6回目 夏の日はまた繰り返す

 圧倒的不快感とともに目が覚めた。

 暑さなのか冷や汗なのか脂汗なのかわからない。

 有無を言わさず体を覆いつくす絶望感。

 目の前の明日香の顔は、目には見えるが認識はできなかった。

 鮮明かつ恐怖に満ちた夢が、夢だと思いたい出来事が、脳内を覆いつくす。

「伊織?」

 目を覚ましたにも関わらず、動かずにただ目を見開くばかりの俺に、明日香はたまらず声をかけてきた。

「……伊織?」

 しかし、一向に反応しない俺に、覗き込むようにもう一度声をかける。

「え?」

 ようやく反応できたかと思えば、俺の顔に暖色はなかった。

「どうしたの?」

「…………今日って、何日だ?」

「えっと、22日だけど」

「…………」

 俺は内心「またか」と思った。気のせいでなければ、昨日も22日だった気がする。夢なのかもしれないが、夢にしては、いくらなんでもリアルすぎる。事実、今の光景も昨日、いや夢の中で見た気がする。

 真っ青なまま黙り込む俺に、明日香は休むよう促してくるが、俺は首を横に振った。

 確かめたい。

 そのためには動かなくては。

 ただの夢なのか。

 予知夢のようなものなのか。

 それとも――。



「じゃあ明日は海な!」

「どっちの水着がいいかな?」

「飲みに行こうぜ!」



「…………お疲れ様です」

 おかしい。

 どれもこれも、今日の出来事は見たことがあるようなものばかりだった。

 みんなが発言する前にその内容はわかっていたし、行動だって予想通り。

 当たりすぎてて気持ち悪いと思ってしまう。

 バイトで高校生に教えてることも、もはや何度目だろうという感覚だった。

 ラプラスの悪魔でもあるまいし、その日起こることをすべて当てることなど不可能だ。そもそもその定義自体、すでに否定されているはず。だから未来のことなんてわからないはずなんだ。


 ――ただし、その日起こることを前もって体験、ないし知っていない限りは、だ。


 夢が予知夢のようなものだったのか、はたまた同じ日を繰り返してるのかはわからないが、どちらにせよ、俺は今日起きたことを全て知っていた。

 だとすれば。

「…………俺は、死ぬ?」

 ということになってしまう。

 スマホには明日香から通知があったが、それはまだ開いていない。予想通りなら「お酒買ってきて」なのだが、お酒を買いにコンビニに寄れば、死へのルートを辿ることになる。

 確証はないが、確率は極めて高い。

 今日起きたことから推測して、俺が知っている通りに事が進むなら、まず間違いなく俺は死ぬ。

「…………すまん」

 俺は「ごめん見るの忘れてたわ」と心の中で言い訳を考えながら、コンビニに寄らずに帰ることを選択した。

 そして帰路もいつもと違う道を選んだ。

 ほとんど歩いたことのないような道で、随分な遠回りになってしまうが、死ぬよりはいい。

 ほどなくして、遠くで車のブレーキ音が聞こえたような気もするが、それどころじゃない。

 というより、そんなこと考えたくもない。

 自分が死んでたかも、なんて考えるだけで吐き気がする。

 事実、今だって吐きそうだ。

 俺は吐きそうな気持ちをぐっとこらえて歩いていた。

 だが、それも家に着くまでの辛抱だと、自分に言い聞かせる。

 いつもの倍くらいの時間がかっているが構わない。

 家までもう少しだ。

 曲がり角にも細心の注意を払った。

 どこから車やらバイクやらが出てくるかわからない。

 ここまできて死にたくない。

 死にそうな場所を一つずつ回避して、もうすぐ家だというところまできた。

 その時だった。

「……え?」

 お腹に痛みが走った。

 視界に入っていなかったわけではない。

 周囲に意識を張り巡らせていたのだから、前から来る人が見えないわけがなかった。

 それほど広くもない道だが、大人二人が並んで通るなどわけもなく、四人が並んでも問題ないほどの幅の道。

 やたら近くを通ってくるな、とは思った。

 でもそれだけだ。


 ――――まさか刺されるなんて思ってもみない。


 男の影が、今も視界の端に映っていた。

 身をかがめ、両手で持った包丁を俺の腹部に根本まで刺している。

 痛みとともに、生暖かいものが身体を伝う。

 男は包丁を抜いた。

 俺の身体から赤黒い血が溢れ出す。

 刺されたところを抑えるが、一向に血は止まらない。

 次第に薄れていく意識。

 もはや痛みも感じない。

 膝をつき、倒れる。

 去っていく男が見えたが、追う気力など、ましてや叫ぶ力もなかった。

 痛みとショックで状況を理解することもできず、俺の意識は暗闇に沈んでいった。

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