13話



「『現場百篇』という言葉は知っているかね? この国の捜査関係でよく使われる、心得のようなものだ。私はこの言葉に一つの真理と一つの間違いがあると常々抱いているのだが、それはなんだと思うかね?」


「……俺に聞いてるのか?」


「当然!」


「あたしはそもそも初耳っすからねえ~」


 結局忘れ物を取りに行くのに付き合わされ、旧校舎から事件現場である校舎へと行く道すがら。


 もう少し証言を詳しく聞き出すとその場に残った五条を抜いた三人で何時ぞや行った道を辿るように、覚えのあるルートを歩いていた。


 その最中ホム子は脈絡無くそう問いかけた。


 別段スルーする必要性は無い。暇潰しがてら、そうだなと俺は考えて……


「百回も足を運ぶことは無駄だと言われがちかもしれないが、そういった泥臭さと積み重ねに対しては個人的に好感だ。何度も、そして多く異なる視点から眺めて初めて気付くこともあるかもしれないだろ? 間違っている点があるとしたら……現場に拘り過ぎた点だな。北海道で起きた事件の根本が沖縄にあるかもしれないじゃないか。二時間サスペンスの常道だ。あまり同じ場所ばかりでは散らばった事実を集めきれない」


「……どうやらことごとく、私と君とでは思考の方向性が異なるようだね」


 逆だ。そう吐き捨てるようにして一歩前へ出たホム子は、振り返って俺の目を覗き込んだ。


 そうして自らの論理を振りかざす。「私が思うに!」と前置きをして、


「真理とは事件現場にこそ真実への手がかりがあるという点だ。私は何より、ここを正しいと思っていてね。無駄にあちらこちらへ足を運ぶのは非常に効率が悪い」


「まあ、言わんとしているのは分かる。で、間違っている点は何だ?」


「言うまでも無い。……無駄に何度も足を運ぶのは非常に効率が悪いだろ?」 


 言って、ホム子は指を二本立てた。


「二度だね。最低じゃないよ? 最大でも二度という意味だ。それ以上足を運んでもまだ情報が得られるというのなら、それはその捜査員が間抜けであることの証左以外何物でもないだろう。私なら最初と最後の二度で充分だ。無論、一目見て全てを見抜く眼力を持っていないというわけではないことはここではっきりと断言させてもらうよ。単純に現場で発生した変化の観察を必要とする場合ならば二度訪れる必要があるというだけだ」


「随分な自信かつ、確かに俺の意見とは逆だな。別に捜査などに一家言持つ類じゃないから特に反論は無いが……。つまり今回の場合、お前的にはこの一回で謎を解くつもりでいるってことでいいのか?」


「おや、良く分かっているじゃないか。その通りだよ。今回は二度目だ。そしてこれが最後になる。してワトソン君。君は先程現場以外も見るべきだ、と言っていたが、例えばどういった場所を想定しているか聞いても良いかね?」


「特に想定して物言ったわけじゃねえんだが……。まあ、ある程度事件を理解してきたんなら……目撃者を探すとかはどうだ? 昼休みのことだ。学校中に人が散らばっている以上色んなな角度から視線が通る。誰か一人ぐらいは犯行を見た奴がいるんじゃないか?」


「成程。で、具体的には?」


「だから具体的にも何もそこまで考えてねえよ。パッと思いついたのは風紀委員室周辺だが、そこを聞いていないわけはないだろう。となると……現場の真下、もしくは対面になる教室辺りか」


