9話



 三人の証言者がいるのは校舎の隅の、三つの空き教室だと言うので俺達はそこへと向かった。


 西日が差す廊下を行く中、眩しさから目線を外から内へと戻し、その流れでふと視線を腕時計へと落とす。


 時刻は5時30分。

 

 本日の授業終わりが4時30分であることを考慮すれば事件の発覚から調査、そして依頼への決断に至るまでのスピードは迅速だ。


改めて、五条玲奈という少女は優秀なのだと認識出来る。


「……」


 そんな彼女でもお手上げだと放り投げたこの事件を、果たしてホム子に解決することが出来るのだろうか。俺は正直難しいと思っていた。だが、


「さて、一体どんな謎が用意されているか非常に楽しみだ。……そうだ! これが終わったら皆で食事にでも行かないかい? 最近良いフレンチを出すリーズナブルな店を見つけたんだよ。解決祝いはどうしたものか、と考えていたらワトソン君の歓迎会をしていないことを今思い出してね。兼ねて開催しようと思うのだよ。もし時間に余裕があったら是非とも参加願いたいところだ」


「……もう解決した後の心配してるのかよ。それよりもうちょっと詳しく事件のことでも聞いたらどうだ?」


 そうした俺の心配をよそにホム子は、依然変わらない軽めな足取りをしつつ、そんなことを言いだした。


 彼女のしている弾けんばかりの笑顔、というのは客観的に見れば魅力的かもしれないが、しかし状況を選ばずこう無邪気に振る舞われると呆れや心配の方が強く抱かれてしまう。


「この女にとっちゃ、私が投げ出した謎なんて朝飯前としか認識してないのよ」


「はっはっは! 馬鹿を言っちゃいけないよ、玲奈。……今は夕食前だよ?」


「黙りなさい」


 打てば響くホム子との対話。


 返ってくるのが不協和音もビックリの舐めた口調でなければきっと最高の芸人か友人にでもなれるのだろうが、そのような有り得ない妄想は止めておこう。


 現実が虚しく思えてしまう。


「……一応、大雑把な証言内容を書き留めたメモはあるけれど、見る?」


「いや、遠慮しておこう。証言は直接聞くべきだ。視線の動きや息遣い、言葉尻の震えなど生の証言は書面では得られない情報が多くある。何より下手な先入観を持ち合わせて望んでしまえばあらぬ方向へと思考が取られてしまうからね。あまり情報を先に仕入れたくはない。入口を間違えてしまっては正しいゴールへと行きつくのに、不可能とは言わないが時間がかかる。それは君とて望んだことじゃないだろう?」


「ええ。出来得る限りの迅速かつ正確な問題解決しか望んでいないので、そのつもりでお願いするわ。くれぐれも無駄に長引かせたりしないように」


「それは必要のない要望だね。私は優秀だ。無駄な捜査などしないとも。それとも今まで私が君の期待を裏切ったことでもあったかい?」


「あったわよ! 憶えていないとでも言う気⁉ あんたに仕事任せると何故か! いつの間にか! ただの落とし物から殺人事件とかテロ事件みたいな物騒なもんに発展するから言ってるのよ! 去年の年末のことよ!」


「それはしょうがないことだ。私は探偵だよ? 物事の裏に潜む真実を暴くことが性分のどうしようもない人種だ。そもそも、悪いのは謎を暴いた私ではなく、落とした荒巻鮭に壮大なクーデター計画を隠したまま漫画喫茶に立ち寄り、メニューには記載されていないメロンソーダを飲み干したかの国際指名手配犯に言ってくれ。……ああ、すまないねワトソン君。つまらない話をしてしまって。それより歓迎会の件だが……」


「いや、つまらないどころかお前の話の中で一番気になるぞ。なんだその話は。大分気になるぞ。荒巻鮭がどうしたんだ⁉」


 漏れ出た不穏なワードと付随する気の抜けたワードに、思わず俺の興味が持っていかれた。


「いや、あまり面白い話ではないので気にしないでくれ。ただ鮭の内側に千年前の暗号文が……おっと、どうやらもうついてしまったようだね。話は終わりだ」


「待て! その暗号文がどうしたんだ⁉ メロンソーダがどう関わるんだ⁉」


「ワトソン君……。今大切なのはメロンソーダに暗号文を解読する成分が含まれていたあのつまらない事件ではなく、玲奈から依頼された盗難事件だよ? 集中したまえ」


「そうよ。千年前からメロンソーダの到来を予期した科学者が原因となった埋蔵金を巡るテロ事件なんかより、重要なのは私の手帳じゃない。仮にもこいつの助手だっていうんなら集中して頂戴」


