6話
遠く聞こえるザワザワとした騒音に俺は寝ぼけ眼を擦りながら意識を覚醒させていった。
くの字に曲がった身体を起こせば明るい朝日に刺激され、その光が寝不足の頭も相まってちょっとした頭痛を引き起こす。
窓際の席というものは確かに特定の季節に限り新鮮な外気を浴びせてくれる最高の環境かもしれないが、俺のような不真面目な生徒にとって太陽が差すという点は存外マイナスポイントなのかもしれない。
しかし疑問だった。俺は今さっきまで授業を受けていたはず。にも関わらず周りの騒々しさといったら何事だ? もしかしたらこれが学級崩壊というもので、今現在我がクラスは真面目に授業を受けるという基本的なことすら出来ない程に荒れ果ててしまったのだろうか。
そこまで考えて、頭上から振って来た男の声に俺はやっと気付いた。
「お前、あの『名探偵』と同じ部活になったって本当か?」
「……『おはよう』の挨拶より先にする話かね、滝」
「二限が終わったこの段階でおはようという挨拶をする方が間違いだと俺は思うがね」
……ああ、成程。
どうやら真面目に授業を受けるという基本的なことを出来なかったのは俺の方らしい。
つまり現在は授業と授業の合間。
いつも通り、未だ黄金週間の怠け気分が抜き切らずに遅刻した俺にとって本日初めてクラスメイトと自由に話せる時間がやって来ていたようだった。
見上げて認識したお相手は中学時代からの友人。ひょろりとした背の高さが特徴的な滝多喜田(たきたきた)。
滝が名字で多喜田が名前の、果たして親はどういう気持ちで名前を回文に仕立て上げたのか。そんな由来にちょっと興味が湧いてくるような奴だ。
「そもそも情報が遅い。それはもう一週間も前の話だぞ」
「もうゴールデンウィークが終わってから随分経つのに未だ休み気分が抜けてない進一に言われたくはないんだけどね……。てことは本当なのか?」
「事実だ。話せば長くなるので話さないが、事実だ」
「意外だな。面倒くさいことや危ないことからは徹底的に距離を取る進一がまさかあの名探偵と同居するなんて」
この滝という男は野球部に所属しており、所謂運動神経抜群という方面の男だ。おまけに顔も良く、比較的女子生徒からの人気は高いと言えるだろう。
故にこんな何気ない会話の場面でも無駄に耳を傾ける者がいるし、そうでなくても声がデカいため注目を集めてしまう。
要するに、
「同じ部室を利用しているだけのことをわざわざ誤解を招くような言い回しで表現するな。周りの奴らからコソコソ噂話されてるだろうが」
「はは。すまんすまん。だが実際、よく入れたもんだな」
「? どういうことだ?」
「そのまんまの意味だよ。旧校舎のホームズは確かに奇人変人の類として有名だが、美人としても有名だ。お近付きになりたいって輩もそれなりにいる。にも関わらず、彼女は放課後常に一人だ。どうしてか分かるか?」
「知るか、そんなもの」
「少しは興味を持て。要は彼女が所属するミステリー研究会には入部試験があるんだよ。難解なクイズを出題されて解答できなきゃ入部不可。そうやって彼女は入部希望者をふるいにかけてんだよ。現在、それを解答出来た者は誰一人としていないって、有名だぜ?」
「改めて言ってやろう。──知るか、そんなもの」
「本当か? サッカー部のイケメンやら学年一位の秀才やらが挑んでも突破出来なかった試験だ。コネも実力も人望も無いお前が出来るとは到底思えんぞ」
「好き勝手言うじゃねえか……!」
寝ぼけた頭に血が上り、段々と覚醒していく。
言われて一瞬思考するが、頭の中ではとうに滝の質問に対する答えが弾き出されていた。
(………単純に、部室統合が学校側の要請である以上、それを拒否する可能性がある入部試験をするわけにいかないってことか)
事実は小説よりも奇なり。だが真実は存外想像よりも呆気ないことが多い。
だが別段それを言う必要性は感じられない。呆気ない真実を大層なものだと想像している所にわざわざ水を差すのは酷と言うものだろ?
