体重測定、一回目
雷漸拳の修行を開始してから、一週間が過ぎようとしている。
いよいよ第一回目の体重測定の日がやってきた。
「準備はよろしいですか、セリス嬢」
ライカに問われ、セリスは決意を固める。
体操着姿で、体重計の前へ。
「では、お願いします」
恐る恐る、セリスは体重計に乗る。
コトリと音を立て、秤がわずかに傾く。
「そんな……」
だが、針は五〇〇グラム減の段階で止まった。
「むう」
テトに到っては、わずかに三〇〇グラムしか減っていない。
「全然、減ってない」
「いや、これでいいんですよ」
悲観するセリスに対し、ライカが笑顔を浮かべる。
「どういうことですか? 体重はほとんど落ちてませんよ。これじゃあ期日に間に合わない」
今までやってきたことと言えば、家事と買い物ばかりだ。
雷漸拳の基礎といっても、ストレッチしか教わっていない。
いつになれば、本格的なダイエットを教えてもらえるのか。
「以前にも話しました。この一週間は、ダイエットをする際に土台を作る期間だと」
無理をすれば、短時間で体重は減る。
だが、それは筋肉がやせてしまっただけ。
筋肉は、脂肪燃焼に必要な要素である。
それがやせてしまうのは、代謝能力が落ちてしまい、やせにくい身体にもなってしまう。
そのように、セリスは説明を受けていた。
とはいえ、成果なんて全く出ていない。
「一週間で、目に見える成果なんて出ません。これでも日程が少ない方なんですよ。本当は、二週間以上は費やすのですから」
ダイエットは根気がいる作業だ。
そのためには、やせやすい体質にすることが必要だと、ライカは言う。
「これからは、もう少し楽にやせられると思います」
「でも、結果が出ていないじゃないですか!」
思わず、セリスは感情を爆発させてしまった。
「雷漸拳の方だって、まだ基礎的なところばかりで、ちっとも進んでないですよ!」
度々セリスがバテてしまうためだ。
体力がないセリスは、すぐに休憩を取ってしまう。
これではいつになっても、次のステップに行けない。
焦っていた。
ライカを信じていないわけではない。
自分がやせられるのかが、信じられないのだ。
その恐怖のため、ライカに不安をぶつけてしまう。
ライカを責めたところで、やせられるわけではないのに。
精神的に追い詰められ、押しつぶされそうだ。
「家事などの雑用が、役に立っていないとでも?」
ライカの眼差しは、真剣だった。
「そうは言っていません。けど、このままじゃわたし、何もできないまま、魔王の侵攻を許してしまいそうで」
今まで言わないでおこうとした弱音が、セリスの口を突いて出てくる。
ライカが腰を落とし、拳を差し出してきた。
「いいでしょう。教えたことを、実践してみて下さい」
両手を上げながら、ライカが身構える。
「今からゆっくりと、拳を打ち込みます。セリスさんはボクの言うとおり動いて下さいね」
そう言われて、セリスは少し恐れを抱いた。
雷漸拳を受けろというのだ。
「大丈夫。怖がらないで。あなたならきっと、ボクの拳をガードできます」
そんなこと、できるわけない。
言おうとしたが、先にライカの右拳が、スローモーションのような動きで飛んできた。
セリスの顔面を捉えている。ゆっくりだが、確実に当てる気だ。
「窓を拭いて」
ライカの言葉が耳に入った途端、身体が勝手に動いた。
手を時計回りに動かし、窓を拭くように動かす。
その手が、ライカの拳を受け流した。
「いいですよ。今度は逆に乾拭きを」
左の拳が、ライカから放たれる。ゆっくりと。
同じように、左のスローパンチも弾く。
セリスは、自分が何をしたのか反芻することもできない。
ただ呆然と立ち尽くすのみ。
「今、わたし、何を?」
だが、思考停止したセリスを、ライカは待ってはくれなかった。
またゆっくりとしたアッパーが、セリスの顎めがけて打ち込まれる。
「もう一度。窓を拭く」
反時計回りに、手を動かした。アッパーも捌く。
また、受け流せた。ゆっくりとはいえ、自分はライカの拳を止めたのだ。
「乾拭き」
ゆっくりと打ち込まれた左のボディブローを、セリスは受け止めた。
「これが、回し受けです。雷漸拳の基礎です」
「回し、受け」
「次はもっと早くします。窓を」
何を思ったのか、ライカがセリスの顔に向けて、突きを繰り出す。
「ひっ」と悲鳴を上げて、思わず身を引っ込めてしまった。
「逃げないで! 窓を拭く!」
ライカの檄が飛んだ。
細いヒザが、セリスのボディに向かって来る。
今度は、スローじゃない!