 何なのだろうか。これは俺がおかしいのだろうか。何故彼女達はそんな怪事件を平然とつまらないなどと言えるのだろうか。


「……解せない!」


 しかしどれ程俺が教えろとせがんでもそれ以上ホム子がその件に関して口を開くことは無かった。一人立ちすくむ俺を置いて、三人は教室へと入ろうとする……直前。


「ああ、そういえば言うのを忘れていたことがあったよ、ワトソン君」


「あぁ? やっぱ教えてくれるのか、その事件」


 いいや、違うよ。とホム子は俺の要望を否定した後、


「知っているかい? 私の所属するミステリー研究会には入部試験があることを」


「ん? ああ、聞いたことはある」


 つい数時間前友人から聞いたばかりの情報である。


「君の場合事情が事情だ。試験無くあそこへの入室を許可したが、それでは今まで不合格になった者らへ申し訳ないと思ってね。改めて、君へ一つ課題を与えようと思うのだよ」


「ちょっと。そんなことしている時間無いってさっき言ったわよね?」


「安心してくれ。時間はかからない。一瞬だ。迅速な解決も改めて約束しよう。それで……どうかね?」


「……嫌だ、って言ったら免除出来るのか?」


「駄目だ。そうなったら強制的に不合格となるよ」


「不合格だったら? 追い出されるのは流石に理不尽だぞ」


「そうだね……。確かにあそこは文芸部の部室だ。それを不合格だからと追い出してしまえば学校に対する反乱行為に値する。故に……」


「…………」


「もし不合格となった場合、文芸部の部室を取り戻してあげようじゃないか。君が昨年まで使っていた部室をだ。そして今後はそちらを使用してもらうとするよ」


「……………………は?」


 俺は自身の耳に何かが詰まっているのでは? と耳の穴に指を突っ込んでしまう程にホム子の発言の意図を理解出来なかった。


 そうでなくては恐らくは聞き間違いだろうとも思ったが、しかし隣にいた五条も理解不能といった顔をしていたのでどうやらこの場にいる者らが聞いた内容は一緒なのだろう。


「……本当にそれで良いのか? てか出来るのか?」


「ああ、勿論だ。出来るよ。約束しよう。責任を持って君の部室を取り戻してあげようじゃないか。当然、その場合私がそちらに移籍する、なんてこともないよ」


 正直意味が分からない交換条件だ。当然俺からすれば一人自由に使用出来る部室である方が嬉しい。


 要はこの課題は俺へのデメリットが無い。


「……わざと不合格もらった方が良いんじゃないか、これ」


「構わないよ。それでも構わない。だがその場合、私は君を軽蔑するよ。馬鹿にするし、見下すだろう。どうだい? 嫌だろう?」


 憎たらしい顔でどんなもんだとでも言わんばかりの顔でホム子はそんなくだらない条件をつきつけてきた。

 

 いや、別にそんなものは条件ですら何でもない。幾ら自意識過剰のホム子とはいえ分かっているはずだ。


 俺が会ったばかりの他人に嫌われたくないから、などという道端のペットボトルよりも軽い根拠で自らの行動を変える程可愛らしい性格などしていないことを。


 俺の中でホム子など現状、大した価値を得てなんていないことも。


「別にお前に軽蔑されることなんて欠片も痛かないんだが……」


 自分の中でそれらの言葉を反芻する。事実だ。


 別段こんな奇人に軽蔑されることは痛くも痒くも無いし、ショックだとも思わない。


 ……しかし。しかしだ。


 そんな思いとは関係なく、俺という一人の人間の想いやプライドはある。


「……嫌っちゃ嫌だな。お前が相手だから、、という話じゃない。単純な話だ。俺は馬鹿にされて喜ぶような変態じゃないし、利益のために侮蔑を許せる程大人でもない」


 吐き捨てるようにして俺はそう答えた。


 単純だ。


 単純な話だ。


 誰がどう、という話じゃない。もっと引いた目線で見た時、これは誰が相手であっても通じる話ではないだろうか。


 誰だって他人から馬鹿にされることは嫌いだろ?