「さっきも言ったはずだ。詳しく話すつもりはないって」
やれやれ、とでも言わんばかりに滝は肩をすくめた。思った程リアクションがブレない俺からそれ以上面白いことは引き出せないと気付いたのだろう。滝は話を戻した。
「まあいい。取り敢えず、お前がある日突然被害者という役柄で一面を飾る、なんて展開は見たくない。是非とも無事に生き抜いてくれよ」
「馬鹿馬鹿しい。旧校舎のホームズと関わったら事件に巻き込まれる? 確かな因果関係があるならまだしも、そんなジンクスみたいなもんで意思決定を左右されるなんていうのは好みじゃない」
……だがまあ、そこ以外であいつに対する不満が無い、なんてことも無いのだが。
「その割には以前噂を聞いた時は関わりたくないとか言ってなかったか?」
「それを矛盾とでも言うつもりか? 申し訳ないが、当事者意識の無いときに発した言葉なんてものに責任を持つつもりはないぞ。傍から見れば関わりたくないという意見に変わりはないが、実際接触を目前としたとき、その程度のジンクスを障害にする程俺はオカルトを信じていないし……「好みじゃない、か?」……人の言葉を遮るのはあまり良くない趣味だぞ」
「お前の思考が単純なのが悪いんだよ。相変わらずお前の行動原理は消去法だな」
俺は滝に言い当てられた自身の言葉の単調さを恥じつつも、言葉を返す。
「……悪いことだけを抜き取ったら最後に残るのは良いことだけだろ? 消去法のなにが悪い。俺は好き好んで苦労をする程俺は働き者じゃないんだよ」
俺の発言に滝は一応成程といった納得を示した。
「いいや、別に。ただお前は相も変わらず無責任で無気力な奴だなと」
「人間そんなもんだろ。何気ない一言に責任なんて持ちたく「あー‼」……急にどうした」
──持ちたくない。そう答えようとする俺に対して突如声が割り込んできた。
「わだっち!」
「射場か。……まずはおはようが先じゃないのか?」
「あ、ごめん。おは……じゃないじゃん! もう十時過ぎてるんだからおはようじゃないじゃん! ……あ、たきっちじゃん。元気ー?」
「元気元気。飛鳥ちゃんも朝から元気だね」
「いやはや、どもどもっす」
はて? 何故俺にはこの明るい挨拶をしてくれないのだろうか。差別ではなかろうか。
「で、改めて聞くが……急にどうした?」
「そう! それ! 急じゃないし! わだっち、昨日部活行くって言ったのにサボったでしょ! そのせいで何故かアタシがほむっちからメッチャ小言言われたんだけど⁉ 『彼は連絡の一つ寄越せないのか鳩にも劣る低能なのか?』みたいな!」
割と似ているモノマネであった。
「昨日はちょっと用事があってな。……そもそも、別に毎日行くとも言っていないし、それをホム子に連絡する必要があるとも思っていない」
「でも昨日は行けたら行くって言ってた! 嘘ついてるじゃん! だからほむっちにはすぐ来るすぐ来るって言うしかないじゃん! でも来ないから矛先こっち来ちゃうじゃん!」
……行けたら行くと言って、信じられるとは思ってもみなかった。
あまりに古典的な方便を信じられたことに驚く一方で、行くと言ったのは間違いのない事実でもある。
この上で射場に対して『行けたら行くは行かないの意』であることを伝えるのは人として間違えている感を否めない。
「まったく……。もうちょっと自分の言葉に責任を持って欲しいっすよ、ホントに」
「……分かった。俺が悪かった」
「分かればいいんすよ、分かれば。おかげで昨日は仕事にならなかったっすよ……」
「……仕事だ?」
射場の偉そうな物言いに、少しばかり俺は疑問を抱いた。
「……俺の記憶が正しければ俺があの部室に移動してから一週間。お前は度々訪れては茶を飲んで漫画読んでホム子と喋っている。……そうだな?」
「そうっすね」
「そして昨日も部室に行って同じようなことをして、ホム子から小言を言われて……仕事にならなかった。そう言っているのか?」
「何急に当たり前のこと言い出してんすか? だからアタシ怒ってるんすよ」
プンプンとでも可愛らしい擬音でも付けるべきだろうか。俺の言っていることに要領を得られない射場はさっさと本題を口にしろとばかりに頬を膨らませた。なので遠慮無く突っ込みを入れさせてもらう。
