7話
自分でも以外なことに、あれからサボることなく部室へと訪れる日々は続いた。
引っ越しは滞りなく進み、今俺のいるこの部室には過不足なく、文芸部時代の書籍が収納されている。
いやまあ、元文芸部から本を持ち出すのには随分と時間がかかってしまって、入れ替わりで使用することとなった男子ペタンク部の奴らには嫌な顔をされたりしたのだが……気にしたら負けだろう。基本的に滞りはなかったと思う。
そうして本格的に移動することとなったミス研の部室では一日を費やし荷物を解き、空いたスペースへと並べていった。
正直、運搬より苦労したのはそういった書籍の再配置の方だったと言える。
何故なら部室にはホム子の私物が溢れていたからだ。邪魔な物を動かそうとしたら勝手に動かすなと怒鳴られ、広がったガラクタをどかしていたらやれ私の発明品はもっと丁寧に扱えと言われ……。
そんな風に言い争いながら何とか場を作り上げて、俺がやっと新しい居場所の心地よさを感じられるようになったのは二日程経った頃だった。
それから更に数日。放課後同じ時間を過ごしているうちにホム子に関して幾つか分かったことがある。
確かに彼女は面倒くさい類の者であった。話すことが好きなのか興味惹かれる物事があったら都度俺に意見を言い、逆に意見を求めたりする。
些細な変化・異変を見つけてはどや顔で推理を披露しようとする。無視することも出来るが、それをしたらしたらで露骨に不機嫌となって大人げなく奴は拗ねだす。
大変面倒な性格と呼べるだろう。
だが一方でその空間に対して過ごしやすさというのも感じるようにはなった。
俺もホム子も互いに本好きであり、そして互いに集中すると無言になる性質を持っている。
そうなれば旧校舎の隅に配置された部室は、外の騒音が届かない静寂な空間として非常に有意義なものとなる。
それに実のところホム子は四六時中ずっとこの部屋にいるわけじゃない。ときたま科学部に顔を出しては謎の実験を繰り返す。
散歩に行くとだけ告げてそのまま帰ってこない、なんてこともあった。彼女不在の時間はなんとも平和で、思わず完全下校時間まで長いしてしまう程だ。
しかし何よりもここに来て良かった思える最大の要因は、彼女の淹れる紅茶だろう。
ここで提供される紅茶は香りがよく、味も素晴らしかった。紅茶マニアであるホム子は茶葉の種類から保管方法、淹れ方までこだわりがあるようで、俺自身その手のことに詳しかったり違いが分かる類の者ではないのだが、それでも一口飲んだだけで別格だということは分かった。
それを飲んで以降、自分で淹れる紅茶なりコーヒーなりがただの色付き湯にしか感じられなくなってしまったのは唯一の欠点だが、しかし後悔はない。
分かったことは他にもある。
そんな彼女だが、普段活動的な反動……とでも言うべきか。
エネルギッシュな活動をしていたかと思えば、いつの間にか静かに寝静まっているなんて場面をたまに見かける。
昼寝とか休憩とかではなく、まさに一日中だ。
帰宅する時間になっても起きない様子には流石の俺も不安に思い、いくらか揺すってみたが起きる気配はなかった。
初めてそれと対面したときはしょうがなかったので鍵だけをかけて帰宅した。
翌早朝、心配して早めに顔を出してみればまだ寝ていたので驚いたものだ。
後日聞いた所、二十四時間寝続けるなんてことは彼女にとってはままあることなので、そうなったら起こさず俺がしたように鍵をかけて帰っても良いそうだった。
流石に腹は減るらしく、出来れば食料を用意してくれるとありがたい、なんてことも言っていた。
それと何よりも驚いたことが一つある。
それはあの事件が起きた日のことだ。
俺が読書をしていた時、ふと思い浮かんだとある小説に関する質問をした際のこと。
恐らく聞けば間違いなく正しい答えが返してくれるであろうと予測し、投げかけたその質問に彼女はきょとんとした顔で答えたのだ。
──知らない、と。
「……ちょっと待て。今俺は混乱している」
「はっはっは。見ていれば分かるさ」
頭を抱える俺に対し、ホム子はそのことに何の躊躇いも悪びれも無く、どころか笑って言った。改めて俺は問いかけた。
「……え? お前本当にシャーロック・ホームズシリーズ読んだことないのか……?」
「その通りだが……それがどうかしたかね?」
どうしたもこうしたもあるか、と俺は呆れ気味に息を吐く。
「……小説の登場人物を名乗っているくせに、元ネタを知らないとかにわかにも程があるだろ」