「対面は分かるが、下はどういった意図だい?」


「目撃者ってわけじゃないが、何か物音なり聞こえていた可能性は少なくないんじゃないか? 確か下は……新聞部だっけか?」


 記憶によればそのはずだ。ちなみに更にその下は元我が根城、文芸部となっている。


「今回の場合は隠密が必須とされる盗難だからね。そこはあまり期待出来ないと思うよ」


「……それもそうか。んじゃ、対面の方は……」


 俺は脳内で校舎の概略図を描いた。


 この学校は北と南に分かれた三階建ての校舎と、それらを繋ぐ中央廊下の三パーツが主要な構造体だ。簡単に描けば【工】という字になるだろうか。


 風紀委員室があるのは南校舎の左端最上階。


 その対面となれば北校舎の左端。北校舎一階は家庭科室。二階は空き教室。三階は生徒会室だ。


 この中で可能性が高そうな場所は……


「北棟一階の家庭科室だな。ここは確か被服部が昼休みも活動に利用していたはずだ。運が良ければ何かしら見ている奴もいるかもしれない」


「あ、それはないっすよ」


 俺の提案に射場は即座に否定を入れた。


「……なんでだ?」


「自分、被服部に知り合いがいるっすけど、確か週一で昼は使えない日があるとか何とか。んで、今日がその日らしいとか」


「とかとかばっかだが、信用していいのか?」


「安心していいっすよ! 大丈夫大丈夫!」


 射場は自身の胸を叩いてその情報の確度の高さを保証したものも、本人のキャラクター性が相まって非情に頼りなく思える。が、


「……そこまで言うんならそうなんだろう。なら目撃者探しは無しだ」


 だからと言って信じないというのは彼女に対する無礼だろう。


 ……これ以上疑ったりしていざ本当に調べようとなっても面倒この上ないし。


「それに元々難しい話だったね、それは。真下の新聞部は現在封鎖されていてね。部員といえど入れないはずだ。向かいの被服部も一階にあるため三階は角度的に何も見えなかったことだろう。せめて二階だったら有り得るだろうが」


「知ってたんなら先に言えっての……。てか部室が封鎖されてるって何があったんだよ……」


「さあね。それは私も詳しくは……おっと、ついたようだ」


 そんな打算と疑問を挟みつつ、ホム子とあれこれ言い合っていればいつの間にか辿り着く風紀委員の教室。


 五条は部屋に鍵はかかってないので好きに入って良いと言っていたが、扉一枚越しに得られる室内の空気から人の動きや気配などは感じられない。


 だがそれはある種当然のことだろう。容疑者が絞られたところでそれが確定かどうかは未だ疑問であり、それに手帳は見つかっていない。


 ただでさえ前回の茶番の時ですら嘘にも関わらずリアリティを演出する為に平の風紀委員を捜査に送り出したのだ。


 それが本当のこととなってしまえば、室内にそれ以上のお宝が無い以上留守を任せる人材ですら外に配置していくのは理解出来る行動だ。


 そんな現場につき、さて、と扉に手をかけた瞬間。


「──お久し振りですね、皆様」


「っ⁉」


 俺達の背後から抑揚の無い声が飛んできた。驚き振り返れば視界の下、こじんまりした人影がこちらに向かって仰々しく頭を下げていた。それは見覚えのある少女だ。


「……み、光石さん、だっけ?」


「のぞみっち、おっす!」


「はい。一年三組かつ新聞部所属・光石望です。先日は神憑り的傑作推理の生場面を見させて頂きありがとうございました。ホームズさん。和田さん。それとあすかっちさん」


「いえいえ、あたしは何もしてないっすよ」


 のぞみっち、あすかっちさんと呼び合う二人。


「……随分親しそうだな」


「友達っすからね~」


 ね~? と首を傾げて射場は光石に同意を求めた。光石もまたそれに同調し仲良さ気なやり取りをしている。


 しかし光石は変わらぬ無表情であるために何かとシュールな絵に見えた。


 しかし相も変わらずこの女のコミュニケーション能力は異常と言えよう。会えば大概の人間と親しく呼び合い、聞けば友達だと返す。


 その顔の広さは賞賛に値する代物かもしれない。


 そんな二人の背後でホム子は先程から少し偉そうな顔をしていた。恐らく光石に褒められたことが余程嬉しかったのだろう。


「やあ、光石望女史。君にそこまで言われるとは実に光栄なことだ。──おや? どうしたのかね、ワトソン君。まるで鳩が豆鉄砲をくらったような顔をしているよ?」


「……うるせえ」


 そう言うのは多分気付いていたからだろう。突然出現して背後から声を掛けた彼女に、俺は喉から驚きの声が出るのをギリギリで抑え、何とか平然を装い対応したつもりだったのだが……やはり隠せなかったか。恥ずかしい所を見られてしまった。


「にしてもどうしたんすか、こんな場所で?」


「……新聞部に盗難事件の情報が来たので取材に来ました。聞いたらあの手帳が盗まれたそうで。……まさかこの間の自作自演が本当のことになるとは思いませんでした。嘘から出た誠、というやつですね。ビックリです」


 果たして本当にビックリしているのだろうか。微動だにしない表情に対し感情表現豊かな喋り口から察するに無表情であってもの無感情ではないことは理解出来るのだが、それにしても彼女の言葉をどう受け取ったものかと俺は困惑する。


