第3話 いつか一人になる少女。

 握手を交わし、全員分の机を運び終わった後に、

 純粋な疑問を投げかけた。


「奇病って、何?」

キィっと年季が入った掃除ロッカーを開け、ほうきを片付けながら尋ねる。

「あー!私の奇病のことか、ちょっと待ってて!」

 と、彼女は自分の机に向かって行く。


 キーホルダーが千切れ、薄汚れた鞄を漁り、ボロボロになったファイルを取り出す。

 取り出したプリントはそれらとは対照的だった。

 

 バタンッとロッカーの戸を閉める。

 …別に、何かにイラついたわけではない。


 あ!と彼女が大声を上げる。

 …吃驚した…。

 どうしたんだ?と聞く前に

「出血大サービスで私が読んであげようか?」

「…細かな文字を読むのは面倒くさいから、そうしてもらえるとありがたい。」

 …どうでも良い事だった。


「えっと…診断書、四季さくら様。生年月日20xx年、4月13日生、性別女、年齢17才」

「…四季さん、別にそこは飛ばしてもいいんじゃないか?」

「読んでって言ったのそっちじゃん!まぁいいよ、進めるね。」

 …先に提案したのはそっちじゃないのか?


「病名、忘人症ぼうじんしょう。症状、患者が見る世界から人間が消える(薄まる)。特記事項、奇病、要観察。」


「…人が、消える…?」

 頭の中で処理が出来ない。


 考え込んでいるとカツカツと黒板の方から音がした。

 顔を上げると彼女がチョークを使って何かを書いていた。

         【忘人症】


「漢字はこう書くの。あとは…どう説明しよっかな…」

 そう言って彼女は一人で悩み始める。

 それさえも絵画のようで、美しい。

 俺にもっと芸術性があれば伝わるのかも知れないが…。


「人が消えるって、どういうことなんだ?」

 単純な疑問だった。

 人がいない世界は分からない。

 それに、寂しい…のだろう。彼女のような人にとっては、きっと。

「んー、今のところ"消える"って言うよりかは、

 "薄まっていく"があってるかなー。」

「薄まっていく…?こう、絵の具を水で薄めまくった感じ、なのか…?」

「んー。合ってるって言えば合ってるかな、でも

こう、幽霊…?みたいな、透けてる感じがする。」


 幽霊…実際に見たことはないが、心霊番組でやっているものは大抵薄くて透けている。

 言い表せないが、なんとなくでの感覚は掴めた。


「奇病…神使様と言うとやはり身体面の異常を考えるが…四季さんの場合は脳なのか?もしくは目…?いや、目も脳の内か…。精神的なものは今まで発見されていないしな…。」

「あはは、どっちにも該当しないって。春瀬くん、お医者さんみたいなこと言うのね。」


 お腹を抱えて笑う彼女を黙って見つめる。

 余命宣告もされたのに…、怖くないのか?


「その、今はどう見えているんだ?」

「今は、私自身との関わりがない人は薄く見えるな。薄く、というより薄っすらかなぁ。」

 関わりがない人…ならば俺はとっくに見えてないのでは?

「それなら、どうして俺が見えるんだ?」

「おー!言われてみれば、私たち話した事ないね!」

 握手しよ握手!と手を差し出してくる。

 陽キャはこんな感じなのか…?

 一応手を握り返しとく、さっきもした気がするな。

「あれ、さっきもしたね〜」

 …記憶力には問題はなさそうだ。


「そうだな。…その場合、"関わりがない人"というよりは"記憶に残っていない人"が合っているんじゃないか?」

「記憶に残っていない人…?」

「人間の記憶力は結構弱い…短いんだ。20分後には4割、1時間後には6割…そして1日後には7割を忘れている。これは、『エビングハウスの忘却曲線』と呼ばれていて、心理学者のヘルマン・エビングハウスによって証明された人間の脳の忘れるしくみなんだ。ヘルマン・エビングハウスは初めて学習曲線に言及した人物で…。あ、話が逸れたな…すまない。」

 気が付いたらペラペラと話してしまっていた。

 流石に気持ち悪かっただろう。


「え?春瀬くんの話、私が思いつかない事ばっかりだから面白いよ!!」

 他の人なら信じられないが、終始ニコニコしていた彼女が言うのなら、きっとそうなのだろう。


 …だが、だからといって信用してはいけない。


 ギュッと口を結ぶ。

 警戒心に似た何かを悟られないよう口を開く。

 今、この瞬間、何かに気がついたように演じろ。


 いや、それなら、と質問を投げかけた。

「余命宣告はどうやって計算したんだ?…というより、人がいなくなる…忘れるのなら身体面に影響は出ないのでは?」

「確か、私の症状の進行度と神使様の平均余命から。神使様の中では早めだよね。身体面…か、症状が重くなっていくたびにこう、気力というか、精力が無くなっていくらしいよ。いっぱい検査して分かったんだけどね…まだ実感は無いかな。」


 そう言って彼女は口元だけで微笑む。

 綺麗なのに下手くそな笑顔だ。

 嘘をつくのが苦手なんだろう。

 俺と違って。


「…怖く、ないのか?」

「んー。怖いかどうか、って言われたら…やっぱり怖いかなぁ。だから春瀬くんに話しかけてみたの。」

 憂いを含んだ瞳で彼女は微笑んだ。

 泣きそうな、と言った方が良いのかもしれない笑みだった。


 俺に希望を持って欲しくなかった。

 クラスメイトAでよかった。

 一刻も早く、純粋な瞳で言う彼女から目を逸らしたかった。


「やっぱり、思った通りの人だったよ。」

「…そりゃあそうだろ。幻滅したろ?」

 自虐的に言ったのに、彼女は目を丸くして

「え?そんなわけないじゃない。春瀬くんは、私が憧れていたはるくん、そのままだったよ。」


 “そのまま”…か。


『悠くんはそのまんまが、いっちばん!かっこいいよ!!』


『昔のお前、そのままだったら…絶対…絶対に!!そんなこと言わなかった…!なんで、なんで…!』


 ザーザーとノイズか雨音か分からない音が響く。


 あぁ、そっか、


「そっか、ならよかった。」

 打ち明ける彼女に、偽りの仮面で笑っている自分がいる。

 彼女のせいではないのに、何故か絶望してしまっている最低な自分が居る。


 それでも、彼女は憧れていたのだろうか?

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