Lv.99④
「穂波、栞の傍に居てやって欲しい」
俺は腹を括って、短剣を構えた。
(栞が俺を信じてくれたのに、俺が俺を信じられなくてどうする!)
そうして、呼吸を整えているものの数分のうちに、スウィフトを含んだ世界が元通りになってしまった。
世界の裏側に落とされたことによるダメージは、期待しない方がいいだろう。
「Lv.99……」
穂波が絶望に満ちた声でいった。
「大丈夫だ、俺が何とかする」
俺は穂波を庇うように、一歩前へ踏み出した。
発動条件はてんで不明のままだったが、体中に力が溢れ返っている感覚があった。リザードマンと対峙した時以上のものだと断言できるほどにだ。
この時、俺のパラメータは数十倍に跳ね上がっていた。元の数値が成長していた分、俺の能力は桁違いに大きくなっていた。
具体的な指標を出すと、前人未到のランク:8だ。
俺は短剣を握り締めると、駆け出した。
まずは挨拶代わりに、スウィフトの脳天目掛けて短剣を突き出した。
スウィフトは高速で突き出された短剣を容易く弾くと、お返しとばかりに鋭い爪を繰り出してきた。
スウィフトの攻撃は掠ることすら許されないので、俺は短剣を使って丁寧に住なした。攻撃を住なされたことで、スウィフトの体勢が僅かに崩れたので、そこに俺は次の攻撃を滑り込ませるが、これも弾き返された。
そのような攻防を数秒間に数十回、一秒間に死が幾度となく交差した。息を吐く暇さえなかった。
「ちっ」
この攻防を先に嫌ったのは、俺の方だった。
覚醒モードに入った状態でさえ、スウィフトとの近接戦闘は分が悪いと感じてしまったからだ。このままやり合っても、勝機は見出せなかった。
俺はスウィフトに悟られぬよう、その軸足を刈り取る足払いを放った。
しかし、スウィフトは攻防の手を止め、すっと右足を一歩引いた。
俺の仕掛けに対してきっちりと反応して、しっかりと対応してきた。
「こいつ……!」
スウィフトは視野が広い上に、戦闘センスも抜群に高かった。
反射だけで動いてると思いきや、しっかりと頭を使って戦っていた。
決して侮っていたわけではなかったが、認識が甘かった。
「――ぐふぉっ!?」
俺の右足は虚しく空を切り、次に、背中に未だかつて味わったことの衝撃が走り、肺から息が押し出された。
スウィフトの左足を軸にした回し蹴りが、俺の背中にクリーンヒットしたのだ。
俺は体がバラバラになってもおかしくないくらい地べたを転がり、そのぐちゃぐちゃな視界の端に迫りくるスウィフトの姿を捉えていた。
俺は咄嗟に立ち上がると、ほとんど無意識の内にスウィフトの鉤爪を紙一重で避けていた。
ほとんど奇跡に近かった。もう一度避けろといわれても、恐らく無理だろう。
しかし、当然スウィフトが一撃だけで攻撃の手を休めるはずもなかった。
(殺られる――!)
そう思った刹那、スウィフトの動きが僅かに止まった。
直後、俺とスウィフトの間を一筋の光が通った。キネティックヴィジョンの視界が捉えていたのは、オリハルコン製の矢だった。
俺はこの好機に一旦距離を開けて、体勢を立て直すことができた。
とはいえ、振り出しに戻っただけだ。
いや、正攻法ではスウィフトに届かないとわかっただけでも、十分な収穫といえるかも知れなかった。
問題は、その差をどう埋めるかだが、残念ながら俺の頭では全く思い浮かばなかった。経験という記憶を失っているせいか、発想力が乏しすぎるのだ。
普段であれば、栞が涼しい顔で解決策を教えてくれる場面だが、肝心の栞の存在は風前の灯火だった。
そんな時、ふと視界に入ったのが、棗が楓の治療を行っている姿だった。
エレファント佐藤とスコーピオン鈴木は役に立たないだろうが、楓が万全な状態で戦力として加われば、あるいはスウィフトに届くのではないだろうか。
つまり、俺は無理に攻め込まないで、楓の回復まで時間稼ぎに徹すれば――その思考に至った瞬間、俺は既に出遅れていた。
どうやらスウィフトも俺と同じ結論に至ったようだった。
そして、何よりまずかったのはお互いの立ち位置だった。直線にして、スウィフトの方が棗たちに五メートルほど近かったのだ。
しかも、動き出しまで負けていた。
「くっ!」
俺は咄嗟にスウィフトの後を追いかけようとしたが、背中に走る激痛に顔を歪めて歯を食い縛った。
今の俺では、とてもスウィフトのスピードに追い付くことができなかった。それは即ち、楓班の全滅を意味していた。
(みんな、ごめん……!)
まるで希望の光が潰えるように世界が色褪せていく虚無感に襲われながら、全身から生気が抜けていくような無力感に苛まれながら、俺は心の中で短く謝った。
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