プチ断食
温泉を改造している間、雷漸拳の特訓も欠かさない。
家の掃除仕事が使用人たちに戻った分、鍛錬に磨きをかける。
今夜の献立は、固めに焼いた少量の雑穀パンと、トウモロコシをたっぷり使ったコーンスープ、海藻サラダ、メインは豚肉のステーキだ。糖質はトウモロコシで代用し、タンパク質メインの食事で固めている。
食事を始めると、テトがスープを全員によそう。
最後に、ライカがオタマを手にして、テトの分を注ぐ。
食べる時間となると、セリスはトウモロコシを口いっぱいに含んで、シャクシャクと咀嚼し始める。多少行儀が悪いが、お腹が空いているのだろう。
今回は、トウモロコシが安く買えた。
そのため、かなり多めに使っている。
おかげで水分が少なく、ドロドロだ。
わざととろみを付けて、腹に溜まりやすくしている。
幸せそうなセリスの顔を見ていると、ライカも咎める気にはなれなかった。
「ところでライカ様、質問が」
テトはコーンスープを口に付けてから木の匙を置く。
「なんでしょう?」
「東洋には、断食という修行法があると言うが、ダイエットには効果があるのか?」
それは、いずれ質問されると思っていた。
「指導員のいない断食は、全く効果はありません。むしろ、逆効果です」
ライカは、きっぱりと言い切った。
「なぜ、断言できる?」
「健康法というより、『精神修行』の側面が強いからです」
本来、断食は『煩悩のひとつである食欲を断つこと』が目的だ。
つまり、初めから自分を律することが出来る者だけに許された修行法なのである。
ダイエットに挑む人というのは、たいてい心が弱く、ついつい食べすぎてしまう人だ。
そんな人々が下手にダイエットのためだと断食を始めるようものなら、速攻で心が折れてしまう。
「短時間で断食をする方法なら、あります。ですが、それは食事法をリセットして自分を見直すことが目的であって、ダイエットとは少し違いますね。外見を変えるのではなく、精神面を整える側面が強いと思って下さい」
自力で食欲をリセットして、体内の代謝能力を絶てる人など、数は少ない。
そんな人のマネなどをすれば、挫折するのは目に見えている。
マネなどすべきではない。むしろ命に関わり、危険だ。
「断食。非常に奥が深い」
危険だと分かったせいか、テトは噛みしめるようにコーンスープへ口を付ける。
「安易にマネしたら、いけないんですね」
「はい。ただし『安易には』です」
セリスは空になったスープ皿に、雑穀パンをこすり付けて食べる。
「断食できる人は、元々精神的に我慢強いんです。修行ですからね。そんな人と比較するのではなく、自分のペースで減量することが大切なんです」
また、無理をする必要はない、と付け加えておく。
「あいわかった。肝に銘じておく」
どうやら、やってみようと思っていたらしい。
「わかりやすい解説でした。ありがとうございます」
「一度やってみますか? 体験したほうが、危険度がわかると思うので」
「興味深いです。わたしにできるでしょうか?」
とりあえず、セリスは三個目のパンに手を伸ばさないところから始めるべきだろう。
◇ * ◇ * ◇ * ◇
聖女領にある空き家を借りて、ライカは断食の訓練場とした。
お屋敷だと、どうしても料理の匂いが漂ってきてしまう。
離れでも、使用人たちの食事が目に入る。
セリスの両親に頼んで、手頃な家を都合してもらった。
ライカが掃除をして、不要な家具を取っ払ってある。
ゴザを敷いた床に、セリスとテトが禅を組んでいた。
テトは、大地と一体化したように静まり返っている。
一方セリスの方は、集中できていないようだ。
「お腹が空きました」
くたびれた表情で、セリスは腹をおさえる。
「これでもいわゆる『プチ断食』ですよ」
精神統一として行う断食は、もっと本格的だ。数日は山にこもる。
かくいうライカも、精神と対話する際に何度か断食をした。
