8話
五条玲奈はしっかりとした足取りで歩を進めた。
表面的には落ち着いて見えるが指先や視線忙しない動きから察するにあまり冷静と言える状況でないことは名探偵でも何でもない俺ですら分かることだった。
人間とは不思議なもので、見た目に変化は無くとも態度次第で幾らでもその人への印象というのは変わるようだ。
巻かれたロール状の髪型に煌びやかな装飾品は前回会ったときから変化があるわけではないのだが、不安気な五条の今の様子からは初対面で感じたような優雅さというものが感じない。
「手帳が盗まれた……と。つい先日も聞いたことだね。連続して起きるとは大変興味深い。よし、では推理しようか。さて、考えが整ったよ。名探偵として助言させて貰うとするならば前回の犯人を調べてみたらどうかね? 前科のある者が怪しいのは当然の考えだろ? この短期間で同じ物が失われたとするならばそれはきっと同一犯の仕業他ならないはずだ。そうは思わないかね?」
ホム子は五条へ向けて意地悪そうな顔を向けてそう言った。以前ふざけた茶番に付き合わされたことは確かに腹立つことかもしれないが、それにしても随分と皮肉なことだ。
「分かってる。前回のことは悪かったと思っているし、謝罪だって何度でもする。あんたの悪趣味な小言だって幾らでも聞いてあげるわ。だけどそれは今度にして頂戴。今は一分一秒でも時間が惜しいのよ」
「……ふむ。どうやら本当のようだね。脈拍は乱れて唇が青い。息も乱れている。随分と急いで来たようだ。いつもなら君が私を呼び出す立場なのにね。素直な謝罪も含めて玲奈にとって似合わない行動のオンパレードだ」
「そこまで理解しているなら無駄話はやめましょ。早速……!」
「まあ落ち着きたまえ。概要は大切だ。事件が起きて名探偵にそれを依頼しようとするとき、もっとも大切なことは正しく事件の概要を伝えることだよ。先入観は無く、偏見も無く。ただ事実を伝えることこそが真実への近道と言えよう。そのためにはまず落ち着くこと。それが肝要だとも。……ああ、ワトソン君はちょっとその席を外してくれるかね?」
「よしきた。これ以上居ても邪魔になるのは確かだからな。大変不本意だが俺は帰るとしよう」
俺はホム子の言葉を聞いてすぐ、足元に置いた鞄を手に取って腰を上げた。
「違う違う。君は私の助手だよ? 帰ってどうする? 私が言いたいのは席の話だ。君は随分とその席を気に入っていたようなので言わなかったのだが、そこは客人用の席でね。玲奈が座るから移って欲しいとお願いしているのさ」
一言も気に入っていると言った覚えはない。むしろ隙あらばホム子が座っているロッキングチェアを狙っていた程だ。
だがホム子に黙ってあの椅子に少しでも腰を据えると、何故か気付かれてしまい後に面倒くさいぼやきを貰ってしまうので遠慮しているだけだ。
「こちらへ来たまえ。この部屋における最高の特等席である私の隣だよ。嬉しいだろ?」
「…………」
「はっはっは。どうしたのかね、顔を歪めて。恋かな?」
苦虫を噛み潰した顔を恋と表現するとは独特な感性をしているようだ。
これで何故自らを観察の名人と評しているのか甚だ疑問に思う。
本当に帰っても良いのだが、そうすると後々面倒そうだし、何より単純に風紀委員長に起きた二度目の盗難事件が果たしてどういったものなのかが気にならないわけではないので大人しく誘導に従って俺は席を変えた。
ホム子が座る高級なロッキングチェア程ではないが、中々にアンティークかつ高級感ある代物なので自分としてはありがたい。
何故今までこの席ではなくただの学習椅子を使っていたかって? 俺とホム子が仲良く隣に座って読書する構図など気色悪くてやっていられるか。
ちなみに学習椅子と場所を入れ替えようとすれば部屋の内装を崩すなとホム子に文句を言われるのでしょうがなく座り心地の悪い方で我慢していたのだ。
話を戻そう。
譲った席に座った五条はホム子が出した紅茶を一口啜る。