「酷い物言いだな。そもそもの前提として私が誰かの名を騙っているという、君の認識そのものが間違いなのだよ、まったく」
少し拗ねた口調でホム子はそっぽを向いた。だがそれでも納得出来ない俺に対しその様子を察したのか呆れたようにホム子は肩をすくめた。
「なんだね?」とちょっとジトっとした目で、
「君は人が名乗ることにいちいち意味や理由を求めるのかね? 私は私であり、故に私は私の名を名乗る。……それだけだ」
この頃あたりだろう。俺がホム子のことを名探偵に憧れるちょっと痛い高校生女子から、何かしらの意図と目的を持ってシャーロック・ホームズを名乗っているのではないか、と認識を変えだしたのは。
勿論、大前提としての認識は変わり者の自慢家で、雰囲気の割に子供っぽいところが多い残念美人ということに変わりないのだが、それでもこの頃から彼女に対する興味的なものが湧いたのは事実だ。
勿論、と続けて前提を述べさせてもらうが、そこに恋愛的な感情はミジンコ程も無いことは理解して欲しい。
「──それでもなお、納得していない表情だね」
「そりゃそうだ。俺が想定してた大前提がひっくり返されたんだ。今更違うと言われても信じられな「ではこうしよう!」………………………………どうした急に?」
俺の話を遮る形で、ホム子は良いことを考え付いたと言わんばかりに目を爛々と輝かせる。
あまり良い予感を得ることは無かったが、無視しては先に進めない、RPGのような理不尽さを発するものなので、俺はしょうがなく聞いた。
「君は私をシャーロック・ホームズではないと主張し、私は私を私と主張している。本来こんなものは鳥が空を飛ぶような、魚が水を泳ぐような自明であり論争にすらならないことなのだが、そこまで君が否定をするなら……勝負でもしようじゃないか」
「勝負?」
「ああ、勝負だ。もし君が私の正体を知り得たというのなら、君の勝ちだ。逆に君が私の正体を知ることなく、私が名乗る私でしかないと認めたのならば、私の勝ちになる」
パッと聞いたままでは、正直どんな勝負なのかも分からなかったその題目を、俺は少し時間をかけて噛み砕いて理解した。だが、
「正体って……。やっぱ何か隠してるってことじゃないか?」
「当然だね。淑女たるもの、秘密の一つや二つ持っていて当然さ。だが前提は変わらない。私は私であるという前提はね」
「……それにこの条件じゃ終わりがないぞ。俺が負けを認めない限りお前の勝ちはない」
「答えを知り、負けることがないことを私が知っている以上この勝負はそもそもとしてフェアじゃない。なのでハンデのようなものだと思っておけばいい」
「……あまり金は持ってないぞ」
「金銭とは人と人を繋ぐ架け橋になり得るが、その橋を崩す最も簡単な手段にもなり得る。友人間でそういったものをやり取りするのはあまり気が進まないよ。それに勝負だからと言って別に物を賭ける必要もない。まあ気軽に、君がここで活動するついでに思考をする程度に考えてくれれば良い」
「あまりやる必要性自体無いように思えるが……まあいい。逆にその程度の方が暇潰しになるってものか」
この勝負自体主導権は俺にある、デメリットのない代物だ。断る必要はない。
「そうかね。それは良かった。しかし私から提案しておいて何だが、意外だね。君はあまりこういった無意味な遊びをする傾向があるとは思っていなかったよ」
「それは勘違いだな。俺は年頃の男子らしく無意味なことは好きだぞ。斜に構えて世の無意味を馬鹿にする程大人ぶった覚えはない。無意味なことを楽しむというのは心のゆとりに繋がるからな」
……それに、と俺は前置きをして続けた。そんなことなど有ろうが無かろうが、自分自身の意思として、ホム子を知ろうとすることに反対はない。何故なら、
「お前は無意味なことはしないと、この数日でそれは知った。……ならわざわざこんなことをする以上、何かしらの答えがあるってことだろ? それを気にならないと言うのは、きっと嘘になる」
「おや。初対面のときと違って随分と私を高く評価してくれているのだね?」
「初対面の印象を持ち続けるのは好みじゃないし馬鹿馬鹿しいことだ。なんせ俺は噂としてのお前ではなく実際のお前とこうして会話してるんだ。だったら今の俺が今のお前を理解するってのが礼儀だろ? その上で言ってんだ。お前に興味が湧いてきたって」
「ま、まあ、当然だね。むしろ初めて会った際、偏見まみれで私に相対したことを反省したまえ」
態度こそ気丈だが、一方で俺の言葉に、初めてと言うべきだろうか。ホム子は少し動揺したかのように声を震わせていた。
