22話
そこにいたのは森秋先生だった。彼女は腰を抜かすした様子で、廊下にへたり込んでいる。
辺りには散乱したプリントが散らばっていて、
「イタタタ……。急にバーンって上って来てね。ぶつかってね。……お尻が痛いんですけど?」
「いや、俺の知ったこっちゃないですよ。……もしかして、そのぶつかった奴どこに行ったとか分かりますか? どんな人相だったとか」
「そんなの知らないわよ、一瞬だったし。それより、これ拾うの手伝いなさいよ」
「何で俺がそんな手伝いせんきゃならんのですか……?」
「君が生徒で私が教師、だからじゃダメか?」
「最近の教育現場でそういったこと言うとパワハラとかになりますよ……?」
「ほら、私って熱血教師だから」
……果たしてそれが何の免罪符なのか。そもそも熱血要素を見たことすらないぞ、おい。
そう突っ込もうとする意思と、こんなこと捨て置いて追い掛けようかとする意思を二つ天秤にかけた。が、
……もう追いつかない、よなぁ。
諦めが心を占有した。共犯者の姿形も見えない今ここから追いつくのは難しいだろう。
「……はぁ、まあいいっすけど」
「ありがとね~」
溜め息をついて俺は膝を折る。
共犯者がどこに行ったかはもう分からない。ぶつかった森秋先生から得られる情報も無い。
ならば俺にはもう打つ手が残っていない。ここは大人しく教師の点数を稼ぐことに徹しよう。
そう思い、散らばったプリントに手を伸ばした……瞬間、
「あーーーー‼」
渡り廊下の向こうから大きな声がした。
五条玲奈だ。
彼女は金色の髪を振り乱して、指を向ける。そのまま勢いよくこちらに走ってきて……
「よくやったわ、和田進一!」
「? おい、一体どうした……って、抱き着くな!」
五条は大喜びといった様子で俺に抱き着いてきた。
「ゥウン! ……私の助手に対してあまり手を出さないで欲しいね」
咳払いをするホム子。いつの間にかこちらへ駆けつけていたのだろう。そうしていると階段下からは射場と光石が。手分けをして追い詰める算段だったようだ。
「~~! あ、あら! ごめんなさいね。少し興奮してしまって。はしたなかったわ……。それでも、感謝するわ。ありがとう」
しかし何故彼女はこんなにも喜んでいるのだろうか。俺は手帳を持った共犯者を逃がしてしまった。
手帳は失われてしまったのだ。にも関わらず五条が喜ぶ理由が分からない。
何かあるのか? そう思って俺は周囲を見回してみた。そうしたら……あったのだ。
「どうでもいいけど、君達も手伝ってちょうだい。印刷物が多くて……アレ?」
森秋先生が拾い集めているプリントの山の中。そこから特徴ある色合いをした手帳が一冊頭を出して自身の存在を主張していた。
それは紛れもなく、五条玲奈が所有する朱色の手帳だった。
「そ、それ! 返してくれませんか⁉」
五条は慌ててそう言った。
廊下に落ちていた手帳を森秋先生が拾い上げ、四方八方から観察している最中のことだ。
先生とぶつかったとき共犯者が落としたのだろうか? 何にせよ、ここに五条が探し求めていた品があることは間違いない。それは興奮もするだろう。
「? これのこと?」
森秋先生は首を傾げ、手に持った朱色の手帳のことかと息も絶え絶えな五条へ問い掛けた。
当然彼女は必死に肯定の意を表し、返すように手を伸ばした。
「うーーーーーーーーん……」
しかし何故か森秋先生はそれに応じない。悩んだ様子で顎に指を当て、語尾を伸ばして息を吐く。
何秒続いただろうか。もはや五条が肩で息をするのをやめ、あまりの長さに「せ、先生?」と思わず声を掛けた頃、やっとこさ結論を出した森秋先生は手をポンと叩き、言う。
「中身見てもいいか?」
「……何故でしょうか?」
「だってこれ名前とか書いて無いし……。五条さんが嘘ついてるかもしれないでしょ?」
「い、いえ! 嘘なんて……。それに結構有名ですよ、私がこれ持っているのは!」
「そんな話聞いたことないわよ、私。いや、別に先生五条さんを疑っているわけじゃないんですよ? ただ確認のために見たいと言っているだけで。難しいことか?」
「それは……その……」
言い淀む五条。それもそうだろう。なんせあの中身はあらゆる生徒の弱点、弱み、脅迫情報が記載されているのだ。
そんなもの教師に見られては没収されること間違いないだろう。
しかし見せないでいても結果は変わらない。
そんな五条の様子を察してか。森秋先生は再度悩み、うーんと首を傾げた。
「そうですか……。つまりこれはあまり口に出して良い内容が書かれていない、と」
そうですかそうですか。そう自らの言葉に納得をし、なら、と教師は次の案を口にした。
それは今までの努力を全て無に帰すような提案で、折角取り戻しかけたソレを再度手放すような、そんな提案。それは……
「────ならこれ、没収ですね。 そんないけないもの、学校に持ってきちゃダメじゃん?」
森秋先生は気怠そうに、そう宣言する。
俺はそんな茶番劇を横で見て……
「……アホくさ」
思わず呟き、場を後にする。
そうして俺は思う。初めて経験したと言ってもいい今回の事件。ホム子の謎解き。
満足して足を返す彼女の後姿を見ながら……
「……結局、茶番じゃねえか」
言葉に出来ない悔しさを吐き出しながら。
さて……
「光石さん。ちょっとそのカメラ借りてもいいか?」
「……何故ですか?」
「あーーー……。そうだな……。……ホム子の解決した事件をちょっとまとめようと思ってな。その資料として写真が欲しいんだ。大丈夫。絶対に壊すことはないって保証する。……少なくとも、この後見分するであろう風紀委員よりは、な」
「……分かりました。よろしくお願いします」
俺は光石が首にかけたカメラを受け取り、適当にパシャリ。
返せ返せないと、不毛な言い争いをしている二人を画面に収め……その日の幕は閉じた。
茶番という名の劇の、その幕が。
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