「ふぅ……。じゃあ、改めて説明するけど、いい?」
「ああ。構わないさ」
息をついて彼女は言った。
「事件発生は恐らく今日の昼休み。盗まれたのは私が愛用している手帳。……今回は本当よ。鍵をかけた部屋の、鍵をかけた金庫からそれは盗み出されたわ。本来ならその時間帯は委員も含め誰も部屋には入らない予定となっていた。だから私達は最初犯人に目途をつけられなかった。……だけど後に昼休みの委員室には三人の生徒が訪れていたことが判明したのよ。予定していなかった訪問者がね。状況的に考えて犯人はその三人の内誰かに他ならないわ。現在その三人を事情聴取している最中よ」
彼女は話しながら紙を鞄から取り出して、机に広げた。殴り書きのように連なった文字列は、恐らくその事情聴取によって知り得た情報なのだろう。
「ふむ。話を聞く限りでは捜査の方は極めて順調に思えるのだが? 勿論その三人の容疑者の中に犯人がいない、ともなれば私が動くのも納得だ。だが少なくとも君はそう考えてはいない。そんな状況で先日煮え湯を飲まされた私に相談しに来るとは……まだ問題があるということだね?」
ええそうよ、と。五条は頷いた。
「問題なのはその容疑者三人の証言なのよ。三人の内一人が犯人なのだとしたら当然、その犯人は本当のことを言わない。たった一つの真実を求めたいにも関わらず、たった一つの不確定要素によって矛盾が生まれてしまうのよ。……言いたいことは分かるかしら?」
聞いて思う。至極当然の話だ。容疑者に絞り込まれた時点で犯人には嘘をつく必要性が生まれる。
証言をすり合わせようとするならば紛れ込んだその嘘は真実へと至る道筋を遮る障害だ。
そこで行き詰まるのは確かに納得出来る。だがまあ逆説的に、矛盾が発生する時点で容疑者の絞り込みという前段階は正解へ近しいことを意味しているだろう。
「…………いや」
それにしても……。思考をしながら俺は一つ疑問を抱いた。
「……その話、おかしくないか? 嘘をついている人間が容疑者の中にいると知れたのなら、あんたにとってこの事件はもう解決出来るだろう。わざわざここに来る意味が無い」
「その通りだ。君は人の嘘を見抜く洞察力を持っている。勿論、それ自体は証拠になり得ないが捜査の指針とするには充分だろう。そもそも、そこまで容疑者が限定された状態ならば縺れた三本の糸は簡単に解けるはずだ。嘘を見抜くことが出来なくても三人の内一人が嘘をついているという話なら、これは論理的な思考さえあれば解決出来るんじゃないかい? なんせ三人の内二人は真実を言っているんだ。それさえ解けない君ではないだろ?」
ホム子も同様の意見を持っていたようだ。
そう。俺達は知っている。彼女がその観察眼によって目前の人間が嘘をついているか真実を話しているか、その判別が可能であることを。ならばここに来ていることはおかしいのだ。
それに五条だって馬鹿なことをしたが馬鹿ではない。
頭脳の方はかなり高いレベルにあるとホム子は評価していた。それを事実とするならばこの手のロジック問題を解くことに苦はないはずだ。
「それが出来たら苦労しないわよ。出来ないからこうしてあんたを頼っているの」
五条は頭を抱えて眉間の皴を揉み解しながらそう答えた。
「……どういうことだ?」
五条玲奈の嘘を見抜く眼力の精度はある程度に保証出来るものである、という前提で考えよう。
犯人以外嘘をつく必要性が無い以上、嘘をついている者が犯人になるのは当然の帰結だ。
それはつまり嘘を見抜けるのならば容疑者が絞られた段階で事件はチェックメイトであるということ。
それでもなお五条玲奈は三人いる容疑者の内から一人の真犯人を見抜くことが出来ないと言う。
その上『三人の内一人が嘘をつく』という類の、それなりに有名なロジック問題という観点においても解決出来ないと判断している。
これらが表す意味を五条は改めて口にした。