 閉められた扉を前に、再度俺が開けようと手を掛ければ再度声がした。何かを思い出したかのようなホム子の声だった。


「ああ、そう言えば以前聞くのを忘れていたのだが、ちょっと聞いても良いかね?」


「? ええ。私に答えられる範囲なら、何でも。普段は聞く立場なのであまり上手に答えられないかもしれませんので、簡単なものでお願いしますね」


「なに、安心したまえ。実に簡単なことだよ。聞きたいことは先日の自作自演に関する件だ」


 簡単だとも、と。改めて強調するかのように言葉を付け加えた後、彼女は何気なく聞いた。


「あれはズバリ、君の入れ知恵と思って良いのかね?」


「…………はい」


 前のめりで息の荒いホム子に対しワンテンポ遅れて光石は答えた。


「そうですが……そう思った根拠は?」


「簡単な決めつけだ。推理と呼ぶより信用と言うべきだね。単純に詰めが甘かったという観点でそう考えた。ああ見えて五条玲奈は優秀だ。そして周到だ。本気で私を負かそうとするならば相応の手段を用意するはずなのだよ。だが実際はアレだ。ならばこう考えるのが自然ではないか。彼女は誰かの意見を聞いて突発的にあのような愚行に及んだ、とね。つまりは外部からの影響であり、あの時居た外部は君一人だった。うむ! 実に自然なロジックではないか」


 得意気に語るホム子に対し、光石はあくまで無表情だった。だがそんな無表情のまま、話を聞き終えた彼女は「おぉ……」と感嘆の音を漏らし、パチパチと可愛らしく小さな拍手をする。


「大方、取材だからと張り切って思慮を深くしなかったのだろう。優秀で周到だが、乗りやすい面があるのも彼女の特徴だ」


「流石は旧校舎のホームズ……。前回もそうでしたが、全てを見ていたかのような語り口にそれを生み出す観察眼。見事としか言いようがありませんね」


「ふふっ。君々、そう褒めるな。いくら事実とはいえ照れてしまう」


「鳥が空を飛ぶように。魚が水を泳ぐように。私は当然のことを言っているだけですよ?」


「はっはっは! ……実に気持ちの良い後輩だ。そうは思わないかね、ワトソン君」


「こいつの言う通り、そう褒めるな。……これ以上増長されるとこっちが迷惑を被る」



 拍手を終えた光石。そのまま何の躊躇いも無く、当時のことを語った。


「正確には何か面白い記事にしましょう、と五条委員長と話し合っていた際に貴方との対決を提案した、という感じですかね。他には中庭の池に潜む巨大魚捕獲でしたり旧校舎に響く鬼の鳴き声の正体を探るなどの案もあったのですが……どうやら気に入らなかったようです」


「彼女はオカルトの類は苦手だからね。……しかし旧校舎の鬼か。初めて聞く話だ。知っているかい?」


 ホム子は俺に話を振って来た。旧校舎の鬼の話か……。それなら以前聞いたことはある。


「所謂学校の七不思議ってやつだな。放課後の旧校舎では聞いたら具合を悪くする怪奇音が流れる、って感じの怪談だ。しかし長くあそこにいるお前が知らない以上眉唾もんだろう。俺だって聞いてないし」


 まあいい、とホム子は話を戻す。


「もう一つだ。記憶によれば君はまだ一年生だろ? 入学してまだ一か月だ。にも関わらず玲奈の密着取材を任され、そしてこのように一人取材に来ている。新聞部内で君は随分と信頼があるようだね?」


「そんな大層な理由はありません。単純に人がいないというだけの話です」


 人がいない。そう彼女は言った。だがそれはおかしい。何故なら、


「新聞部なんてドメジャーな部活だろ。人員なら腐る程いたはずだ」


「……現在新聞部の多くは活動が停止されているから、ですかね……」


 先程ホム子が口にしていたことだろうか。知らないと言っていたホム子は興味深そうに身を乗り出す。


「ほう? それは何故だい?」


「それは……」


 光石は言い淀むが、チラリと射場に視線を向けた後、諦めた様子で語る。


「新学期間もなく、うちの馬鹿先輩方が盗撮騒ぎで起こしたそうなのです。おかげで私が入部したときには部員の半数以上が活動停止処分を受けた上新聞部は現在学校外れのプレハブ小屋へと居を移すこと相成りました」


「……まあ、その……何と言うか……気の毒だな……」


 それにしてもあまり聞いたことない類の話だ。そんなことがあったなら普通、ある程度噂になっていると思うのだが……。


 そんな俺の疑問を察してか、光石は続ける。


「幸い、と言うべきなのでしょうか。事件は未遂で終わったそうなので処理は内々に。現場を抑えた五条委員長の厚意もあってあまり外部には漏れなかったそうですよ」


 それなら納得出来る。


 覗き・盗撮というのはれっきとした犯罪だ。


 普通そんなことがあって学校に話が上がっていたら停学なり退学なりの話になってもおかしなことじゃない。


 それが生徒間の噂にも上がっていないということは大ごとにはならなかったということなんだろう。


「しかし妙な処分だね。部活動の停止でもなく部室の封鎖及び移転か……。重いと捉えるべきか軽いと捉えるべきか悩みどころだね」


「五条委員長曰く、構造上の欠陥が見つかったとか」


「構造上?」


 ええ、と光石は肯定した。


「北校舎端、そこの二階は空き教室、つまり新聞部の対面に当たる場所はよく着替えの場として利用されています。そういった場所の対面にカメラを扱う新聞部がいるのはどうか、という話ですね。実際として盗撮の現場が部室だった以上この処分は致し方ないですし、軽くすんだと思います。いずれは代わりの部屋を用意してくれるそうですし、ありがたいことです」


