桜の朽木に虫の這うこと

第７６話 ウツロ 対 似嵐鏡月

「推（お）して参（まい）ります、お師匠様（ししょうさま）――！」

「来るがいい、ウツロ――！」

　次の瞬間、目にも止まらぬ速さで、異形（いぎょう）の戦士へと変身したウツロは跳躍（ちょうやく）した。

　速い――

　似嵐鏡月（にがらし　きょうげつ）は慌（あわ）てて、握（にぎ）っている黒彼岸（くろひがん）へ力を込（こ）めなおした。

　ガキン！

　黒彼岸とウツロの持つ黒刀（こくとう）、その両者が激しくぶつかり、鈍（にぶ）い金属音が桜の森にこだました。

「ぐ、ぬう……」

「くっ……」

　相殺（そうさい）――

　いや、師である似嵐鏡月と互角（ごかく）な剣戟（けんげき）を放つことができた。

　これはウツロにとっては自信に、師・鏡月にとっては焦（あせ）りとなった。

「ふんっ！」

「――っ！？」

　似嵐鏡月はそれを振り払うがごとく、ウツロの剣を押しのけた。

　ウツロは中空（ちゅうくう）に素早くトンボ返（がえ）りをして、土（つち）くれの地面に低い姿勢で着地した。

「どうしたウツロ、その程度か？」

「まだまだです、お師匠様！」

　彼は再び、師に向かって跳躍した。

「何度やっても同じことよ！」

「それはどうでしょうか――！？」

　ウツロは似嵐鏡月の斬撃（ざんげき）をすれすれでかわし、背後へとすり抜けた。

「なにっ――！？」

　そのまま桜の木をステップとし、角度を変え、また別の木へ。

　それを何度も執拗（しつよう）に繰（く）り返（かえ）す。

「まさか、これは――」

　似嵐鏡月は嫌（いや）な予感に再び焦りを感じた。

「……あれは、そんな……八角八艘跳（はっかくはっそうと）び……似嵐流（にがらしりゅう）の絶技（ぜつぎ）を、どうしてウツロが……」

　八角八艘跳び――

　少し前、星川雅（ほしかわ　みやび）が似嵐鏡月に繰（く）り出（だ）した技だ。

　もちろんウツロは見よう見まねでやっている。

　だが、人間ならざる虫の能力――

　バッタやイナゴの跳躍力（ちょうやくりょく）を得た彼が使うそれは、やはり人間ならざる、もはや人智（じんち）を超えたレベルの「絶技」に生まれ変わっていた。

「……くそっ、コピーのはずなのに、まったく捉（とら）えられん……」

　似嵐鏡月を徹底的（てっていてき）にかく乱（らん）し、彼の死角（しかく）から、ウツロは黒刀を薙（な）いだ。

「くっ、そこか――！？」

「――っ！」

　黒彼岸は確かにウツロの脇腹（わきばら）を打った、はずだった。

「な……」

　だがその部分は、まるでゴムのようにたわんで、マルエージング鋼（こう）の重い剣閃（けんせん）を、すっかり受け流してしまった。

「な、なんだと――！？」

「粘菌（ねんきん）の柔（やわ）らかさです、お師匠様。アメーバの一種（いっしゅ）である単細胞生物で、自由自在に形を変えることが可能なのです」

「なっ、バカな……！　これではまるで、無敵ではないか……！？」

「そう、一説（いっせつ）には、すべての生物が同じ大きさになったと仮定すると、最強はすなわち、虫であるといわれるそうです」

「……ならば、こうしてくれるわ！」

「――っ！？」

　似嵐鏡月は全身を横に翻（ひるがえ）し、大きな山犬（やまいぬ）の手でもって、ウツロの体を掴（つか）み取（と）った。

「刀で斬（き）れぬのなら、この牙で粉々（こなごな）になるまで噛（か）み砕（くだ）いてやるわ！」

「およしなさい……！」

「むぐ――っ！？」

　粉々になったのは、山犬の牙のほうだった。

「……あが、あがが……」

「俺の体はすでに、カブトムシの硬（かた）さになっているのです……！」

「……あが、わしの、歯が……」

「どうやら幕の引きどきのようですね。はあっ！」

「ふぁあっ！？」

　ウツロは体に力を込め、自身を握っていた山犬の手を、一気に弾（はじ）き返した。

「お師匠様！　いざ、勝負（しょうぶ）っ！」

「――！」

　横に回転しながら、ウツロは似嵐鏡月に突進した。

「あれは、秘剣（ひけん）・纏旋風（まといつむじ）……！」

　星川雅が驚愕（きょうがく）に叫（さけ）んだ。

　やはり彼女が見せた技の見よう見まねだったが、ウツロのそれは巨人サイズのカマキリの威力（いりょく）を備えていた、そして――

「ぐがあっ――！？」

　その斬撃は山犬の胸（むな）もとを、したたかに打ちのめした。

「……」

　似嵐鏡月は気が遠くなり、後ろへゆっくりと倒（たお）れ込（こ）んだ。

　ウツロは静かに着地し、姿勢を正して、偉大なる師へと一礼した。

「お師匠様、最高の勝負を、ありがとう、ございました……」

　その目から一筋（ひとすじ）の涙（なみだ）が滴（したた）り落（お）ちた――

（『第７７話　人間論（にんげんろん）』へ続く）