それはあくまでも神や仏に一歩でも近づく為の儀式である。
決して、美容や健康のためなどに行わない。
「大丈夫ですか?」
言葉の代わりに、腹の虫が返答した。
二人は今日、水粥しか食べていない。味付けも、塩がひとつまみだけ。
「では、気分転換でもしましょうか?」
ライカは、二人を散歩へ連れて行く。
草原を歩くライカに、セリスがトボトボとついてきた。
テトは試練と思っているのか、あまり表情に苦労が見えない。
「断食は、食の断捨離と思ってください」
「食の、断捨離?」
「断食は、食べすぎている人にとっては断捨離に近いのです」
食べすぎの人は、特別にどうしても食べたいものなんてない。
腹を満たしてくれるなら、どれでも構わないのだ。
自分の心を満たしてくれるならば。
「衝動買いならぬ、『衝動食い』です。いわゆる『ドカ食い』ですね。誘惑に負けて、食欲が暴走しているのです」
最も危険なのは、食べることに罪悪感を持つこと。
食事を抑え込むと、満足感を得られなくなる。
そのストレスこそが、暴飲暴食に繋がってしまうのだ。
「そんな症状があるんですね?」
「ドカ食いはやがて過食になり、食べることへの感情はもっと悪くなっていきます。最悪、拒食症へと発展するでしょう」
悪いのは、許容量をオーバーすること。
生命活動に食事は必須だ。
その生理的に当たり前なことを罪と考えてしまうと、脳は暴走する。
「断食は、そんな自分を見つめ直すには最適でしょう」
腹も頭も空にして、極限まで自身と対話するのだ。
本当に欲しているものは何なのかを、ひたすら己に問いかける。
そうしていくうちに、答えが見つかるのだ。
「弱い自分を克服するんですね?」
そうセリスに問いかけられ、ライカは足を止めた。
振り返って、大きく首を振る。
「違います。弱い自分を受け入れるんです」
セリスは、不思議そうな顔になった。
「よ、弱い自分を認めたら、食べてしまうんじゃ?」
「そんなことは、ありません」
食事に罪悪感を持つと、余計に食べることで満足感を得ようとする。
生命活動に、食事は必須だ。調節すればいいだけ。
「要は『足るを知る』ですよ。他のことで満足感を得ようと、自分を律するわけです」
「なるほどぉ」
「そうすれば、食べたときに本当の意味で『おいしい』と思えるようになるでしょう。お腹も心も満たす一歩、それが断食です」
再び前を向き、ライカは歩を進める。
「自分に語りかけてください。今一番食べたいものを思い浮かべるのもいいでしょう」
「えっと。これは、食べられますか?」
セリスは、木に成っている実を指差した。
赤々とした実が、熟している。
「これですね。お待ちを」
ライカは飛び上がって、実をもぐ。
「これは大丈夫です。食べてみましょうか」
半分に切って、セリスとテトに分ける。
「いいんですか?」
「どうぞ。食べたくなったら、自分でもぐので」
「では。えいっ」
セリスは、自分の分を更に等分した。一つをライカに差し出す。
「みんなで食べましょう」
「ありがとうございます」
「いいえ。『足るを知る』です」
セリスからの施しを、ライカはありがたくちょうだいした。
「いただきます」
桃に近い果実は、セリスの優しさによってより甘みを増している。
「すごくおいしいです。セリスさん、ありがとうございます」
二人のやり取りに触発されたのか、テトが手持ち無沙汰になっていた。
四分の一しか、口をつけていない。
「あの、これも皆さんでシェアを」
「いただけるのでしたら、ぜひ」
ライカがお願いすると、四分の一をさらに三等分する。
「これでいかがですかな?」
「お見事です。ちょうだいしますね」
ついつい食べすぎてしまいそうだったので、この一口で断食を終えた。
「いい経験になりました。わたし、心が満たされた気がします」
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