながら、ドミニクがはしゃぐ。


 自分も、正直に言うと食べ物だけ貰える方がいいと思っている。

 だが、護衛まで依頼されたならば行かざるを得ない。

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