9回目 変わらない夏の日は変わろうと藻掻く
目を覚ませば、もちろん胸の痛みなどはない。
またいつもの朝が来ているだけだ。
アイの「ほら」という、笑みとも無表情ともとれる顔が脳裏に浮かぶが、その悔しさを息と共に吐きだした。
「おはよう伊織」
「おはよ」
目の前の明日香は、当然のように寝起きだ。
前回(俺の中の感覚ではついさっき)のような焦った様子であるはずもない。
それにどこか安心もしたが、同時に寂しさも覚える。
あの出来事は、俺の中にしかないのだと突きつけられるから。
「どうしたの?」
「……いや、別に」
体を起こし、足だけをベッドから降ろした。上に乗っていた明日香は、甘えるように俺の太ももに頭を乗せてきた。
「なぁ」
「ん?」
「俺、今日休むわ」
「え、なんで?」
もっともな反応だろう。特別体調が悪いようには見えないだろうし、事実そういうわけでもない。
「んー、なんとなく?」
「ただのサボりってこと?」
「まぁ、そうなるな」
明日香は下からじっと俺を見つめてくる。
うーん、視線が痛い。
サボろうとしていることは事実なのだが、今の状況で大学に行く気にはなれない。大学に行くことが望んでいることだとするなら、こんなことにはなっていないのだから。
「サボって何するの?」
「え、えーっと……」
特に決めていなかった。
とりあえずやりたいことをやってみようとは思っていたのだが、具体的に何をするかまではまだ決めていない。
がしかし、事情を説明するわけにはいかないので、ここは全力で濁すしかない。
「なんか、行く気にならないんだよ! そういう時ってあるだろ?」
なんとも苦しいが、世の大学生ならわかってくれると信じたい。いや大学生でなくとも、今日はなんとなく学校に行きたくないとか、なんとなく会社に行きたくないっていう日もあるだろう。あるよね? ね? あるということにしてくれ。
明日香はずっと怪訝な目で俺を見ていたが、仮にサボって単位を落としても、それは俺の自己責任だ。俺を無理矢理動かすことはできない。
「……ノートは見せないからね」
「おう」
そんなものはもはやどうでもいい。だって今日死ぬんだから。ある意味で死ぬのがわかっているというのは、怖いものなしだな。……ダメだ。感覚が麻痺している。
「じゃ、行ってくるね」
準備している間はひたすらに時間を浪費していただけだった俺を置いて、明日香は家を出ていった。
「さて……」
何をしようか。
考えてはみるが、そう簡単に思いつくものでもない。
いや、やりたいことがないわけではないのだが、『心の底から』とか『死ぬまでに絶対』という枕詞が付くと、どうにも難しい。
そもそも、今のこの状況に納得しているわけではない。
アイのことを信用していないわけではないが、信用しているわけでもない。アイが謎の人物(そもそも人かどうかもわからない)であることは変わらないのだ。
しかし前回試した通り、外出しなくても死ぬという結果になってしまった以上、死ぬことが確定していることは、紛れもない事実なのだろう。それも納得したくはないけどな。理由も説明されずに死ぬことが決定しています、など理不尽極まりない。がしかし、避けられないのであれば、アイが言っていたように、自分のやりたいことを探すしかない。
「つっても、一日しかないからなぁ」
やりたいこと、と言っても『将来の夢』のような時間がかかることは無理だ。世界一周とかも一日では達成できない。
もし仮に、本当にやりたいことが一日で達成できないものだとしたらどうなるのだろう、とも思ったが、今の俺に、そのレベルのやりたいことがないので、考えるだけ不毛だ。
ただ、今こうして考えてはいるが、考えすぎても時間だけが過ぎていく。何もしなくても死ぬのだから、何かやった方がいい気もする。そちらの方がお得、という言い方はしたくはないが、これだというものが思いつかないのなら、片っ端から試していくしかない。まずは……。
「好きなもんたらふく食べてみるか」
安直だな。
たぶん違うだろうけど、と思いつつも、俺は家を出た。
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