27話 黒幕



 時が止まったような錯覚をした。


 言ってから数秒、風の音さえ聞こえず場には沈黙だけが流れた。それを嫌だなと思う直前に森秋先生は……


「……………………はて? なんでそこで私の名前が出てくるんだ?」


 眠そうな目をこすり、教師は首を傾げる。


 紛れもなく、何処からどう見ても俺の発言意図が理解出来ないような様子だった。


 とぼけているようには見えず、嘘をついている風じゃない。


 ……だからこそ恐ろしい。


 人とはここまで自然に虚構を演じられるのだろうか。あまりに自然で、間違っているのは俺のように思えてしまった。


 故に恐ろしい。


 正直に物を言っているようにしか見えない人を相手に、更に一歩踏み込むということがこれ程までに心細い行為だったとは。


 俺は心底から伝わる震えを必死に喉の手前で抑えて追及する。


「……無知を演じるのはズルなんじゃないんですか、先生」


「いやいや、本当になんでなのか分からないんだけど。……説明、してもらってもいいかな?」


 ああ、面倒臭い。本当に面倒臭い。


 経験上分かることがある。人間、手を出さない方が良い相手というのはいるのだ。


 敵わない相手。争うのが無駄な相手。そういった類だ。


 別に命に支障があるわけじゃない。社会的に致命傷を負うってわけじゃない。


 ただ何をやっても意味が無いので、手を出すと面倒臭いと思ってしまうわけだ。


 最たる例はホム子だろう。全てを見透かしたような全能感を常に放ち、喧嘩を売る気すら失せさせる別格さを感じさせる。


 オーラなんてスピリチュアルなものを信じる類の人間じゃないが、しかしそういった奴らを指すには一番近しい形容詞かもしれない。


 この教師はそれだ。あの名探偵と同じジャンルの人間だ。


 敵う気配を感じない。最初から同じステージに立っていない。


 そういった感情を抱かせる類の相手だ。


「…………」


 だがそれでも……。


 こうして喧嘩を売ろうって思ったのは名探偵の受け売りだろうか。


 正義感なんて奇麗なもんじゃない。道徳観なんて正しいものじゃない。


 ただの好奇心だ。猫すら殺す、純粋な知りたがりだ。


 きっと探偵なんて奴らこんな気持ちで動いているのだろう。こんな軽い気持ちで人の心をズカズカ踏み込むのだろう。


 そうならばきっとホム子の言う通りだ。探偵なんてものは人でなしでしかない。


 それを自覚して俺は思う。


 あいつの影響によって見つかった、俺自身の新たな一面を知る。


 ────どうやら俺は、知ったことを知らない振りすることが好みじゃないらしい。


「……結局、今回の事件で一番得をした人間と損をした人間が誰かって話なんですよ。なんか事件が起きたのなら、こっから考えるのが一番ですね」


「よく分からないけどそれは光石さんと五条さんなんじゃない? 犯人と被害者なんでしょ?」


「違います。今回で一番得をしたのは、多分先生なんじゃないんですか?」


「私が? どうし「手帳ですよ」……これ?」


 先生は机に置かれた朱色の手帳を手に取る。


「ホム子の話ですが、結構えぐい内容書いてあるそうですね。記録としてではなく、証拠に関することまで情報が載っているとか。しかも対象は生徒だけじゃなく教師、更には学校に関することまで。正直、こんなもの生徒の手にあっていいもんじゃないと俺ですら思いますよ」


「まあね。実際生徒とか学校とか、そういったものを越えた領域で彼女はその手帳の情報を集めていたし。……まあ、一生徒である前に大企業の令嬢様、と考えた方が納得出来る理由なのかな? うちはマンモス校だし利益も上げている。有名人も結構いる。そんな場所で集めた情報はきっとあの子の将来有効活用される……はずだったんだろうね」


 だった。過去形である以上もはやそれは叶わないという意味だ。


「だけどそれが私にどう関係するのかな? まさか私が真犯人だー! なんて言わないでよ? 先生驚いて泡吹いちゃう」


「まさか。手帳を盗み出したのは光石です。それは本人が認めているし、動機もある。証拠もある。今更そこは変わらない」


 そう。手帳を盗み出したのは光石だ。今更この事件には真犯人がいる、なんてのは有り得ない。だが……


「手帳を盗んだのは光石。だけど、手帳を手に入れたのは貴方ですよね? この事件で最終的に得をしたのは先生じゃないんですか?」


 俺の指摘に、森秋先生は「いやいや」と手を振った。


「まさかそんなことで私を黒幕だとでも言ってるのかい? 心外だねぇ~。だって私は最後の最後、偶然彼女の共犯者とぶつかっただけでそこまで完全に蚊帳の外でしょ?」


「蚊帳の外っていい言葉ですよね。言い方を変えれば高みの見物だ。蚊帳の内側で勝手に色々やっているのを眺めて、最後の最後に美味しい所を持っていく。楽なことこの上ない。俺としても好みのやり方です。……やられるのは性に合いませんが」


「……で、それだけなのかな? 仮に私が得をしたからって、それはあくまで偶然でしょ? 損をした五条さんには悪いけど、まあしょうがなかったって諦めてもらうしかないかな」


「損をしたのは五条。……まあそうでしょう。彼女は確かに損をした。だけど……」


 この事件、最も得をしたのは言った通り森秋先生だ。


 では損をしたのは誰だ?


 手帳を没収された五条玲奈か?


 軽いとはいえ処罰を受ける光石望か?


 散々頭を悩ましたホム子か?


 ……いいや、違う。そのどれでもないと、俺ははっきり断言しよう。




 なんせ被害者が言うのだから間違いない。



「────この事件、一番損をしたのって俺ですよね?」

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