「……それのどこが仕事なんだ?」
「…………はい?」
「はい? じゃない。首を傾げるな。俺はお前が部室で仕事をしていることを見たことなんて一度たりとも無いぞと言ってるんだ。仕事が出来なかったなんて嘘はやめろ」
「いやいや、ちゃんと毎日仕事してるじゃないっすか。わだっちの目の前で」
「……なんだ? 俺は今なぞなぞでも出されているのか?」
何言ってんすか、とさっきから俺が何言ってんのか分からない様子でさっきから何かを言っている射場。つまりこれまでの話を要約するならば……
「つまりお前にとって仕事ってのは放課後茶を飲みながら駄弁ることでも意味しているのか? ……最高だな。是非とも俺を風紀委員会に入れてくれ」
「そうじゃないっすよ。ええと……、何だっけ? ……ショウガ? 私はほむっちのショウガ担当? とかいうので、いつでもほむっちと連絡が取れるよう、交友しているのが仕事なんすよ」
随分ジンジャーな担当があるものだ。
「……ショウガじゃなくて渉外、じゃないか? もしかして」
「そう! それそれ!」
──渉外。要するにある団体が外部と交流する際その外部に対する窓口を担当する役割だ。
この学校でその言葉が指し示す意味とはつまり、風紀委員からクラブへと派遣されるお目付け役的なものだと考えていれば良いだろう。
そこまで聞いて、ようやく俺はある種の納得をした。
所属人数が多い風紀委員ではホム子に限らずそれぞれのクラブ活動を監視・監査するという意味合いも込めてそういった担当制を敷いているのだ。
これだけ多くのクラブがあるのだ。中には活動を隠れ蓑に好き勝手やる輩もいる。渉外制度にはそういったペーパークラブの発生・増殖を抑制する役割がある。
合併前の文芸部にも当然いたのだが、移動後姿を見かけないあたり担当が代わったということなのだろうか。
色々世話になったので挨拶ぐらいはしておきたかったな……。
「俺の知っている担当はお前のように遊んでばかりじゃなかったはずだが?」
「そこはほら、個人差だったりクラブの緩さだったりで違うっすから」
「本当に最高だな。今すぐにでも入りたい気分だ」
随分と適当なものだ。俺は呆れて溜め息を吐いた。
「ちなみに今空いてる担当はマジック部とオカルト研究会っすね。切断マジックの実験や心霊スポットでの泊まり込みに付き合わされるけど、それでも良ければ歓迎しますよ」
「……悩むな」
「……マジで?」
「わりかしマジだ」
もしかしたらホム子の奇行に振り回されるよりかは楽かもしれない。
そう答えた俺に対し、射場は納得出来ないといった表情を浮かべていた。
「言われる程ほむっち悪くないと思うんっすけどねえ。話してて楽しいし」
ああ。確かに傍から見ていればそう思えるのだろうな。彼女のように茶を飲んで話をしてはまた茶を飲んで帰る。
それだけをしていれば確かにホム子に対する評価は悪くなりようがないことだろう。
だが立場が代われば認識も違ってくるのが世の常だ。
「校内に迷い込んだ猫探し。喧嘩の仲裁。そういった依頼に加えて奴の趣味である科学実験……。そんなのに無理矢理付き合わされる俺の身にもなってみろ。ただでさえ面倒なのにあいつの場合は大概、発作みたいに唐突だ。こっちの予定が崩れて嫌になる」
「確かにほむっちはいつも当然っすからねえ」
でも。射場は続けた。
「そんなこと言う割には結構落ち着いて読書してるじゃないっすか、わだっち。くつろいでるように見えるっすよ」
「部室の雰囲気自体は悪いもんじゃないからな。インテリアの趣味だけはあいつに関して唯一褒めても良いと思っている。あそこは放課後時間を潰すには良い場所だ。それに……」
俺は一度言葉を切る。思い浮かぶは放課後の部室。
「────何もなければ静かなもんだ」
そう。何もなければ……。
言いつつ、それが一番難しいのかもしれないと俺は自らの言葉に突っ込みを入れた。
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