28話



「……へえ。どうしてかな?」


 損をしたのは俺である。


 そう告げた瞬間、心なしか教師の顔から眠気が失せたような気がした。


 それでも微睡む瞳から、微かに覗く森秋先生の眼光を受け俺は続ける。


「五条に頼んで証言者の一人……唯一部室を所有することになった新規部活の部長である鈴木に一つ質問をしました。君はどうやって部室を手に入れたのか? と。回答はこうです。……新部活立上げで悩んでいた時、森秋先生からアドバイスを貰った、って。俺が必死に補習を受けていたゴールデンウィークの最中にね」


「そんなこともあったかな。彼が活動しているところを見かけてね。申請書を出して認可されれば部室を貰えるかもよ~、って教えてあげたんだよ」


「元々空きがないってことは立ち上げ時に聞いていたらしいので、彼は諦めつつ駄目元で申請書を出したそうです。……そしてなんと駄目元は受け入れられた。驚きですね」


「驚きだね。やっぱ人間諦めちゃ駄目だ。やれることはやってみなきゃ」


「でもこれ、変な話じゃないですか? 部室申請の締め切りはゴールデンウィークが始まる前です。本来なら受理されるはずないんですよ」


「そこはほら、私は教師だからね。悩める生徒のためにちょっとぐらいは頑張ったりするよ」


「……その頑張りのせいで、俺は部室を取り上げられたんですが?」


「そこはほら、私は教師だからね。悩める生徒と無気力な生徒なら前者の方を応援するよ」


「……取り敢えずそこは横に置いておきましょう。俺だって未来ある若者が使ってくれるなら文句をぼやきつつ譲りますし。……ですがまあ、ここは言い方を変えましょう。訂正します。奪われたのは文芸部じゃありません」


「?」


です。真っすぐ下。事件現場の階下にある部屋が俺の根城でしたよね」


「……そうだったね」


 校内の概要図を脳内から引っ張り出す。三階にあるのは風紀委員室。二階にあるのは新聞部。


 そして一階にあるのは俺がいた旧文芸部部室だ。


「共犯者にとって俺は非常に邪魔な存在だった。大した活動をすることなく、放課後だらだらと惰性的に部活へ顔を出す。この部屋で待機したい共犯者からすれば邪魔でしょう。そして必要だった。第二証言者・鈴木が風紀委員室の構造を知っていることが必要だった。そうでなければ今回の証言トリックは成立することがなかった。そして新たな所有者となった鈴木も、重要な証言者として尋問を受けることになる。……そしてなにより、そんな奇妙なトリックがなければ名探偵が出動することもなかった」


 ここまで言って、俺は寒気を感じた。


 果たして一体この人物はどこからどこまでを想定してたのだろうか。


「……これをどこから想定していたのか。正直アドリブで計画を変更していったと言われる方が余程信憑性が高く思えますが、どうなんでしょうね。どちらにせよ結果としてあそこの部屋はあの時間空白地点だった。共犯者は悠々とその時が来るまで待っていたことでしょう」


 段々と弁舌が乗って来たような気がするのは勘違いだろうか。


 何を話そうと決めていたわけじゃない。しかし口にした言葉を土台にまた新たな発想が生まれ、それが着実に正解へと向かっているのを、俺は自覚する。


 これがホム子の言う論理の構築なのだろうか。……悪い気はしない。


「俺を部室から追い出すという一手が、結果としてこの事件のトリックと、謎解きの時の空室状態、そして名探偵ホームズを動かした。これは偶然ですか?」


「…………」


「光石はこう証言しています。共犯者の正体は知らないと。彼女は手紙によって協力する意図を伝えられ、しかし代わりに交換条件を出されたそうです。もし全ての犯行がバレたなら盗み出した手帳を近くの窓から投げ出せと。光石は義理堅くその交換条件を実行し、手帳を投げた」


 手帳を投げるという指示は、しかし一切の具体性を伴っていない、


「……冷静に考えると意味が分からない指示です。近くの窓とは一体何処の部屋を想定しているのか? 犯行がバレなかったらどうなっていた? 普通ならここで俺の推理は破綻します。だってあの場所で謎解きが行われなければ、俺から住処を奪う行為そのものが無意味になってしまうのだから。そんなギャンブル性の高いことをする意味がない。……だけど貴方は違う」


 もし俺が何も知らずに同じ策を実行しようとなれば、逐一状況を把握してスタンバイをする、なんて非常に不格好な犯行計画になっていたことだろう。


 そして怪しい奴がいる、なんて言われて計画が露呈してしまうのが目に見える。

 


 だが違う。この人は違う。

 

 この教師ならば確信を持ってあそこで待っていられるのだ。


 何故なら知っているからだ。俺が知らなかった名探偵の存在を。


「ホム子を……シャーロック・ホームズという名探偵を良く知った貴方なら、この事件が暴かれることを確信出来た。あの現場にある証拠で光石が犯人であることの特定が可能だと確信していた。だからあんな曖昧な指示を出せた。違いますか?」


 これが俺の導き出した真相だ。


 俺の急な部室移動は今回の事件のための下準備だった。


 ホム子が解決するであろうことを予期していた先生は、誰もいない部室で待機。


 そして落とされた手帳を回収し、没収する。俺が三階から振って来たこと自体はきっと予想外だったことだろう。それで咄嗟に曲がり角で一人芝居をし、まるで共犯者とぶつかったような演出をした。


 ……吐き気を催すような茶番劇。それがこの事件だ。

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