「生憎、俺は自他共に認める俗物なんでな。先入観に現実が左右されること自体は恥ずかしいもんだと思ってない。噂で誰かを判断するのは人間として当然のことだ。言うだろ? 火のないとこに煙は立たないって。誰かの言葉は無責任だが無意味じゃない。しかしまあ、現実を目の前にしてそんな先入観を簡単に変えられるってのは結構優秀だろ?」
それにしても、と続ける。
「……カッコつけてはいるが、顔赤くなってるぞ」
「~~~~⁉ い、いったいどこがあかいのかね⁉」
かくいう俺もらしくなく臭いことを言ったな、という自覚があって顔を赤くしていたのだが、幸い彼女持ち前の観察眼はこのときは発揮することなくバレずに済んだ。
数秒、お互いの間に静寂な時間が訪れる。落とした視線の先にある活字だが、あまり頭に入ってこなかった。
「そ、そうだ。先程から一方的に私だけが質問を受けるのは不公平ではないかね? 私からも一つ、聞きたいことがあるのだが?」
「……俺に答えられる範囲なら何でもどうぞ」
何でも、という回答はいささか不用意であったか? と自問自答したが別段後ろめたいことなどなく過ごしてきたこの人生だ。
まあ人様に知られたくない情報は多少なりともあるので余程のプライベート情報なんかは言う気はないが、逆に言えばそうでないなら答えられるということだ。そうした俺の答えにホム子は目を瞑って指を鳴らした。
「あの日。そう、あの日だ。君がこの部室に来て、あのくだらない事件を解決した日のことさ」
「ああ……それで?」
「事件を解決した後、確か君は玲奈に呼ばれて一人風紀委員室に残っていたね? どんなことを話したのか気になっていたのだが」
……ああ、と俺は数秒脳を動かして思い出した。
「別に隠すようなことじゃない。手続きと、幾つか質問をされただけだ」
手続きの方は単純に部室移転に関するものだ。質問の方は大したこと無かったのだが手続きの方は思いのほか時間を取られたのを思い出す。
「本当なら部活・部室に関わる申請手続きはゴールデンウィーク前に締め切られるのが原則だからね。そういった期限以降の申請をする場合は面倒な手続きを必要としたはずだ」
「ああ。おかげで校長から教頭、生活指導の教師などなど。諸々の先生方からハンコを受け取るスタンプラリーをすることになってな。面倒この上なかったよ。……ったく、どうせ移転するなら移転するでもっと早く言って欲しかったもんだ」
連休前に通知されてれば正規手続きで楽にできたものが、申請期間外の手続きのため幾つかの認可を得なければいけなかった。
事情を説明するだけで判子は貰えたので特別なことはなかったが、教師陣を一人一人捕まえるのは怠かったものだ。
「まあ、君がどれ程苦しんだかどうかは私にとって知ったことではない。気になるのはもう一つ。玲奈から受けた質問の方だ」
少しは言い方というものを考えられないのだろうか、この女は。
「それも大したことじゃない。……お前に関してどう思っているか。そう聞かれた」
あの時のことを思い出す。
五条玲奈は俺に問い掛けた。
『お宅の名探偵を、貴方はどう思っていますか?』と。
ホム子に赤っ恥をかかされた直後に当事者の評価を訊かれるとは……。
果たして何か裏があるのではなかろうかと勘繰ったが彼女はただの世間話だと言う。
俺はそれを信じて答えた。
その最中。中々に面白いことを言っていたと俺は記憶している。
「言っておくが彼女に────」
「嘘は通じない、だろ? 本人からそう言われたよ。最初にな」
本人は超能力だ、なんてふざけた調子で言っていた。
俺の言葉に、ホム子は少し間を開けて、うむ、と頷いた。
「……その通りだ。彼女に嘘は通じない。理屈は────」
「心理学と観察の合わせ技、だろうな。人間は嘘をついたとき視線を逸らすとか、そういうやつ。珍しいと言えば珍しいが出鱈目ではなさそうだった。実際、カラクリ自体はお前の推理と同じものだからな」
「…………よく分かっているじゃないか…………」
細かな場所まで見逃さない洞察力と、それに紐づく物理的・心理的要因。先日俺が見たホム子の推理とはまさしくそれだ。
更に言えば、似たようなこと自体我々一般庶民でも普段からやってはいることでもある。
友人が何か隠しごとをしていたり言いたいことを我慢していたりすれば、様子の違いから何となく察することはあるだろう。
嘘をつくとき必要以上にオドオドしている人を見たことはあるんじゃないか?