「三人の証言は全て食い違っている。だけど誰一人として嘘をついていない。だから観察でも論理でも答えが見えないのよ。……どう? あんた好きでしょ、こういうの。だからさっさと解きなさいよ」
「まったく。人に頼む態度じゃない。そうは思わないかね、ワトソン君」
「だからワトソンと呼ぶな」
だが……。ホム子は俺を無視して笑って続けた。
「……良く分かっているじゃないか。その通りだよ。実にその通りだ。私は今、大変高揚している。実に興味深い概要だ」
ホム子は言った。見るからに慌ただしい雰囲気を出して、今にも椅子から飛び上がろうとするのを必死に抑える様子で目を輝かせる。
「では詳しく聞いても良いかね? ああ、一旦その三人の証言は置いておくとするよ。情報が無い状態で本題に取り掛かっては要らぬ先入観を抱いてしまうからね。聞きたいのはその三人が何故風紀委員室に訪れたか。その点だ。委員室には誰もいなかった。にも関わらず三人もの人間がやって来るとは、非常に奇妙じゃないか」
「そこも不思議なのよ。いいえ。不思議と言うにはあまりにお粗末なミスだからそれはちょっと違うわね。つまりは連絡の行き違いよ。容疑者の三人は全員、今年度から創設された新規クラブの代表者なの」
「……ああ、『経過報告』か?」
「? それは何かね?」
俺の納得に、あまりピンと来ていない様子のホム子。しかしそれはしょうがないことだろう。
クラブの代表者でもなければあまり縁のない、事務仕事だ。
「一か月に一度、活動内容を学校側に報告する作業だ。うちの部活はこうこうこういう内容でちゃんと活動してますよ、ってな。これをしなきゃ予算とか下りないから部長とかには必須の作業になる。本来なら書類提出だけでいいんだが、新規クラブは別なんだ」
「そういった事務経験の無い新規クラブは困ってることがないかっていうヒアリングの意味も込めて面会方式でやるのよ。今日の昼はちょっと用事があってね。今週予定だった経過報告を来週に変更するよう事前に通達していたはずなんだけど、どうも連絡が回っていなかったらしくてね。三人の部長が今日の昼休みに訪ねて来ちゃったそうなの」
「……成程。理解したよ。理解したさ。他にも色々聞きたいこともあるが、取り敢えずは理解した。では早速その証言とやらを聞きに行こうじゃないか」
「どうやら乗り気になってくれたようね、名探偵」
「当然だ。私は高潔な人間だよ? 君のように困って泣き叫び震えている者の助けを断りはしないさ」
「……きっとその震えは怒りが由来だと思うのだけれどね……‼」
それと! と続く。
「私に助けられたからって感謝をしたり尊敬したりする必要も無いよ。これは興味だ。少なくとも、君が私にプレゼントしてくれた悪ふざけよりは余程楽しそうな予感がすることだしね。勿論君が自主的に私を崇拝したいとなれば私は断らないが……どうする?」
「……っ‼ 人が下手に出ていれば……‼」
まさしくプルプル震えだす五条。だがその顔色や様子は来たときに比べ幾らか楽そうに見える。
憎まれ口を叩き合う間ながらも依頼の受諾によって気が楽になる程度にはホム子を信用しているということなんだろう。
「さあ、では行くとするか。……ああ、ちょっと待ちたまえ、ワトソン君。それではいかんよ」
珍しく文句を言わず、静かに立ち上がった俺を呼び止めるホム子。
「レディが人前に出るのだ。ちょっとは時間を与え、そしてその手伝いをするのが紳士であり助手ではないのかね? 勝手に出ていくのはマナー違反だよ?」
さあ! と両手を広げたホム子。見る限りコート以外諸々の着替え及び装飾の着脱を要請しているようだった。
「…………羞恥心ってものが無いのか、お前には」
着替えの手伝いを要求するホム子を後目に俺は、これでは急いで来た五条が報われないなと溜め息をついた。
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