「──斜に構えて誰かに背を向けて、罵倒を受けて立ち去るのなんて誰だって嫌いだろそんなの」


 ホム子はそうだね、と俺に同意をする。


「自身の未熟を理解するのは大人への一歩だとも。恥じることはない。それにしても、君はやはり難儀な性格をしている。他人の思うがままになるのを嫌うが故に楽な道を自ら断ち切る。普段の信条とは異なる決断をすることが多いね」


「まんまと乗ってる時点でお前の掌なんだろうけどな。プライドなんてもの持ち歩く類の人間じゃないが、だからって舐められるのは好みじゃない。……ったく、お前なんぞに見透かされるなんぞ我ながら嫌になる」


「なに、そう自分を責めるな。私は名探偵だよ? ……君の心理などお見通しさ」


 さて。これ以上話していては傍にいる五条の機嫌が悪くなる。


「で? 聞くのを忘れていたが、その課題ってのは何なんだ? あまり難しいのは勘弁しろよ? 楽なのを頼む」


「楽かどうかは保証出来ないよ。さて、課題自体はシンプルだ。──この先の部屋にある証言の判断を、君なりに定めて欲しい」


「判断って……」


 俺が何かしら、疑問又は抗議の声を上げようとした。何を言うつもりだったのかは咄嗟の思考だったため憶えていないが、それでも何かを喋ろうとしたのは憶えている。


 だが何を言おうとしたのかという記憶がないのは、そんな俺の一歩で遅れた言葉よりも先に、荒く強い反対の声がホム子へと向かったからだ。それは五条玲奈の抗議だ。


「はぁああ⁉ 馬鹿言うんじゃないわよ! 私はあんたに依頼したのよ⁉ なんでこんなどこの馬の骨とも分からない奴に任せるのよ⁉」


「あああああんしんしたまえ、玲奈。何も私が手を引くわけじゃあああない」


 五条はホム子の襟元を掴んで前後に揺らす。ホム子は暴れる五条をまあまあ、となだめた。


「うぅ……。これで私の脳細胞が死んだらどうしてくれる……。いいかい? 私はこの先で得られる情報から彼なりの回答を聞くだけで、当然私は私で推理をするつもりだ。そして彼の回答が私の推理と近しければ合格という形にするだけだよ」


「その言い方だと、まるでお前の回答が正解かのようだな? お前の推理に遠いからって間違いとは限らないだろ」


 もはや返答すら完璧に予測されつつある質問を俺は口にした。

 

……どうせ奴はこう言うのだろう。


 俺が脳内で文字を書き連ねた直後、目前のホム子はまるでアフレコをするかのようにその文章に声をつけてくれた。


「私の推理は間違いなく正しい。だから私の推理に近しかったそれは正解だよ。安心したまえ」


「……ああ、そうかよ」


 言うと思った。


 そんな予定調和的やり取りを挟みつつ、さて、と五条は呼びかけた。


「話は終わったかした? それなら別にどうでもいいわよ、勝手にして頂戴。で、本題ね。証人は三人。正確性を出すために別室で尋問中よ。これからあんた達には昼休みに風紀委員室に訪れたその三人を、訪れた順番に話しを聞いてもらうわ。用意はいいかしら?」


「ああ。いつでも良いよ。なあ、ワトソン君」


「……いい加減そのワトソン君ってのやめろ」


「自分は見てるだけっすからいつでもいいっすよ~」


 五条はいまいち決まらない俺達に頭を抱えて、扉を開けた。



「……本当に大丈夫なのかしら……」


 不安になる気持ちは痛い程分かる。


 ────


 入った先は重苦しい空気だった。人がいるにも関わらずシーンと静まり返った部屋は扉の音を必要以上に目立たせる。


 そんな場所への訪問者だ。当然室内にいる者もこちらを振り向いた。


 人影は二つ。


 一人は見覚えのある、先日委員会室にいた風紀委員だった。もう一人は知らない。


 真新しい制服特有の光沢ある滑らかさから一年生であろうと察しがつき、状況と合わせて彼が証言者の一人なのだろう。


 ……結論から言おう。


 確かに五条の説明は正しかった。

 

彼らは誰一人として嘘をついておらず、しかし矛盾しか無かった。

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