要するにそういったことの延長線上にある技術だと思えばいい。
嘘を見破る、とまではいかないも俺だって誰かの胸中を理解出来るときはある。
例えば……
「説明する機会を奪われたからって、いちいち拗ねるなよ」
目前の少女がそっぽを向いて膨れている。これまでの会話パターンを考えればその理由ぐらい見当はつくというものだ。
「……拗ねてなどいない。ただ人が話そうとする瞬間にわざわざ言葉を被せるのはどうかと思っているだけだ」
「それを拗ねていると言うのだ」
「……どうだっていい。で? 君はその質問に対してどう答えたのかね?」
「俺は正直者なんでな。嘘をつくことなく答えたよ」
風域委員長・五条玲奈は俺の瞳をじっと見据えていた。
こちらの一挙手一投足を見逃さんとばかりに。そこまで警戒されている中申し訳なかったが、所詮はその日あったばかりの同級生への評価だ。
嘘をつく必要性も感じられず、俺の心がおもむくままに答えた。
「……『他人のことを顧みない、頭のおかしい名探偵』。そう答えたよ」
「はっはっは。……面白い冗談を言うね」
「申し訳ないが俺は生まれてこの方面白みのない男で通っているんだ。面白いことを言ったこともなければ冗談を言ったこともない」
「おや? そうなると君の私に対する評価が随分と随分なものになってしまうんじゃないか?」
「お前は馬鹿じゃないから丁寧に言う必要はないと思うんだが、敢えて言ってやろう。……その通りだ」
「……ああ、待て。待ちたまえ。私にしては初歩的なことを忘れていたとも。問題はそれを聞いた玲奈だ。彼女が果たしてその無礼極まる私に対する君の心無い返答をどう捉えたか、だね。無論、聞くまでも無く君のそれを嘘と断じて正しい回答を促し「笑って頷いたぞ」……彼女の観察眼も衰えたものだね」
やれやれと言わんばかりにホム子は肩をすくめて首を振った。
「…………」
はてさて。どうやってこの女の異様な自己評価を正したものか。
別に本人が自分に対しどれ程自信を持とうが俺の知ったこっちゃない。
だがこの女、その高評価を周りの者も同様に持ち合わせていることを前提としており、尚且つそれが通じないとなると不機嫌になるのだ。こちらからしたらたまったものじゃない。
いい加減そういった所を少しは是正してやろうと口を開きかけたとき、外の廊下から軋みの音がした。
停止することなく近付いてくる音の正体はノックもせずに扉をスライドさせる。
現れた射場飛鳥は困った顔をしながら入って来た。
「ほむっち。依頼が来たっすよ」
射場は扉を開けるや否やホム子に向かってそう言った。
「おや、こう頻繁に会うのは珍しいね、五条玲奈女史」
ホム子が声をかけたのは射場ではなかった。扉の向こうにいる射場の、更に向こうだ。
姿が見えずに一体どういうことかと首を傾げた直後、五条が射場の影から踏み出す一歩と共に部屋へと入って来た。
見るからに血の気の引いた顔をした五条は「手伝いなさい」と一言呟いた。
「────私の手帳が盗まれたわ」
「……ほう?」
再度発せられた依頼に、ホム子は愉快そうに口角を釣り上げた。
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