「えいっ」と、大きく窓を拭く動作で、ヒザを払った。
今の感触は何だ? 自分がやったのか。
あんな早い突きを、流したというのか?
「ボーっとしない。もう一度。窓を拭きます」
反対の腕から、パンチが飛んでくる。
また窓を拭く動作をして、拳を防ぐ。
「次は、手すりです。磨いて」と、ライカが再びヒザ蹴りを見舞う。
腕を地面と水平にして動かす。ヒザを受け止めた。
続いて棒を持たされてモップがけ。これで相手の脚を払う訓練。
「次は指示を出しません。行きますよ!」
ランダムに、拳やヒザ蹴りが飛んできた。
窓を拭き、手すりを磨き、モップをかける。
セリスの動作が、ライカの攻撃をことごとく打ち消していく。
「最後は雑巾掛け! やあっと、勢いよく行きましょう!」
咄嗟に、セリスは雑巾掛けのように手を交差させた。
身をかがめて、両手を一気に突き出す。
「やあ!」と掛け声と共に、ライカのみぞおちに、拳を叩き込んだ。
水の抵抗を受け止めるかのように。
ライカがルドン卿に食らわせた技である。
それを、自分がやってのけた。
「これが、
ライカは片手でやってのけたが、自分は両手で打つのがが関の山である。
「ま、まあ。そんなところです。全身のプラーナを拳に集中させねばなりませんが」
突きの勢いを打ち消すように、ライカの身体が離れていく。
「ありがとうございました」
ライカとセリスが同時に頭を下げた。
「では、テトさんもやってみましょう」
続けて、テトのレクチャーも行う。
対するテトは、セリスよりコンパクトな動きでライカの攻撃を退けている。
自分より戦闘慣れしている感じだ。
バチン、とヒザ蹴りを受け流す綺麗な音が響いた。
「
見よう見まねの、電光パンチが飛ぶ。
すごい。一度見ただけで、対応できるなんて。
「お見事。プラーナの流れもきれいでした。あとは、威力だけかと」
ライカからも、称賛の声が上がった。
「ありがとうございます」と、テトが礼をして、ライカが合わせる。
「買い物は、キャスレイエットの土地勘を得る理由もありました。が、自分たちが食べるものが何なのか、確認する大切な訓練です。ちゃんと役に立っていますよ」
テトに向かって、ライカは言う。
また、歩くことで足腰を鍛えて、雷漸拳に必要な姿勢を正す効果があった。
何もかも、セリスがやせるために必要なステップでもあったのだ、と。
「成果は出ています。二人とも、屋敷内の掃除も二時間以上短縮されています」
「え、そうなんですか?」
たしかに、休憩する時間の方が長いときがあった気がするが。
「お気づきではなかったですか。買い物の往復時間も短くなっていたんですよ?」
太陽の沈みが遅いなと思っていたが、季節が変わったせいかと思っていた。
では、と前置きして、ライカは言葉を続ける。
「見事です。これで、雷漸拳の基本は、マスターできたでしょう」
「本当ですか?」
これは、一歩前進だ。自覚はなかったが。
「テトさん、あなたも完璧です」
「どうも」と、テトは短く礼をする。
「おふたりとも、お疲れさまでした。明日からは、次のステップに進みましょう」
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