2話

「お邪魔します」


 第一印象として、その教室は驚くほど多くのモノにあふれていた。

 あふれていた、というより雑多に散らばっていると言った方が正しいのかもしれない。


 見たことのない器具や見たことのある道具なんかが無造作に部屋中で転がっていた。

 大きさは普通の教室と同じ程度なのだろうが、そのせいもあって体感はもっと狭いように思えたと記憶している。


 そんな部屋の奥でこじんまりと、しかし尊大な態度を漂わせた少女がロッキングチェアに揺れて本を読んでいた。


 風になびく金色の髪に物憂げな表情。制服姿のそんな彼女をカーテンから漏れ出た放課後の陽光が照らす。臭い言葉で言えばとても絵になる場面だった。


 学校という舞台に似つかないその異国情緒あふれた景色は、座る少女が作り出したものだ。


 ……俺はその人物の存在を知っていた。

 旧部室棟に住む奇人。出雲崎のホームズ。学校一のシャーロキアン……

 呼ばれ方は多いがそれが指す人物はたった一人。

 ────本名不詳の自称『シャーロック・ホームズ』。


 それが俺の知っている彼女の名前。


 その知識は決して俺が彼女と特別親しいだとか恋焦がれているなんて理由じゃない。


 校内にいる奴らにアンケートでもしてみろ。認知度九十九パーセントは確実だ。そして残りの一パーセントはきっと学校に忍び込んだ変質者に違いない。


 そこまで認知されているのは別に自らをかの名探偵だと名乗るということだけが由縁というわけではない。


 その本質は彼女の完璧ともいうべきスペックだ。


 受けるテストはすべて一位が指定席。全国区でもトップクラス。


 運動神経も抜群で、一時期は多くの運動部を体験入部という名目で暴れまわっていたと聞く。


 そしてなによりその容姿だ。留学生だとかハーフだとかいう噂が回っており正確なことはわからないが、確かにその金髪は染めたような不自然さはなく、どこか外国の血が入っているように思える。


 整った顔立ちは紛れもなく美少女と形容されるそれだろう。


 しかしまあ、その完璧さをすべて帳消しにするその奇行及び悪運は多くの人間をドン引きさせている。


 全校生徒にアンケートでもしてみろ。校内付き合いたくないランキング一位は確実だ。


「おや、君は……」


 こちらの存在に気付き、彼女は本から顔を上げた。


 緩やかな微笑を浮かべたその表情に俺は不覚にもドキリとしてしまう。


「文芸部の和田進一だ。今日から同じ部室……らしいな」


 どうも、と軽く頭を下げた。


 対して彼女は立ち上がり、その笑みのままこちらに歩みを進める。


「森秋教諭から話は聞いているとも。ようこそ我が部へ。部長のシャーロック・ホームズだ。気軽にかつ親愛をこめて名探偵とでも呼んでくれたまえ」


 目の前で立ち止まってこちらに手を差し出した。


 握手を求めるその仕草にこちらも対応し、手を差し出す。ガッチリと握られたその力は、女性にしては随分強いものだったと今でも覚えている。


 顔を突き合わせることこそ初めてだが、本当に名探偵を名乗るのだなとちょっとした感動をしたものだ。


 ……念のために。


 そんな感動はこの後即座に消え去り、彼女に対しそんな感情を抱くことは今後一切無いことはハッキリと記載しておく。


話を戻そう。


 兎にも角にも、俺は彼女の言い分に引っかかるものがあったので異を唱えていた。


「こちらこそ……。一つ聞きたいのだが、表の探偵部ってあれなんだ? ここはミス研だろ」


 答えてあげよう。そう彼女は上から目線を崩すことなく再度椅子に腰を下ろした。


「その名の通りだとしか言えんな。探偵部とはこの灰色の脳細胞を持つ優秀な私が、その優秀な頭脳を持って様々な謎を解決する。その過程をもってついでに大衆を幸せにしてあげるという……そんな活動をする部活だよ。ミステリー研究会は上級生の卒業をもって当部活の礎となったのだ」