「……ちなみに、盗撮騒ぎとは一体何だったのかね?」


「先輩方曰く部室の窓から見える日常の風景撮影とのことで。……そこにたまたま女性の裸体が混ざっていたそうですよ」


「……まあ、その……何と言うか……気の毒だな……」


「別に構いません。私が起こした話ではありませんし。流石に自分から言うことには多少躊躇いもありましたが、風紀委員である射場さんなら知っていることでしょうし今更隠しても無駄ですからね。それなら自分から言いますよ」


「…………へ? あたし?」


 しかし当の本人は何のことかと言わんばかり。さっぱりとした表情を浮かべている。


 何故ここで自分の名前が出るのか。良く分かっていないようだ。


「……お前、今までの話聞いてたか?」


「あ、いや、聞いてたっすよ⁉ 旧校舎の七不思議の話っすよね⁉ あたしも知ってるっすよ!」


 ……かなり初期の段階で、付いていけないと悟った脳がスリープしたようだ。全体的に解答がフワフワしている。


「彼女は日々我が城に入り浸っているからね。そういった細かい話は恐らく知ったことじゃないんだろう」


「……話し損でしたかね?」


「うぅ……。良く分からないけど馬鹿にされてるっすよね、これ」


 しかし入部間もない一年生にここまで負担を強いるとは、中々に酷な人々もいたものだ。


 そうしてようやくホム子は何かしらの納得を得たようだった。満足気に頷く。


「それだけだ。聞きたかったのはそれだけだとも。すまないね。どれだけ解答に自信があっても答え合わせは欠かせない性なのだよ、私は。だがこれでスッキリとした。感謝しよう」


「いえ。むしろあの時は迷惑をおかけして申し訳ございませんでした」


「問題ないさ。先程も言ったように五条玲奈は周到な人間だ。だが同時に自尊心の高い人間でもある。悪いのは私を負かし、それを民衆に知らしめようと画策した結果周到さを捨てた彼女だよ。見栄を張りがちという彼女の欠点が前回の茶番を招いたと判断出来る以上、君にその件に関する罪は無い」


「……お優しい方ですね」


「ふっ。優しくはないさ。探偵というのは否応にも、無理矢理にも真実を引っ張りだす人種だ。誰かを不幸にするかもしれない真実でも好奇心に負けて埋葬されたソレを掘り返す悪質な人種だよ。そんな者に優しさなどという言葉は似つかわしくない。そうは思わないかね、ワトソン君?」


「同感だな。職務でもないのに隠し事を暴こうとする奴なんて大概人でなしだ。それが性分ってんだから余計面倒くさい。少なくとも友人には欲しくない類だな」


「……ちょっと言い過ぎじゃないかね?」


 知り合いに一人ぐらいはいることだろう。人の腹を探って喜んで、そんで言いふらして注目を浴びたがるスピーカーみたいな人種が。


 言ってしまえば探偵というものはそれと同種だろう。

 

 警官に教えてあげれば良いものをわざわざ関係者全員を呼んで円の中で語り出すのだ


 。悪趣味と言う他あるまい。しかもその探り方が正確で深いのだから探偵というのは質が悪い。


「それに幾ら茶番とはいえあれだけホム子が楽しんでいた以上、謝られるいわれはないだろう」


「その通りだ。あれはあれで中々楽しく…………はて?」


言葉の途中、それを切ってホム子は怪訝な表情を浮かべた。


「……ちょ、ちょっと待ちたまえ、ワトソン君。君は今、私を何と呼んだのだい?」


 はて? いきなり何を言い出したのだろうか。そう思い、


「ホム子って……げっ」


 再度口にしてやっと彼女の呼び止めの意味に気付く。


「……そう言えば、口に出して言うのは初めてか?」


 口にこそしなかったが心の中で常にそう呼んでいた影響だろう。思わず漏れ出てしまった。


 恐る恐る視線を戻し、ホム子の顔を見ると、随分と不機嫌そうな様子だった。瞼をピクピクと震わし、かっと見開く。そしてそれ以上に怒りによって震えた声を絞り出した。

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