ルドン教官、来たる!

 雷漸拳らいぜんけんがどのような物かをセリスたちに見せるときは、唐突にやって来た。


 セリスとテトには、使用人用の衣装があてがわれている。

「ぶるまあが汚れる」と、セリスの母親が気を回したのだ。

 軽い生地で作られていて、動きやすいという。


「かわいいです、お母様」


 フリル付きの衣装を着て、セリスが嬉しそうに回る。

 使用人の服だが、セリスに気にする素振りはない。あまり抵抗がないようだ。


「素晴らしい。一つ一つのパーツがこんなにも丁寧に。奥様、ありがとうございます」

 テトはリアクションをしないと思っていた。

 実際に使用人なので着慣れているから。

 しかし、テトからは歓喜のため息が漏れる。


「いいのよ、趣味でやってるんだから」


 テトの使用人服は、セリスの母がテトに合わせて特別に作ったものだ。

 デザインがセリスとお揃いで、色違いとなっている。


「では、お二人にはお屋敷の雑巾掛けをお願いします」


 屋敷の掃除をセリスたちに任せ、ライカは庭の草むしりに精を出す。

 今日は日差しが強い。女性二人を外へ出すのは気が引けた。


 今頃、セリスとテトは、床の雑巾掛けを行っているはずである。


「ごめんくだされ!」


 庭の草を半分くらい処理していたところ、大きな人影が屋敷の前に現れた。

 のっしのっしと歩いてきて、扉の前まで来る。見た目は、騎士風の老人だ。

 年の割に背が高く、装備は軽装の金属鎧。背中には細長い大剣を背負っている。


 彼は後ろに、数名の配下を引き連れていた。

 全員、強固な装甲に身を固めている。


 この風貌と雰囲気、どこかで……。

 つい最近、かような出で立ちに似た人物を相手にしたような。


「ジェレミー・ルドン、参上いたしました! 失礼いたす!」

 威厳のある声で、騎士が屋敷の扉をノックする。


 セリスの父親が応対し、挨拶を交わす。


「これはこれは、ルドン卿。ご用件は?」

「雷漸拳の使い手がいると聞き」

「それならボクのことです。騎士どの」


 手の土を払い、ライカは老騎士の隣に立つ。


「雷漸拳の使い手というのは、本当に其方で?」

「ライカ・ゲンヤと言います。今は、雷漸拳のマスターです。雷漸拳をご存じで?」


「ワシの名はジェレミー・ルドンと申す。かつて、セリス嬢に剣術を教えていた。お嬢様に剣術が全く身につかんので、お役御免となったが」

 騎士ルドンは、ライカを見て不思議そうな顔をする。


「其方たちは一〇年ほど前、この地で療養をしていたのは知っている。だが、お主のことは知らん」

 雷漸拳ではなく、ライカを不審がっているようだ。


「一応、当時はボクもお手伝いとして師範に付き従っていたのですが」


 弁解しても、ルドン卿は首を振るばかり。

 ライカの存在は覚えられていないらしい。


「セリス嬢の特訓のために、雷漸拳の使い手がこの地にやって来ると聞き、てっきり師範の方が来ると思っていた。まさか、このような少女が来ようとは」


 なるほど、舐められたのではないか、と思われたのか。


「先に言うが、よそ者を排除しようという陰湿な嫌がらせではない。気を悪くせんでくれ」


 ルドン卿が付け加えた。実際、卿に薄暗い感情はなさそうだ。

 彼のプラーナがそう語っている。


「ボクが力不足なのではないか、と。ご不安なのでしたら、技を直接お見せするしか」


「是非、お手合わせ願いたい」

 ライカが言うと、ルドン騎士は頭を下げた。


「ちなみに、雷漸拳とは一度、手合わせをしている。なかなか鋭い体捌きで難儀した。ワシを失望させんで下されよ」


 庭を離れ、組み手をしやすい場所へと移動する。


「あの、何事でしょう?」

「あ、ルドン卿!」


 テトに続き、セリスが屋敷から出てきた。


「お主、聖女の血筋に部屋の掃除をさせているのか?」

「はい。基礎的な体力をつけるためです」

「なんと罰当たりな!」


 信じられない、とでも言いたそうにルドン卿は顔を渋くする。