「……突っ込み所が多過ぎる」


頭が痛くなる内容に思わず眩暈がする。人間、初対面の印象で付き合い方の八割が決まるとはよく言うが、それが事実であれば俺にとって目前の彼女への対応方法はもう決まったようなものだろう。


距離を取りたい。切実にそう願っている。


「立ち話もなんだ。かけたまえ」


 促され、それもそうだなと重い段ボールを再度抱える。かけたまえ、というナチュラル上から目線がすこし気に食わなかったが、提案には賛成だった。


 改めて室内を見渡す。部屋の中央には大きめのテーブルがあり、それを囲うようにいくつか椅子が並んでいた。自称ホームズ……面倒くさいからホム子でいいか……ホム子が座っているようなロッキングチェアは他になかった。


 少し座ってみたいな、とか思いつつ、しょうがなく腰をかけたのは対角線に位置する学校ならどこにでもあるような普通の椅子。荷物を置き、一息つく。


 ここまでの道のりとその重い荷物のせいか、ちょっとした腕のダルさに俺は軽く手を振った。


「運動不足とは嘆かわしいものだ。その程度で疲労するようではもう竹刀を振るうのも満足に出来ないんじゃないか?」


「言うのは簡単だろうが結構重いんだぞ、これ。それに文芸部からここまでどれだけ離れてると思ってんだ……よ……」


 そこで俺は彼女の発言に違和感を得た。


「…………お前、今なんて言った?」


 『竹刀を振るうのも難しい』。そう言った。この状況でその言葉を選ぶということはつまり知っていたという訳だ。……俺が剣道の経験者であることを。


「知っていたわけじゃないさ。単純な推理だよ」


 彼女は自慢気に指を振るい、語る。


「この旧校舎は随分古くてね。軋みも激しい。なので歩くたびに床の鳴りが聞こえてくるんだ。だが君が来たときにはその軋みがなかった。急にドアが開いたのには驚いたものだ」


 故に私は推理した、と続ける。


 「この男は日常的に足の上げ幅を小さい。それはつまり日本武道を修めたことに起因している。……違うかい?」


「……」


「私も格闘技には詳しくてね、当然そうした知識があるのだよ」


「だがそれだけじゃ……「みなまで言わなくてもいいさ。わかるとも」……言葉に割り込むな」


「これだけではまだ剣道のほかに柔道、空手などの可能性もある。そう言いたいのだろ? みなまで言わなくてもわかるさ」


 こちらの抗議など無視して彼女は立ち上がる。どうやら気分が乗って来たのか、随分と上機嫌だ。


「勿論、そこにも根拠はあるとも。君が入室したとき私の目には君からいわゆる柔

道耳のような特徴は見られなかった。これで柔道の線は消えたね?次に、これは簡単

だが握手だ。君の手はゴツゴツしていて固い。これは竹刀タコだ。空手家であるならその逆に拳タコ、つまり拳骨の方にタコが出来るはずなのだがそうではなかった。これで空手家の可能性も消えたわけだ。そして……」


「待て待て待て、もう十分わかった。……だからそれ以上はもういい」


「む、まだ十分には程遠いではないか。これから私が更に薙刀や銃剣道、居合道や弓道を除外した十三の理由と二十二の推論を……」


「長い」


「な……長いだと⁉ この程度で長いなんて言われてしまったら私の助手は務まらないぞ⁉」


「誰がいつ助手になったんだよ……」


心底から驚いている様子の彼女に、むしろ心底から驚く。


いったい彼女の脳内ではどんな状況が確定事項となっていたのだろうか。


取り敢えず「落ち着け」と告げると、少し納得のいかなそうな表情で彼女は椅子へ腰を掛ける。


「ま、まあいい。初対面なことだし多少の無礼は許すさ。……それはそうと、私ばかり君のことを知っているのもアンフェアだね。君も何か聞きたまえ。私のことを知りたいだろ?」


「……結構だ。今更聞きたいことなんて無いし、何より興味が無い」


「今更、というのはあまり褒められたことじゃないと思うよ、私は。君と私は初対面だ。もし噂で知った気になっているというなら、それは間違いだと言っておこう」


「……ほう。じゃあ昨年の文化祭で旧校舎を爆破したという噂は間違いなのか?」


「間違いだ。正確には世界的指名手配されているテロ犯が校内に仕掛けた爆弾を、犯人の足元に移動させて煽り散らして自爆させた、と言うべきだね。ああ、安心したまえ。勿論怪我人はゼロだったとも」