「使用人の真似事をさせるなど。しかも,使用人の格好までさせて。似合っておる……いやけしからん!」


 あの衣装は奥様が、と言おうとした。が、名誉のために黙っておく。


「お二方は、何をしようとしているので?」

 完全部外者のテトが、尋ねてくる。


「雷漸拳を見せろと。師範と比べて遜色ないかどうか」


「ほほう。それはそれは」と、テトが顎に手を当ててニヤリと笑う。


 ライカは、テトの表情がイタズラっ子のような悪い顔になったのを見逃さなかった。


 だがテトはライカの視線を捉えてか、真顔に戻る。


「待って下さい。ルドン卿が勝ったら、ライカさんに出て行けなんて言うつもりじゃあ……」

「左様で。お主が未熟だった場合は、セリス嬢のお世話は師範と代わっていただく。師範を呼んできなされ」


 となれば、これは負けられない。

 けれど、これは二人に雷漸拳を見せるいいチャンスだ。


「あいにく師範は、さらなる武芸を学ぶとボクを置いていきました。どこにいるかは、ボクにもわかりかねます」


「ならば、地の果てまでも追いなされ」

 ルドン卿に対して身体を横に構え、肩幅まで足を広げる。


 なぜか、ルドン卿は大剣を外す。


「剣は、使わないので?」

「丸腰の相手に振るう武器は、持ち合わせておらぬ」

 ルドン卿は鎧まで解き、上半身裸に。

 引き締まった細身で筋肉質な体格は、老人とはとても思えない。

 背筋もしっかりしている。


 剣や鎧は、配下の騎士たちが持ってどかす。


「それに、ワシは元々、こっちの出よ」

 ジャブの後で腕を曲げ、ルドン卿は力こぶを見せた。


 かなりの使い手のようだ。師範と組み合っただけはある。


 何が始まったのかと、屋敷にいる人々だけでなく、隣近所までがライカたちを取り囲む。

 いつの間にか、黒山の人だかりができていた。




「こいつは。かような若造に負けたら、騎士団の名折れとなる。情けないのう」

 ルドンは苦笑いを浮かべる。


「いいえ、あなたは騎士団をまとめる立派なお方です。その力はみんな知っていますよ」


「だと、ええがのう」

 言い終わった直後、ズイと老人が前に出た。アゴを狙っての右爪先蹴り。


 ブン、と左腕を回し、キックを弾き飛ばす。

 続けざまに、次の一手が来た。左のストレートパンチが飛んでくる。

 右手を開いた状態で突き出して、パンチを受け止めた。


「攻めぬのか?」

「雷漸拳は防御の型です。受けが七割、攻めは残り三割です」


 止められなかったのではない。相手の攻撃を、受けておきたかったのだ。

 雷漸拳とは、主にそういう技だから。


「バークレー」という姓も、気になっていた。確か……。


「心得ておる。まさか、これで仕留める気はないぞよ」

 ルドン卿の筋肉がしなる。刃のような左チョップが、ライカの頬をかすめた。

 指で頬をなでると、わずかに血がついている。


「かすっただけで出血を!」

「ライカさん!」


 セリスとテトが、目を丸くしていた。ルドンの攻撃が、見えなかったのだろう。


「お見事なり。だが、これはどうかな?」

 死角から、右ハイキックが飛んできた。狙うは、ライカのアゴだ。

 蹴り足を受け止め、カウンターで威嚇のサマーソルトを。


「ほほう!」


 体をねじって、ルドン卿はこちらの動きをかわす。


 老体だと侮った。なんという反応速度と、身体能力か。



「楽しゅうなってきたのう! じゃが、もっと本気を出してもらわんとな!」

 ルドンの動きが、さらに速度をあげた。


 そこへ、乱入者が。

「やめろ、じっちゃん!」


 大剣を担いだ女性騎士が、二人の間に割って入ってくる。


「そいつはヤマンドの武術大会で、あたしを打ち負かしたんだ!」


 女性の言葉で思い出した。


 ヤマンド武術大会決勝で戦った美闘士が、「ルドン」を名乗っていたと。

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