「何故煽り散らしたんだよ……」


 頭がクラクラする。何が世界的指名手配のテロリストだ。そんなものがこんな地味な学校に爆弾を仕掛けるものか! ……本心ではそう突っ込みたくてたまらないが、


しかし……


「……十二件」


「? 何の数だい?」


 そう否定するわけにはいかないと俺は知っている。いや、俺だけではない。この学校、どころか日本中の人々もそうだろう。


「お前が昨年この学校に入学してから、この学校の名前が全国紙で報じられ事件の数だよ。殺人・爆破・行方不明……。舞台となったり関係者に生徒がいたなんてことを含め、月に一度は何かしらの事件が起き、近くにいたお前が解決をする。そんな事件がこれまで十二件もあった。誠に残念だが、そんなトラブルだらけのお前と仲良くなっては俺の命が足りない。だから興味が無いし、沸かせない」


 そう。


 この自称名探偵が何故校内の人間から奇人・変人扱いされるのか。何故敬遠されるのか。


 それは彼女が何故かあらゆる事件を周囲に誘爆させる、生粋のトラブルメーカーだからだ。


 彼女は今まで多くの事件の中心にいて、多くの事件を解決している。


 フィクション世界で有名なかの名探偵を名乗るだけはあって、彼女は本当に名探偵なのだ。そこは多くの人が認めている。


 ……だが冷静に考えてみて欲しい。


 フィクションのように難事件をバシバシ解決する人間の近くというのは果たして安全だろうか? 好き好んで一緒に居たがるだろうか?


 そんなわけがない。探偵の近くで事件が起きるというのなら、探偵から距離を取りたがるのが人間というものだ。


 だから生徒の多くは彼女から距離を取る。それがホム子という人物が変人奇人と呼ばれて恐れられる所以だ。


 しかしホム子はそんな俺の指摘に対して首を横に振るだけ。呆れしか感情は見て取れなかった。


「悲しいものだね。名探偵の近くでは常に事件が起きてしまう。私はそういう星の下に生まれてしまったようだ。だが安心したまえ。どのような事件が起きても解決してあげると、私は宣言するよ?」


 そういう心配をしているわけじゃないのである。


「……はぁ。言い争うのもアホらしい。そもそもこの学校は何故それだけ問題が起きて閉鎖しないんだ」


「これまでの事件、学校側には何の不正も無く対応に誤りはなかったからね。むしろ被害者になることの方が多かった。それで閉鎖されるのは理不尽だろう? まあ私が助言をしてあげたのだから当然だね。……それと、十二件ではないよ」


「?」


 彼女は指を一本立てた。


「──十三だ。君は新聞を見ない方かね? 先日私が解決した件に関してこの学校の名が今日の朝刊に載っているはずだよ」


「……そうかよ。より一層仲良くなりたいという意欲が削がれた気分だ」


 オカルトを信じる類の人種ではないが、それでも模範的日本人として元日には参拝に行くし、盆には墓参りに連れ出されたりする。


 縁起の悪いことはしたくないし、関わりたくないという俺の本音は極々一般的なものだ。


 だってそうだろ? 

 

 もしこれからも彼女の周りで事件が起き続けるというのなら、同じ部員である俺は果たして無事卒業出来ると思うか?


 いつの日か残酷な犯罪者の手に掛かったり、もしくは加害者として崖を背に泣き崩れることを免れないだろう。そんな未来はごめんである。


「それにしても良かったよ。最近そういったこともあって取材なり依頼なりが多くてね。そういったのを整理してくれる優秀な助手が欲しかったところなんだ」


「そうか……。何が良かったのかも、何故その悩みを解決してくれる助手の話を今出したのかも決して理解する気はないが、お前の中で決着がついたのなら俺は完全なる第三者としていってやろう。オメデトウ」


「はっはっは。そう遠慮することはない。それとも何かね? 私に関わったら不幸になると、そう本気で思っているのかね?」


 自身の噂自体は流石に耳に入っているらしい。


「…………」


 しかし残念だ。もしここでホム子がそういった噂を気にでもして健気に、そして儚げに落ち込む表情でも見せてくれるのだとしたら、流石の俺も心を痛めて「そんなことは無いさ」とキメ顔で慰めていたことだろうに。


 そこから青く酸っぱいボーイミーツガールが始まっていたかもしれないというのに。


 しかし現実は残念である。可愛げの欠片もないことに目前の自称名探偵は、そんなことでこんな美人な私を嫌うなんてあり得ないだろ? とでも言わんばかりに自信満々な顔をしている。


 いっそのこと嫌いだとハッキリ言ってやろうかとも考えたが、この鬼メンタルだ。

 

 俺なんかの否定ではダメージなんか皆無に違いない。


 思わず大きな溜め息を吐いた。


 ……確かに俺は模範的日本人。縁起の悪いことはしたくないし、盆の時期には墓参りにだって行く人間だ。


 だが……


「……俺は縁起の悪いことはしたくないし関わりたくもない主義だが……オカルトを信じる類ではない。もしお前が全ての事件を裏で操っている、とか言うなら距離を取るんだが、現時点で敬遠するのは負けた気分になるので嫌だ」


 自分は模範的な現代日本人だ。


 年末年始に参拝はするが願いは叶うなんて思ってない。墓参りをサボったところで先祖から祟られるとも思ってない。


 そんなことを言うと、彼女は顔を崩して息を吐いた。


「ふふっ。君はあれだね。面倒な性格をしているね」


 彼女の言う通り、我ながら面倒くさい性格だとは思う。


「自覚してるから言わんでいい。……ところで本当に裏で糸引いてたりしてないんだよな?」


「はっはっは!」


「笑って誤魔化すんじゃねえよ……っ!」


 縁起の悪いことをするのは気が進まないと思いこそすれ、そんなことで人との繋がりを決めるのは俺の好みじゃない。


 そう結論付けて挨拶は終わりにする。


 お互いの距離感を測った後は俺がこれから部室でやる行為と本の運搬状況及び収納場所等の説明・相談をして了承を得た。


 まあ、これから同じ部屋を使用する上での簡単な確認みたいなものだ。


 とは言っても俺がやることなんて放課後適当に読書をして帰るだけなので、得た了承とはつまりこの部室における俺の領土確保ぐらいか。


 物質的にもパーソナル的にもお互いの不可侵領域を理解して、ホム子は視線を手に持った本へと落とした。


 正直疲れたので残りの運搬はまた後日でも良いだろう。


 本格的な部室譲渡にまではあと三日ほどは時間がある。


 そう自らを納得させ、本格的に椅子に身体を預けた。ほっと一息をついたついでに何の気なしに向けた俺の目線は、そんな彼女が読書中の本の表紙に止まった。


 重度のホームズオタクという噂と一応はミス研所属ということなのでやはり読むのはミステリー小説なのだろうと思っていたのだが、その手に持っている本はどうやら違ったようだ。


「……難しそうな本だな。化学の専門書か?」


 意外なことに理科系の本だった。まあ、俺自身文系なのでどの程度難しいのか、というのも実のところはわかっていなかったのだが、どちらにせよ理解できないという点で難しいというのは正しいと思う。


「そうだね。高校の範囲ではないが、しかしこういった知識こそ探偵の土台を作る知識を与えてくれるのだよ」


 そう得意気に語るが、こちらとしてはそんなものを学ぶより危機回避の方法でも学んだ方が良いのでは? としか思えない。残念なことに理系の知識は無いので話は続けられない。


 それ以上話を膨らませる話術も義理も意味もなかったので俺は足元に置かれた段ボールから適当に一冊の本を取り出す。文庫本サイズの小さな手触りを得ながら膝上に置いたその本の題名は……


 ……まあいいか。


「読書かい?」


「……ああ。静かに頼む」


 ここで取り出した本を戻すのも意識しているようでどこか負けた気分になる。


 俺は長年文芸部に鎮座していた表紙が擦り切れた名作ミステリーを丁寧に開いた。

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